星空の漫才

木野かなめ

星空の漫才

 すずろ風が俺の前髪を揺らした。


 仰向けに寝そべって、空を見上げる。

 蛇口の向こうに、いくら手を伸ばしても届かない無限がある。


「よいせっと」

 俺は起き上がって、ひと伸び、ふた伸び。


 なにしようかなぁ。

 なにするったって、なにもできないよな。


 蛇口からは一滴の水も流れない。そもそも、深紫色に変色しちまっている。どれだけの熱を浴びたら金属がこんな色になるんだよ。


 俺は一人、街を歩いた。

 アスファルトの上には風化した看板がごろりと転がっている。その看板を真っ二つに割って咲くレンゲソウの群れ。ぎらぎらと照らす太陽はただただ熱く、世界の全てが光の中に溺れているようだった。



 光。

 そうだ、光。



 神様が差し出した、おしまいの光。

 俺は世界が白んでいく様を、保存カプセルの中で見た。その映像はたった一瞬だけど、真夏の部活の途中に飲んだ冷水機の水みたいだった。

 俺は保存カプセルに入っている間に、放射能抗体を浴びている。だけど、抗体の効果は一日だけ。その間に生き残りを見つけて新たな抗体を受けろ、ということらしいけど、この静まり返った国道のど真ん中を歩いていると、『一日だけ生を楽しめ』という皮肉だったんじゃないかと思えてくる。


「誰もいねえじゃん……」

 頭を垂れてひとりごちた時。



「誰かいた――――――――っ!!」



 黒髪をさらさらと日だまりに溶かす女の子が、俺をズバッと指差した。

 おお……誰か、いた。




「わたしも一緒だよ、それ!」


 ミドリ、と名乗る女の子が目をパッチリと開いて言った。


「シュンスケくんとわたしが同じ日に目覚めたって、偶然なのかな?」

「目覚める時間は、なんとなくの予想で決められてたんじゃないの?」

「だったら、みんな同じ時間に目覚めたらいいのに」

「その時間帯がアウツな時間だったら、全滅しちゃうじゃん」

 瓦礫がれきに座るミドリは「そっか」と言って、手で庇をつくった。


 とにかく暑い。ただ、それだけ。


 ちなみに彼女は十九歳。俺と同い年だった。俺たちが保存されてから何年が経過しているかはわからないが、容姿はともに若いままだ。


「ね、なにする?」

 ミドリは円を描くようにスキップをしながら訊いてくる。

「なに……って。店もねえし、歩いてても植物と瓦礫しかないぞ」

「じゃあ、カラオケしよっか?」

「カラオケぇ?」


 ミドリは、うん、とうなずいて熱唱し始めた。やたらとレトロなメロディラインだ。俺は止める元気もなく、組んだ指に顎を置きながら一曲の終結を待った。


「じゃじゃーん♪ おしまいっ!」

 パチパチパチ、といちおう拍手。

「うまかった。でも、俺はいいよ」

「なんでなんで? 歌うたうの楽しいよ?」

「そんな気になれるかよ……」


 ミドリはぷくーっと頬を膨らませ、勝手に別の曲を歌い出した。そして、六曲を歌い終わったところで、ミドリがばててカラオケはおしまいになった。




 そして俺たちは日が沈むまでお互いの学生生活の話とか、コイバナとかで時間を潰した。話の内容を聞いて愕然。どうやらミドリは俺よりもかなり前の時代で保存に入ったらしい。つまり、俺の大先輩ってわけで。


 やがて現れたのは、一面の星空。


 話し疲れた俺たちはじゃんけんして「チ・ヨ・コ・レ・イ・ト」とかやっていたのだけど、それもすぐに疲れて地面に寝っ転がることにした。整った瞼に、ホットケーキみたいにふっくらとした頬。俺はミドリのかわいさに一瞬だけよからぬ妄想をしてしまったのだけど、全天に展開する星の群れが俺の理性を呼び戻してくれた。


「すげえな。星って、こんなにきれいだっけ」

「そりゃ、地上からの光がなにもないからね。でも、すごいねぇ」


 俺からだったのか、ミドリからだったのかはわからない。


 俺たちは仰向けに寝転がりながら、いつの間にか手を繋いでいた。お互いに、嫌がるそぶりはまったくなかった。


 そのまま、星の神話の話をしながら、時は過ぎる。

 もうすぐ、俺たちのいのちがついえてしまうことを、言葉に出さないまま。


「ね、最後にお願いがあるの」


 青く輝くデネブの真下、ミドリは静かに言った。




 ミドリのお願いはこうだった。


 彼女の時代には『漫才』というものが流行っていたと。一人が馬鹿なことを言って、もう一人がそれを咎める会話のことらしい。俺は、彼女がなにを言っても「なんでやねん」と返せばいい。よくわからないけど、断る理由もないので受けてやることにした。


「じゃあ、いくよ」

「なんでやねん」

「そこはまだいいから。本編じゃないから!」

「わかってるよ」

 俺はニヒルに笑ってミドリをからかう。


 ミドリは恥ずかしそうに、コホン、と空咳をして、


「わたしには、子供がいました。だけど顔を見たことはありません。なぜならわたしは、子供が生まれてすぐに保管に入ったからです」

「なんでやねん」

「特に健康と認められた母体は未来に必要だから、保管に入らないといけなかったのです」

「なんでやねん」

「でも、わたしは、子供の顔を見たかった。あの人とも、もっとたくさん遊びたかった。遊園地のコーヒーカップにみんなで乗ってみたかった。わたしがラザニアをつくってあげて、それを二人で楽しくたべているのを、見たかった」

「なんでやねん」

「些細なことでよかったのです。わたしは人生に多くを求めませんでした。だけど、たくさん生きようと思いました」


 ミドリの横顔を眺める。

 星の光が、ミドリの唇を七色に染めていた。


「なんでやねん」

河野こうのみどりは、生まれてきてよかったです。この世の風景を見ることができて、本当によかったです。私の十九年の人生には、大きな意味がありました」

「なんで、やねん」

「今日も、とってもよい一日でした。シュンスケくんという人とお喋りできました」

「…………」

「幸せな、一日でした」



 俺が、なんでやねん、と言った時、ミドリからの返事はなかった。

 目を閉じてニコリと笑った表情で、固まっていた。


 河野みどりは。



 俺の、ばあちゃんの名前だった。



 ――なんでやねん。



 俺はミドリの腹に頬を乗せた。体重を預けた。彼女の血が流れる音はもう聞こえない。俺はミドリの手を放さず、そのうつくしい人の身体に意識を委ねた。


 視界には、蛇口と、果てしない夜空のみ。


 星の光が、最後の最後まで俺をからかっているように感じた。



                                   了

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