荻野はおもむろに僕の背中にくっついてきた。予想外の出来事に、僕の心臓は強く跳ねて、耳の奥でバクバクと響き始めた。僕は寝巻きの半袖と半ズボンで、脚や腕に触れる荻野の肌を直に感じていた。初めて触れた同い年の、女の子の身体だった。


 胸の膨らみやつるつるとした肌。果実をもいだ時みたいな、甘い匂いがした。荻野の息が僕の耳にかかると、股間が否応なしに膨らみ始めた。


 どうして、と僕は最初に思った。


 荻野から異性としての好意を感じたことはない。荻野の彼氏はサッカー部の長身でまあまあイケメンの男だ。少なくとも僕よりは女子に人気があった。


 荻野は何も言わなかった。


 声をかけようと思ったけれど、うまい言葉が見つからない。身を強張らせて、彼女に触れないように、ジッと動かないようにしていた。


 やがて僕の背中が、じんわりと温かくなっていた。時間が経つごとに少しずつ、荻野の顔が触れている部分が濡れていった。荻野は声も出さずに泣いていた。


 頭がぐるぐるして熱くなった。僕が彼氏だったら振り返って抱きしめたり、大丈夫だよとか言って慰めたりするんだろう。荻野の方を向くことを考えると、情けないことに、ますます下半身はおさまらなくなってしまった。


 荻野は何かを確かめるように、僕の身体に触れていた。僕が起きていることは当然、気がついているはずだ。振り返ることを期待しているようにも思えた。僕は呼吸を殺して自分を落ち着かせようとした。


 そうしていると、服の間から荻野の手が入ってきた。小さくて汗ばんだ手が、肌の上を滑っていた。お腹、脇腹、胸の辺り。荻野の手は心地が良くて、とてつもなくエロく感じた。


 全身が熱くなって、服の下で汗がじんわりとにじんだ。時間は途方もなく長かった。呼吸を止めているのが苦しくて、僕は息を吐いた。


 たまらず荻野に言った。


「もうすぐ帰ってきちゃうかもしれない」


 言ってから後悔した。


 荻野は「そうだね」とぼんやりした様子で返事をして、すっと手を離した。鼻をすすってベッドから立ち上がった。荻野が出ていく寸前に薄目を開けると、彼女の素足が廊下の白い蛍光灯に照らされているところだった。


 ドアは閉じられた。


 その夜、荻野が二度と訪れることはなかったし、翌日になって荻野は自分の家に帰って行った。他の親戚の手を借りて、荻野の生活は立て直すことができたそうだ。


 生活は何事もなく回り始めた。荻野とはただのクラスメイトの関係に戻った。彼女の顔からはニキビも減って、以前と同じように明るく笑うようになった。中学を卒業して、同じ高校に上がった。そこでも僕たちは単なる同級生で、あの夜のことを互いに口に出すことはなかった。


 僕の頭には、鮮烈な記憶だけが残った。


 あのなまめかしい感覚がフラッシュバックすると、いてもたってもいられなくなってオナニーをした。妄想の中の僕は、荻野の服をむいて、あんなことやこんなことをしていた。お腹の方から迫り上がってくる手のひらを思い出すだけで、喉の奥がきゅうっと狭まるような思いがした。僕は自分の同級生を、エロ本やAV以上におかずにした。なまなましい妄想と、現実で顔を合わせるたびにき上がる罪悪感に、中高生だった僕はひどく悩まされた。それでも止めることができなかった。恐ろしい量の白い液体を、僕は荻野に捧げていた。


「そうねえ」


 今の荻野。


 ぽってりとした一重を、雑誌とかに載ってそうな二重まぶたに加工した荻野はつぶやいた。


「あの時は、すごく助けられたよ」


「助けられた?」


「私の話、ちゃんと聞いてくれたからさ。気使って色々話してくれたし。辛かったらずっといて良い、とか言われて、正直さ。ウルッてきちゃったんだよね」


 全然覚えていない。言ったかもしれないし、言ってないかもしれない。「そっか」と僕は当たり障りのない返事をした。


 頬杖をついて、片手でグラスの中の梅酒を回して、荻野は微笑んでいた。


「あの後も普通通り接してきたし。すごく優しいやつなんだなーって思ったよ。めちゃくちゃ悩んで自暴自棄になってたから。私、結構、嬉しかった」


 その言葉に、僕は黙ってうなずくしかなかった。


 そう思ってくれているなら、思ってくれるままが良い。知らなくて良いことがあるし、知られたくないことがある。荻野の中の僕は、誠実で優しい聖人だった。こっちが申し訳なくなるくらいに。


「じゃーねー。今度、舞台見に行くよ」


 ほろ酔いの荻野を駅まで見送った。


 雑踏に姿が消えていって、僕は喫煙所まで引き返した。人混みの隙間から、109のせた赤色の看板が見えた。ふうと息を吐くと、煙は薄雲になって看板を隠した。


 どうして僕は荻野に告白しようとさえしなかったんだろう。ふと思った。考えると不思議だ。何度も思い出して、夜這いの妄執もうしゅうに囚われていたのに。大人になった今でさえも、本物の彼女には触れようとしなかった。


 お風呂上がりの石けんの匂いとか。

 自分とは違う体温とか。触れた指の感触とか。そういうものは、全身がむずがゆくなるほど思い出すことができる。


 僕の中の荻野が妄想の姿のままなのと同じで、僕の一部もずっと止まっているのかもしれない。あの夜を何度も繰り返して、いたたまれない気持ちで布団の中で身を強張らせている。あわよくば手を握り返して抱き寄せてやろうかとか、叶いもしない妄想を膨らませている。そんな自分が、まだ自分の中にいる。


 だからこうして大人にもなれず、一人でタバコを吸っている。そう思うと、まあ、なんとも情けない話だ。

 







−〆−




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【短編】はだかのおんなのこ スタジオ.T @toto_nko

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