第3話 放課後の寄り道

 放課後、といっても授業を途中で抜け出した結果、俺と翁長くんは初等部校舎の玄関ホールを監視できる位置に隠れていた。もう下校時間になっているので、ぞろぞろと初等部の制服を着た子たちが帰っている。


「……えっと、今のところ動きはありません」

『了解、俺はとりあえず車で近くを待機してらぁ』


 携帯端末から田鶴さんの返事が返ってくる。俺は汗のにじむ手を何度もズボンでぬぐっていた。嫌な汗が出てきて、身体の芯が冷たく感じる。誰にも見つからないように光奏さまから隠れているということは、今この瞬間、顔を見て美しいと思ってもらえないということだ。生きる意味がなくなってしまう。


「お、翁長くん、ちゃんと俺が美しく見えているよな」

「もぐ」


 何度目かの俺の質問を、忙しくあんこバターロールを食べている翁長くんが毎度面倒くさがらずにふんふんと返事してくれる。しかし、翁長くんには悪いが、ほとんどこちらに視線を向けずに食べることに夢中になっているせいで不安があまり消えない。衝動的に飛び出してしまいたくなる。

 自分が面倒な性質であると自覚しているが、どうにもできない。寝るときもカメラで自分の姿を撮影していないと眠れなかった。最近は、光奏さまが用意してくれたぬいぐるみたちを視線の代用にしているが、眠りは浅い。部屋の壁全面を鏡張りに改修したいという欲望が自分の中を渦巻いている。

 そうやって自分のことしか考えられない馬鹿な自分のせいで、一瞬気づくのが遅れた。


「……あ、動きました。玄関ホールを出ていますが、正門とは逆の方に向かってますね。翁長くん、姿は見つけられるか?」

「もぐ……」


 昼休みのときに田鶴さんに指示されたとおり、俺は【罠】・『チェイス』で光奏さまの靴箱のローファーから追跡できるよう目印を仕込んでおいたのだ。それが動いたのだが、肝心の光奏さまの姿が見つけられない。

 焦って翁長くんを振り返ると、食べきったあんこバターロールのビニール袋をくしゃっとポケットにしまって迷いなく移動を始めた。その背中について行きながら視線の先を辿ると、きょろきょろと落ち着きない様子の光奏さまの姿があった。その隣には、光奏さまと手をつないでいる三つ編みの少女がいる。あの子が藍花ちゃんという子だろう。

 ランドセルをかたかた揺らして遠ざかっていく少女たちを追いながら、携帯端末に報告をする。


「光奏さまの姿を確認しました。おそらく、北の職員用通用口から出るつもりかと思われます」

『わかった。俺もそっちに車を回す。気づかれずに、それでいて目を離すんじゃねぇぞ』


 脅すように田鶴さんに言われて、俺のような顔のいい下っ端ははいと返事をするしかない。

 遠くから様子を窺うかぎり、光奏さまは楽しそうにおしゃべりをしているようでいてどこか上の空だ。何度も足が止まりかけて、そのたびにお友達に手を引かれている。

 とうとう少女2人は通用口の前まで来てしまった。ここは外から学園の中に入るには職員用のカードキーがないと出られないが、学園の中から外に出る分には自由なのだ。


「光奏ちゃんとは初めてのお出かけだし、楽しみだね!」

「そうですね……」


 喧騒から離れたおかげで、遠くにいる2人の会話がこちらにも聞こえる。はしゃいだ声を出す相手の子に対して、光奏さまは気のない返事だ。藍花ちゃんという子が、学園をぐるりと囲む塀の門扉に手をかけた。

 手元の端末で、田鶴さんから既に待機していると連絡があった。今のところ、通用口を出たところに不審なものはいないらしい。

 予定としてこうだ。通用口を出たところで、出てきた2人を田鶴さんが出迎える。そして、藍花ちゃんというお友達のほうを懐柔して、自然に田鶴さんが目的地まで送っていくように仕向ける。俺と翁長くんは、光奏さまを刺激しないようにこっそりと後ろで見守りながらついていく。田鶴さんが車なのに対してこちらは徒歩だが、そこは翁長くんの能力に頼らせてもらう。俺は綺麗なだけのお荷物として翁長くんに運ばれることになるがしかたない。

 ついに学園の外に出ていった少女2人は、すぐそこに停められている車とそこにもたれて立っている田鶴さんにすぐ気づいた。さっきまで気が進まなそうだった光奏さまは、その姿を見た瞬間に眉をきっと吊り上げた。


