第九話

 均一な濃度の青が空一面に広がる。調和を乱す雲なんて一つもない。

 羽ばたけばどこまでも飛んでいけそうな青空に、両腕を差し出す。

 全国高校総体陸上予選一回戦。

 スタートを控えた僕は大きく伸びをする。

 緊張していないといえば嘘になるけど、思っていたよりも僕は落ち着いていた。

 昨日の電話のおかげか、もしくは今まで走ってきた全部のおかげか。

「選手はスタート位置についてください」

 係の案内に従って、僕は赤褐色のコースに足を踏み入れる。

 コースの感触を足で感じた瞬間、ふわっと心臓が浮いた。不思議な高揚感に全身を包まれる。

 ああ、これはまた笑われちゃうな。

 なんだかレースが楽しみだなんてさ。

 砂埃を纏った温い風が、僕たちの間を吹き抜ける。

 そこにもう幻は見えない。

 

 さあ、本気でいこう。


***


「オンユアマークス」

 審判員の声が響く。その声で周囲はしんと静まり返った。

 小さく深呼吸をして、スターティングブロックに両足を置く。


『――速く走るほうが足跡は深く残る』


 昨夜の彼の言葉を思い出す。

 強者ですら知りえない、王者の常識。

 それを今の僕はまだ知らない。

 でももしかしたら今日わかるかもしれないだろ。

 そんなの、わくわくするに決まってるよ。

「セット」

 膝を浮かせて上体を持ち上げる。カチャ、と金属が擦れる音がした。

 意識を耳に寄せ、息を吸う。


『でもな』


 そして彼は教えてくれた。

 王者にしか見えない景色の一端を。 

 僕が求め続けた、あの背中の向こう側を。

 

『一番速けりゃ、誰の足跡も見えないんだぜ』


 ──ピストルが、青を撃つ。

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