第9話 坂本龍馬の愛刀

「日本を今一度せんたく(洗濯)いたし申し候」

 これは国民的人気を誇る坂本龍馬が、姉の乙女に送った手紙の中に綴られている一文である。

 龍馬は刀好きで知られ、源正雄みなもとまさお陸奥守吉行むつのかみよしゆき相州正宗そうしゅうまさむね備前長船びぜんおさふね肥前忠弘ひぜんただひろなどの名刀を所持していたといわれる。

 中でも龍馬がもっとも愛用したのが、陸奥守吉行だ。この刀は、慶応二年、兄権平に対して「国難にのぞむため、先祖伝来の宝刀を与えてください」と手紙で所望し、翌年、権平が薩摩藩の西郷隆盛に託して龍馬に与えたものだ。

 というのも、慶応三年六月に、兄権平にあてた礼状の中に、

「然るに先頃西郷より御送つかわされ候吉行の刀、この頃出京にも常に帯つかまつり候。京地の刀剣家にも見せ候所、皆粟田口忠綱あわたぐちただつねぐらいの目利つかまつり候」

 とあることから、それが分かる。

 同年十一月十五日の夜、潜伏先の京都四条「近江屋おうみや」二階で暗殺されたときも、この吉行の刀を所持していたという。

 また、文久二年の脱藩時に姉乙女から譲られたというのが肥前忠弘で、これは子供の頃からの知り合いであった岡田以蔵に贈ったといわれている。名刀といえど、むやに物に執着しないのは、いかにも自由人の龍馬らしく、飄々ひょうひょうとしたものを感じるのは筆者だけであろうか。

 忘れてならないのが、龍馬が常に腰にしていた脇差、勝宗宗光合作刀かつむねむねみつがっさくとうである。

 これは、銘のとおり備前長船の備前長船の刀工「勝光」「宗光」の合作刀で、「五大力菩薩」という仏の名前が刻まれている。龍馬はこれを父親の八平はちへい直足なおたり)から守り刀として授けられ、幼少期より常に佩刀していた。

 ただし、龍馬は刀好きで北辰一刀流目録の剣客でありながらも、一度も剣を抜かなかった。

 慶応二年一月二十四日、伏見の寺田屋で幕府伏見奉行所の捕り方三十人ほどに囲まれ、やむなく所持していた拳銃で複数名を殺傷し、かろうじて脱出。そのときに受けた刀傷を癒すため、妻のお龍と薩摩鹿児島温泉に湯治の旅に出かけたのが、日本最初の新婚旅行といわれている。

 なお、寺田屋で使用したピストルは、スミス&ウェッソンのモデル2で、翌月二月六日付の桂小五郎あての龍馬書簡に、

「彼高杉より被送候ピストール以て打払、一人を打たをし候」

 とあるので、この銃が高杉晋作から贈られたものであることが分かる。

 龍馬の愛刀であった陸奥守吉行、及び脇差の勝光宗光合作刀(刀身のみ)は、現在、東山区にある京都国立博物館の所蔵となっている。 

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 名刀列伝 海石榴 @umi-zakuro7132

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