「田鶴、どうしてここにいるのですかっ!」

「いやぁ。偶然だなぁ、お嬢。俺はここでちょっと一休みしていただけだぜ? それより、お嬢はなんでここに? お隣の子がお友達かぁ?」


 へらりと田鶴さんは笑うが、光奏さまに向けているにしては言葉がぴりぴりしている。少し怒っているのかもしれない。

 それが光奏さまもわかっているのか言い返せないようだったが、それでも不満が抑えきれないのかだんと片足で強く地面を踏みつけた。


「藍花ちゃんに話しかけないでくださいっ」

「確かに、俺はお嬢に雇われている身だが……何でも言うことを聞いてやる契約は結んでいるわけじゃないぜぇ? あくまで、俺はお嬢の身を守る護衛だからな。それとも、俺を止める何か正当な理由でもおありで?」

「……私が嫌だから、話しかけてほしくないのっ! 行きましょう、藍花ちゃんっ!」


 言い訳の言葉も見つけられなかった光奏さまが、無理やり田鶴さんを振り切ろうと隣の手を握った。二人の言い争いに戸惑うようにずっと黙り込んでいたお友達が、急に手を空に向かって上げた。


「――迎えにきて、オネット」


 その瞬間、光奏さまの上空に大きな影ができた。大きな白い布のようなそれは、光奏さまを飲み込もうとするように大きく広がった。距離のある俺たち2人から、全てが視界から隠されてしまう。


「え……」

「お嬢っ! そいつから離れろっ!」


 銃声が鳴り響いて、その白い布のようなものがその数だけ身を震わせた。風船が割れたようにしぼんで、急激に端からぼろぼろと崩れていく。その下には、光奏さまとその横にいた友達が見当たらない。チェイスの能力で気配を探ると、さっきの白い布のようなものとは別に、成人男性ほどの大きさの四足歩行の白い生き物が屋根の上を飛んでいる姿が見えた。


「翁長くんっ! 3時の方向、屋根の上に光奏さまがいます! 追ってください!」

「――ああっ!」


 下半身を頑強な獣の足に変えた翁長くんは、言葉だけを俺の耳に残して桁外れの膂力で追いかけていく。すぐに豆粒サイズほどに小さくなっていく背中を見送っていると、ププーッ! とクラクションが鳴らされた。それと同時に、俺の横にすごい勢いで車が停まる。


「俺たちも追いかけるぞっ! さっさと乗って、お前はお嬢の元へ向かうナビをしろっ!」

「は、はいっ!」


 助手席に乗り込んだ俺がシートベルトをする時間も待たないで、田鶴さんは急発進をする。俺は助手席に置かれていた荷物を抱えつつ、揺られながら何とかシートベルトをしめる。


「おい。お嬢はどこに向かっている?」

「えっと、どんどん人が少ない場所に向かっています。方角的には、自然公園のほうです」

「……わかった。また、移動先が変わったら教えろ」


 田鶴さんは低い声でそう言うと、一つ舌打ちをして車を走らせた。いつもより荒っぽい運転で、右へ左へと身体が振り回される。そのせいで、車に乗ったときに抱えた荷物からぽろりと何かが落ちた。安定しない車内で手を伸ばし足元のそれを何とか拾い上げると、それは手のひらサイズのぬいぐるみだった。うちのクラスの女子が鞄につけているのを見かけたことがある、確か今人気のマスコットキャラクターのものだ。助手席に置いてあった荷物の袋をよく見ると、それはキャセリンの名前が載っていた。

 思わず、横の運転席の顔を見る。険しい顔をして前方を睨んでこちらをちらりとも見ないが、何だと声をかけられた。


「いや、あの、光奏さまが電話で話してたマスコット、買ったんですか?」

「……欲しいって本人が言ってたんだろうが。はっきりと教えないから、期間限定のやつを全部買うはめになったがなぁ」


 キャセリンの袋の中身を見ると、それは全部色だったり、ポーズだったり、衣装だったりが違うだけの同じマスコットキャラクターだった。昼休みから放課後までの間に、田鶴さんが買ったらしい。さっき、光奏さまを迎えたときは怒っているような様子だったのに。


「えっと、光奏さま、きっと喜びますね」

「だといいがなぁ。その前に、無事に助け出さないといけねぇが。……お嬢の動きに変化はないのか?」

「はい。まっすぐと自然公園に向かっています」

「わかった」


 そこから田鶴さんは無言で車を飛ばした。

 わずか10分にも満たない道のりが果てしなく感じるほどの時間だった。

 自然公園にたどり着くと、そのまま車から飛びだす。


「おい、お嬢のところまで先導しろっ!」

「はいっ!」


 並みのモデルよりも長い足を持っている俺は、できるだけ一歩を遠くへと出すようにしてチェイスから感じる気配の元へと向かった。駅やバスなどの主要な公共機関などが近くにない立地のせいか、自然公園には幸いなことに人の姿がほとんどない。のどかに光を浴びる穏やかな木々や植物たちの静かな空間は、しかし、地面に響く轟音によって壊される。恐らく、翁長くんだ。


