第十話

 幅の広い階段を下りてすぐの改札に切符を二枚重ねて入れた。

 余所見をすると誰かにぶつかってしまいそうなほどの人波を抜けて、大きなガラスショーケースの前にいる彼を見つけて手を挙げる。

「や、変わらんね」

 こちらに気付いた正吾は気怠げに触っていたスマホをポケットにしまった。

「よお、お前はなんか変わったように見えるな」

「そりゃ今日は都会仕様だから」

「なんだそりゃ」

「今日のためにこのお洒落なシャツ買ったしな」

「やっぱ変わってねえわ」

 正吾は楽しそうに笑う。

「さて、どこのラーメン行く?」

「都会にはラーメンしかないのか?」

「そうだよ」

「さすがに騙されないぞ」

 そんなことを言いつつも結局僕たちは濃厚魚介スープがイチ押しのラーメン屋に行くことになった。ランチタイムを過ぎていたこともあり、食券を買うとすんなりとカウンター席に通される。

「はい、お土産」

「え、それ自分で買ってきたの? お前マゾだな」

「うるさいな」

 僕はビニール袋から『月刊陸上NEWS』を取り出してカウンターの上に置いた。

「気分はどうだった?」

「うん」

 僕はコンビニでの会計を思い出して苦笑する。

「最高に気まずかったよ」

 表紙には『神速は止まらない! 驚異の二連覇!!』という派手な文字と共に、メダルを掲げた笑顔の正吾の写真が大きく載っている。

 そして、その横には『新たな伝説?』という控えめな見出しと僕の顔が小さく並んでいた。

「まさかお前が高校新とはな」

「追い風参考だけどね」

「でも普通そんな数字出ねーんだよ」

 彼は呆れたように笑う。

 僕は予選一回戦で日本高校新記録を叩き出した。残念なことに追い風参考記録で非公式となったが、しばらく話題になっていた。

「僕もまさかこんなことになるとは」

「俺もだよ。……あの監督はなんて?」

「『おまえならやると思ってた』ってさ」

「ほんと調子いいんだよな」

 正吾はそう言って笑った。

「にしても、高校新保持者が次のレースで五位敗退ってのには笑ったわ」

「スタートミスっちゃってさ。あんな宣戦布告したくせに不甲斐ない」

 僕たちは喋りながらラーメンを食べる。きっと僕たちはいくつになっても、こんな風に並んで麺を啜ってるかもしれないなとぼんやり思った。

「いや、あれは確かに受け取った。そんで今度は俺から返すわ」

「え、何を返すんだよ?」

「決まってんだろ」

 そう言ってから。

 彼にしては珍しく、喉から絞り出すように力の込めた声を発した。

「……次は負けねえからな」

 その言葉の意味を理解して。

 ぐっ、と溢れそうになる感情を慌てて抑えた。

「総体二連覇男からそんな言葉聞けるとはな」

「うるせえ、日本高校新記録追い風参考男」

「長いな」

 僕は笑って、水を飲むフリをして。

 間に合わなかった涙を拭う。

「……なあ正吾」

 今なら素直に言える気がした。

 ふと、あの日の足跡が脳裏をよぎる。

「なんだ?」

 僕は彼を見る。

 あの日、僕を相手に本気で走ってくれた感謝を込めて。


 100メートル競走。

 自分の身体を0.01秒でも速く、100mと5㎝先へと運ぶ競技。  

 ただ真っ直ぐに、走るだけのスポーツ。


「陸上ってめちゃくちゃ面白いな」


(了)

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青を撃つ 池田春哉 @ikedaharukana

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