第8話 赤穂浪士の刀

 赤穂義士の主人公は、四十七士を率いた赤穂藩筆頭家老の大石内蔵助であるが、人気で断然トップなのは堀部ほりべ安兵衛武庸たけつねであろう。

 安兵衛は越後新発田藩しばたはんの家臣の家に生まれたが、父の失脚・死亡といった悲劇が重なり、親戚を頼って江戸に出て、直新陰じきしんかげ流の道場に入門した。

 天性の剣才と、五尺七寸(約一七二センチ)の体躯に恵まれた安兵衛は、たちまち頭角を現し、免許皆伝の腕前となった。

 この頃の安兵衛は、貧乏ゆえに、喧嘩の仲裁をして相手に飯や酒をおごってもらったり、他人の葬儀に勝手に参列して飲み食いしたらしく、喧嘩安、弔い安といった、あまりありがたくない異名を取っている。

 そんな安兵衛が、天下に名を轟かしたのは、高田馬場の決闘であることは言うまでもない。義理の叔父である菅野すがの六郎左衛門が高田馬場で果し合いをすることになり、安兵衛は助太刀を買って出て、相手方三人を斬り倒した。この武勇伝に尾鰭おひれがついて生まれたのが、いわゆる「十八人斬り」の伝説である。

 その後、安兵衛の武勇に惚れ込んだ赤穂浅野家の家臣堀部弥兵衛やへえの養子となり、元禄十五年十二月十四日、浅野内匠頭たくみのかみの無念を晴らすべく、本所松阪の吉良邸に討ち入るという展開となる。

 このとき、安兵衛が吉良邸に携行したのは、特別使用の大太刀おおだちで、刃長二尺八寸~九寸(約八四~八七センチ)、柄が七尺(約二一〇センチ)もあったといわれている。こうなると、太刀というより、長柄ながえ武器の長巻ながまきに近い。

 高田馬場の決闘でも、二尺六寸(約七八センチ)を超える寿命じゅめい作の大太刀をふるったというから、安兵衛の傑出した膂力りょりょくがしのばれよう。

 義父の弥兵衛も齢七十七歳ながら文殊包久もんじゅかねひさ作の槍をふるって戦ったという。

 試刀術(試し斬り)の達人であった不破ふわ数右衛門かずえもんは、備前長船則光おさふねのりみつの太刀がに刃こぼれするまで奮戦し、名を残している。

 大石内蔵助の大小は相州物といわれ、吉良にとどめをひと突きを浴びせたとき、余程心が震えたのであろう。刀の松葉先まつばさき、つまり切っ先内側の部分を欠いてしまったという。

 なお、四十七士が吉良邸で使用した得物は、ほとんどが槍であり、吉良に最初の一撃を加えたのも、はざま十次郎光興みつおきの槍であった。

 しかし、それで吉良が死んだわけではない。十次郎に槍で刺されながらも、果敢に脇差を抜いて反撃しようとした吉良を袈裟けさがけに斬り倒し、致命傷を与えたのは竹林唯七ただしち隆重たかしげであった。

 一番槍と一番太刀をつけた、この二人の刀槍の銘は不明である。

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