「あっちか……」


 田鶴さんはそう言ったかと思うと、先導していた俺を追い抜かして音の発生源の方へと向かう。俺も必死になって息切れしながら走るが、足が長いだけで走るのは早くない。俺が愚鈍さを発揮している間に、遠くの方で轟音とともに銃声が鳴り始めた。

 俺は一旦足を止めて、息を整えながら光奏さまの位置を探る。さっき探ったときから位置は移動していない。

 耳元でどくどくと大きく鳴る心臓の音に頭を揺さぶられながら、俺はもう一度走り出した。はやく追いつかなければ、俺だけこんなところだ。俺だけ、俺一人だけで、蚊帳の外だ。

 つまり、誰も俺の美しさを見ていない。

 あまりの状況に吐き気がしそうだ。光奏さまを助けるためではなく、そんな理由で俺は走り出す。誰にも美しさを認められない絶望に身体の端から冷たくなって、その冷たさに耐えきれなくなる。


 見てくれ、見てくれ、見てくれ、美しい俺を、見てくれ。


 チェイスで位置を確認しつつ、一番目立つ登場の仕方を考える。俺よりも戦闘能力で優れて2人がいまだに救出できていない。光奏さまの位置は移動せず、ずっと変わっていない。

 銃声が連続して鳴り響く。木々を抜けた先の開けた場所で、激しく火花が交差して砂ぼこりが舞い上がっている。光奏さまをさらった四足歩行の白い生き物がもう1体増えている。脅威的という動きでもないが、もう1体が光奏さまが人質に捕らえているせいか田鶴さんと翁長くんは攻めあぐねているようだった。だから、俺がやるべきことは――

 轟音の鳴り響く場所に、俺は横から飛び出した。


「光奏さまっ!」


 デコイを使って、視線を一気にこちらに集める。三つ編みの少女が呆けた顔でこちらを振り返り、白い生き物2体がこちらを見て動きを止めて、光奏さまから完全に注意を反らした。俺は光奏さまのローファーにつけていた印を起点に力を使う。


「【罠】・『ケージ』っ!」


 ガッシャンッと光奏さまだけが地面から生えてきた鉄の檻に閉じ込められ、白い生き物から分断される。それに気づいた藍花という少女が睨んでくるが、それでも俺から視線を外すことはできない。俺の顔に見とれて、ほかが見えなくなっている。

 その隙に、獣のような速さで近づいた翁長くんが鋭い爪の光る丸太のような腕を振り回す。すると、白い生き物は紙のように切り裂かれて形が崩れていく。そして、光奏さまの背後にいたもう一体は轟音とともに額あたり風穴を開けて灰になっていく。それと同時に、きゃあっと幼い少女の叫び声が上がる。いつの間にか距離を詰めていた田鶴さんが、藍花という少女に足払いをかけて転ばせ、その頭に銃口をつきつけていた。それでも、彼女は僕の顔に魅了されたままだ。

 視線が合わないまま、田鶴さんが温度のない声で問いかける。


「今すぐ始末してやりたいところだが、なけなしの慈悲の機会をやろう。俺のやさしさを受け取るかどうかはお前次第だけどなぁ?」

「……や、やめて」


 急に襲われた無垢な少女のように彼女はこちらを見上げる。だから、俺たちも完全に油断していた。学園を抜け出した光奏さまが、学園の結界の外に出たところで外部の敵に襲われることを懸念していた。学園の内にいる、しかも光奏さまの同級生の幼い少女が敵に回ることを想定していなかった。


「やめてほしいのなら、吐いてもらおうか。どんな大人に唆されてこんな暴挙に出たっていうんだ?」

「……だって、光奏ちゃんって――悪霊なんでしょう?」


 悪霊という言葉が出たとたん、俺の檻の中でへたりこんでいた光奏さまがびくりと肩を揺らした。その視界から隠すように、2人の少女の間に翁長くんが立った。


「そんな怖い子、そんな悪い子、そんな居ちゃいけない子はどうにかしなきゃいけないのよ。幼い頃から、ママとパパにそう言い聞かせられていたわ。だから、そのとおりにしただけっ。あなたたちも悪霊の手先なのね? 私を頭からばりばり食べる気っ?」

