第四話 それは実に珍妙な姿をした男だった クラロス

第四話 01 それは実に珍妙な風貌をした男だった ⑴

 このロンデルドという街は、大いに繁栄しているようだった。

 検問を掻い潜り街に入ったクラロスだったが、自身の身元が露見するのではないかという危機感は杞憂に終わったのだと、この人混みを見て悟った。

 どうやらこの街は大きな産業を有しているようで、王都や他の大きな都市に通じているであろう通商路とも繋がっているようだった。それ故に、街の外門で見たような旅人や行商が街の中にも多く居て、門から伸びる通りに並ぶ市場は、さながら異国のようだった。

 旅人風情のクラロスが通りを歩いても、誰も見向きをすることはない。ましてや、彼が≪雑草ウィード≫であるなどとは思いもしないだろう。

 どこか宿を探さなければと思い、クラロスは辺りを見回したが、目に入ってくるのは一様に同じだった。

 通りには店が立ち並び、軒先に敷物を敷いて、そこに様々な色とりどりの品物を並べている。人々はその前に立ち止まったり、あるいは店主に何かを尋ねたり、一瞥するだけで立ち去る者もいる。通りの中央には開けたスペースがあり、そこにも所狭しと敷物が敷かれ、行商達が自慢の品を広げて大声で客引きをしている。活気と熱気に溢れた場所だった。

 しかし、そんな賑やかで騒がしい空気とは対照的な雰囲気を纏った者たちもいた。

 どの店にも、薄汚れた灰色の麻の服を着た者たちが必ずいて、店の品を鈍い動作で運んだり、何も喋らず突っ立って店番をしたり、店の奥で同じような作業を延々と繰り返していたりしている。彼等には例外なく首に鉄輪が掛けられ、両脚首には辛うじて歩ける程度の鎖が付けられていた。

「≪雑草ウィード≫……」

 無意識にそう言葉が出た。

 思えば当然だった。ここは人間の街なのだから、≪雑草ウィード≫たちが奴隷として使役されていても何もおかしなことはない。

 彼等の表情は一様に無で、瞳の輝きは失われて途方もない時間が経っているかに思われた。まるで、自らの状況に無関心であるかのような、思考を放棄して、ただ漫然と反復運動を繰り返す水車のような、そんな雰囲気だった。

 そして、人間たちはそれについて何も思っていないようで、それが当然であるかのように、≪雑草ウィード≫を使役し、虐げていた。

「……」

 実に、気分の悪い光景だった。

 彼等が、人間に使い捨てのように使役されているのを、こうして現実としてまざまざと見せつけられていることが。

 また、それを彼等が甘んじて受け入れている様子が。

 そして、それを≪雑草ウィード≫であるクラロス自身が。その、自分自身の今この時の在り様が、実にクラロスを不快な気分にさせた。

 クラロスは彼等を眺めることしかできない。

 いま、こうして同胞が虐げられている様をただ見ることしか出来ないことによって、クラロスは自分が無力な存在であることを只々実感させられた。

 同時にこの光景は、クラロスに、なぜ自分はここに立っているのだろうという気持ちにもさせた。もう始まっているにもかかわらず、未だ旅の目的を見出せていない自分に、クラロスは初めて焦りを覚えたのだった。

 今はまだ。

 今は、まだだ。クラロスはそう思った。自分に力が無く、何も始める用意が出来ていないときに行動を起こしてはいけない。

 ≪雑草ウィード≫たちから視線を外し、クラロスは再び宿を探そうと、近くにあった店に近付いていった。パン屋のようで、軒先には大小さまざまなパンが並べられている。そこで品定めしている男に、クラロスは声を掛けた。

「すみません、この街に宿はありますか?」

 その男は驚いたように振り返ると、目をみはったまま値踏みをするようにクラロスを下から上と眺めた。やがて一息つくと、口を開く。

「旅の者か」

「ええ。今日この街に入ったばかりで、宿を――」

「知らぬ。自分で探せ」

 取り付く島もない態度だった。男はそれだけ言うと店の方に向き直り、パンを数個手に取って店の主人に硬貨を渡す。

 男は見たところ騎士のようだった。騎士がたった一人で軒先のパンを品定めしているというのもおかしな光景だったが、それにしても随分とやつれたみすぼらしい風体の騎士だ。

 まだ若いが、遍歴騎士だろうか。だとしたら旅人には違いない、とクラロスは思ったが、男はクラロスに見向きもせず、支払いを終えるとそそくさと立ち去ってしまった。

「……旅人なら、教えてくれてもいいのに」

「全くその通りだ、旅のひと。最近の騎士はあんな酷い態度を取る奴も居るんだねえ。強盗騎士の類いかな、はは」

 男を追っていた目線を声のした方に移すと、パン屋の店主だった。屈託のない商売顔を向けてくる、初老の男だった。

「……強盗騎士。その可能性は考えていませんでした。もしそうだとしたら、店主は危ないところだった、ということになりますね」

 クラロスは応じる。

「ははは! 違いない! だがね旅のひと、パンの一つや二つ、取られたって構いやしないさ。どうせ硬くて不味いパンだ、すぐに返しに来る!」

 どうやら、店主は底抜けに明るい性分らしかった。ひとしきり笑ったあと、クラロスに向き直りこう言った。

「宿を探していると言ったな」

「ええ、そうです」こんな街だ。宿が無いなどという道理はないだろう。しばし考えたのち、こう付け加える。「快適に眠れる宿を」

「それならある。その路地を行ったすぐに、大きな麦酒エールの看板を掲げた店だ。酒場だが、宿もやってる。この辺りの地区じゃ一番だよ」

 それはありがたい。とにかく今は、美味しい手作りの料理と、快適な寝台ベッドでの休息が欲しい。

「ありがとうございます。大変助かりました」

 クラロスは礼を言うと、パンを一つだけ買って、それから路地に向かって歩き出した。

「良い旅を、旅のひと!」

 店主は相変わらずの笑顔をクラロスに向けていたが、ふと、真顔に戻った。

「……そういえば、あの店にはいま、――」

 その声は、クラロスには聞こえなかった。


 路地を進むと、目的の店はすぐに見つかる。

 その店には、麦酒エールが描かれた古びた大きな看板が掲げられ、その下に店への出入り口があった。扉の脇と路地の間には少し開けた場所があって、馬が二頭繋がれている。そしてそこには、甲冑に赤い外套マントを着た兵士が二人、剣の柄に手を載せて立っていた。こちらに目線を合わせることなく、無言で微動だにせず置物のように直立している。

「……誰か中に居るんだろうか」

 ひとち、兵士の目の前を通り過ぎると、クラロスは何気ない顔で扉を押して中に入った。

 沈黙。

 店の中は静かだった。いや、静かだったのではない、。店の中に居るほぼ全員の目線がクラロスに釘付けになっていることで、それが分かる。

「貴様……っ」

 突如、奥に立っていた一人がそう言って、血相を変えて近付いてくる。何が何だか理解できぬまま、クラロスはあっという間にその人物に剣を突き立てられてしまった。

「な、なんです――」

「なぜ入ってきた! 答えろ!」

 高い声。女だった。見ると、クラロスより少し背は低く、栗色の髪に意志の固そうな胡桃クルミ色の瞳をした若い女性だった。

 簡素だが堅実な甲冑に身を包み、赤い腰帯と外套マントが全身の色調の統一感を高めている。歳は若く見えるが、しかしその表情と眼光からは若者には持ち合わせていない苦労が垣間見えた。

「なぜって……むしろなぜ、貴方は僕にこんなことを?」

 剣の柄に手を伸ばしたくなるのを堪えながらクラロスは尋ねたが、その物言いは相手の怒りを助長させただけだった。

「質問に質問で応えるとは……なるほど、死にたいようだな。店主、済まぬがこの無礼者をこの場で――」

「止めたまえ、アナ=マリア」

 剣の切っ先がクラロスの喉元に触れたところでピタリと止まった。彼女を制したのは店主ではなく、店の奥に座っていた一人の男だった。こちらを振り向きもせず、背もたれに身を預けて背を向けたまま、アナ=マリアと呼ばれた目の前の女武人を制する。

「し、しかし……っ」

「知らずに入ってきてしまったのだろう。剣を収めたまえ。それに、ここの宿は貸し切りという訳でもない」

 反論しようとする彼女を、再び言葉のみで制する。そう言ってから男はおもむろに右手を上げ、顔だけこちらに向けてきた。

「配下が無礼をした。すまない、旅の方」

 それは実に、珍妙な風貌をした男だった。

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混血と、剣戟の音と、翡翠のスタンザ 矢神ケン @okujo-kagi

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