「お前、ちゃんとお勉強しているかぁ? 悪霊は別に人間を頭からばりばりと食べないがなぁ?」

「悪いやつを倒すことの何がいけないの! 私は悪いことしてない! あなたたちが悪いんでしょ!」

「……ガキの癇癪ってのは頭に響くんだよ。俺の愛銃のほうがよほど静かに話すぜぇ?」

「――もうやめてっ!」


 脅すようにかちりと銃を安全装置を外した田鶴さんを止めたのは光奏さまだった。ひどく渋い顔をしたが、それでも田鶴さんは止まる。座りこんだままずるずると俺の檻の中を移動した光奏さまは、翁長くんの陰からじっと友達だと思っていた存在に視線を向ける。不意に伏せられたその目元から、幾つか滴がきらきら光って落ちていく。


「私が、私が悪霊の依代だから起きてしまったことなんでしょう。だったら、原因も責任も私にあります。ちゃんと隠し切れなかった、私が悪かったんです。……藍花ちゃんの望みどおりには消えてはあげられないけど、目の前から消えることはできます。せっかくできたお友達だし、お友達のお願いは聞いてあげたいです。――池浦」

「……わかりました」


 何が正しいのかはわからないが、俺は光奏さまの言うことに従うだけだ。

 俺はゆっくりとこちらに視線を奪われている少女に近づいていく。近づけば近づくほど彼女はぼうっとして、目の前にしゃがみこむとほとんど目を開けたまま眠っているような表情になった。デコイの力を使いながら、俺はそのままゆっくりと一言一言言い聞かせる。


「何もかも、忘れろ」

「わす、れる……」

「そうだ。光奏さまのことも、悪霊のことも、今日のことも全て――」


 デコイの力によって俺の美しさで洗脳しようとしたときだった。藍花という少女の目元にさっと手がかざされた。その節くれだった傷跡の多い手は、田鶴さんのものだ。


「待て。忘れさせる前に、全部吐かせろ。お嬢が悪霊だということをどうやって知ったのか、誰が今知っているのか、そいつがいまどこにいるのかも全部だ」

「えっと……」

「お嬢、初めてのお友達がうれしかったのはわかった。だが、もう少し人を見る目を養ったほうがいい。……まぁ、今までずっと引きこもっていたからなぁ。――ほら、池浦。やれ」

「は、はい」


 少女の目の前にかざされていた手が離されて、俺はもう一度藍花という少女の瞳を覗き込む。潤んだ黒目の部分に、小さくても美しいとわかる自分の像が映っている。


「なぜ、光奏さまが悪霊の依代だと知っていた?」

「それは、うちのオネットが騒いでいたから」

「オネット……?」


 何だそれはと戸惑っていると、俺の困惑に少女がふわふわと答える。


「オネットは、うちの使い魔。……「霞」に定期的に餌として力を与えて、自由に操るお人形にするの」

「……それが、さっきの白い生き物の正体か」


 光奏さまを攫う際に現れたアレが、オネットと呼ばれる「霞」だったという。光奏さまの前に現れる「霞」はいつも美しい人間の形をしているから忘れがちになるが、「霞」は何ものでもないがゆえにどんな姿にでもなれる。あれは「霞」の変化した姿の一つだったのか。


「その、オネットというのが騒いだから、光奏さまを悪霊の依代だと知ったのか。それで、悪霊を退治しようと襲ったのか?」

「……うちのオネットをもっと強くしてほしかっただけ。パパとママが、悪霊の子を連れてくれば、うちの家の力も強まって台頭できるって言ってたから。だから、誰かに盗られる前にさらおうと思ったの。力を利用したかったから」

「え……」


 光奏さまの声が響いたが、俺しか目には入っていない少女はそれに反応を見せない。心地よい夢を見ているような穏やか表情をして、うっすら笑っている。


「最初は、つまらない子が来たと思ったけれど、パパとママが喜ぶから話しかけてあげたの。流行りも、おしゃれも、気の利く言葉も知らない子だったけど、パパとママのために仲良くしてあげたわ。私がそれだけ頑張ったんだから、あの子も私にお礼として力を貸すぐらいいいと思うの」

「君のパパとママも知っているのか、光奏さまのことを?」

「うん。だって、うちはみんなオネットを使い魔にしている家だもの。そのことは本当は秘密にしないといけないの」

「……はぁ。池浦、そいつに家の場所も吐かせろ」

「は、はい」


 いつでも引き金を引けるように銃を構えながら話を聞いていた田鶴さんが、もう片方の手でがりがりと頭をかきながらそう言った。俺が尋ねると、淀みなく少女は家の場所を教えてくれる。聞く限りは、普通の住宅街に家があるようだ。

 田鶴さんはぎゅっと強く両目を閉じたかと思うと、次の瞬間には銃口を向けている少女をひたりと冷ややかな目で見下ろした。


「一族全員知っているっていうのがまた面倒だな。しかも、「霞」を使役する一門か。本来消滅させるべき「霞」を使役するってのは、法力使いたちからも忌避される邪法だったと記憶しているけどな」

「悪霊の依代よりは受け入れられているわ」

「……もういい。聞きたいことは全て聞いた。もう話させるな、忘れさせろ」


 田鶴さんに投げ捨てるような言われるが、はいと言いかけて振り返った。翁長くんの後ろで隠れるように背中を丸めている光奏さまは一瞬だけ顔を上げた。しかし、ぐいっと目元をぬぐったかと思うと顔を背けてしまう。

 俺は、もう一度目の前の光奏さまの友達だった少女と目を合わせる。これから、元お友達にさせる。


「――全てを忘れるんだ。光奏さまのことも、悪霊のことも、俺たちのことも」

「……はい」


 がくりと一度頷いた彼女はそのままぐたりと力が抜けて倒れ込んだ。顔から地面に激突する前に受け止めて、ぐったりとこちらにもたれかかってくる身体を仰向けに寝かせた。

 やっと銃口を下ろした田鶴さんがやけに明るい声を出して、俺の肩を叩く。


「これから忙しくなるぞぉ。こいつの家にまで行って、こいつの父親と母親もどうにかしねぇと。場合によっては、もっと多くの人間がいる可能性もあるか。とりあえず、このガキは人質にして持っていくか」


 やれやれと首を振ると、田鶴さんが何もない宙をつかむとようにぐっと手を握った。その瞬間に、地面に寝かされていた少女の姿も消えてしまう。どういうものなのか詳しくは教えてもらっていないが、これが田鶴さんの能力らしい。

 そして、あごに手をあてた田鶴さんはふんと考えるポーズを見せる。いつも通りに振舞う田鶴さんとえぐれた地面や折れた木の枝が転がる背景はひどくアンバランスだった。


「俺一人だと戦闘面できついし、池浦がいないと口封じと尋問がうまくいかないしなぁ。お嬢はどうするかな。こうなったら、学園に戻って一人で待っていてもらうのにも不安が残るし」

「……私も、一緒に行きます」

「まぁ、お嬢が近くにいてくれたほうがいいよなぁ。じゃ行きますか、お嬢」


 座り込んだままの光奏さまに田鶴さんが手を差し伸べるが、ぱんとそれが払い落とされる。そして、自分の足ですくっと立ち上がった光奏さまは無表情で僕たちを見上げた。


「……迷惑かけてごめんなさい。はやくいきましょう。だから、ここから出してくれますか」


 そう言われて、俺はあわてて光奏さまを守っていた檻を消す。途端に光奏さまはすたすたと行ってしまった。肩をすくめた田鶴さんが、つかず離れずの距離でその背中を追っていく。

 俺も行かなければと立ち上がったところで、隣に翁長くんが並んだ。


「……つかれてる」

「あ、おつかれさま、翁長くん」

「おれは、はらへっただけ。……ほのかさまがおつかれ」


 ポケットからグミの袋をおもむろに取り出した翁長くんはぽぽいと一気に5つほど口に放り込む。はいっとこちらにも袋を向けられたので、1つだけもらったグミを噛みながら光奏さまの背中を追いかけた。

 光奏さまは勢いよく歩きはじめていたはずが、今はのろのろと歩いていたのですぐに追いつくことができた。翁長くんの言うようにいろいろあったせいでつかれているだろう。


「光奏さま」

「……なんですか?」


 声をかけるが、こちらを向いてもらえない。……どうしよう、自分の顔を見てもらう以外の励まし方がわからない。だからといって、光奏さまの前に回り込むと歩くのを邪魔してしまうことになってしまう。俺の写真を送るとか? でも、光奏さまには携帯端末で写真や動画を撮っちゃいけないと厳しく言われていた。でも、緊急事態だし、翁長くんに今からでも写真を撮ってもらうか?

 自分の携帯端末を手に持って、翁長くんに渡すか渡さないか悩んでいるうちに公園の外に出てしまっていたらしい。


「池浦、早く乗れ」

「は、はい!」


 光奏さまは既に後部座席に座っていた。俺が慌てて乗り込むと、すぐに車は走り出した。

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