第三話 02 好奇心の権化たる青い宝石 ⑵

 食堂に着いて軽い朝食を摂っていると、兄のドミニクがやってきた。背後に後見役であるモージスを連れて、少しばかり憔悴した顔をしながら大仰な態度でこちらに歩いてくる。

「イヴリンか。おはよう、調子はどうだ」

 ドン、と乱暴に椅子に座りこちらを一瞥すると、ドミニクはそれだけ言った。

「最高よ、とっても。でも兄上はそうではないみたい」

「そりゃそうだ。お前は知らないかもしれんが、俺は忙しいんだ」そう言ってわざとらしくため息を吐いてみせる。「そう、朝食を摂る時間も無いほどに」

 ドミニクがそう言った途端、給仕が食事を運んできたのが滑稽だった。

 兄はどうもイヴリンの前では、勤勉で、有能に職務をこなし、自分の時間を取れぬほどに多忙な領主を演じたがる。それが逆に、浅はかな自らを露呈させていることに気が付いていない。イヴリンは呆れながら、しかし問うた。

「では、朝食を摂って元気を出して。ところで、どうしてそんなに兄上は忙しいの?」

「知らないのか、のことだ」

 耳慣れない言葉がドミニクから発せられ、イヴリンは咄嗟に顔を上げた。

 王都からの客人? 退屈に感じていた兄との会話に、急激に興味を惹かれていくのを感じた。イヴリンの内奥から、むくむくと好奇心が沸き起こってくる。

「知らないわ! なんのこと?」

 務めて興味が無さそうに振舞ったつもりだったが、酷くぎょっとした兄の顔を見て、イヴリンは自分の好奇心を全く隠せていなかったことに気が付いた。

 ドミニクは、妹の興味を無駄に刺激してしまったことに明らかに後悔したようだったが、しかし諦めたように口を開いた。

「……お前、ここ何日か街に出ていたんだろう。見慣れない赤い兵士たちを見なかったか?」

「見たわ。でも、ベリンダに聞いても、街の人に聞いても誰も知らないって」

「それが客人たちだ。なんでも、≪王家の大逆人≫が一人この街に潜伏しているらしく、それを追ってやって来たという。第一王女殿下の直属の私兵たちだそうで、王の認可も得ているらしい」

 ドミニクは苛々したように足を小刻みに揺すった。

「≪王家の大逆人≫がこの街に居るなど聞いていない。しかも、事前の書簡無しに数日前にいきなり街に入ってきたんだ。いくら王の認可を受けた王女殿下の軍隊と言えど、無許可で我がレーン家の領地に土足で踏み入ってくるとは……」

 ≪≫、殿

 突如として耳慣れない言葉たちがイヴリンの耳と心に響き渡った。何かは分からないが、形容できない興奮のようなものが、じわじわとイヴリンの身体に広がっていく。

 どうやら、一度話し出して苛立ちを思い出してきたのか、ドミニクの舌は滑らかに回り出した。

「しかも兵を率いる指揮官の男、胡散臭い仮面を付けているそうだが……無許可で領内に入ってくるならばその日のうちに挨拶に来るのが道理だろうに、未だ出向いて来ようともしない! 出自も分からん貴族かどうかも知れぬ男らしいが、全く、我がレーン家に対して無礼にも程がある!」

 ドミニクがここまで苛立ちを見せるのは珍しいと言えた。普段からその身に合わない威厳を身に纏おうと躍起になって、少なくないストレスを背負っている兄だったが、今日は朝から殊更に神経質になっているようだった。

「その事ですが……」

 遠慮がちに、ドミニクの後ろに控えていたモージスが口を開いた。

 父から兄の後見役に任命されるほどには有能な男だったが、昔から少し自己主張が控えめで、イヴリンの見立てでは歳を取ってそれが余計に助長されているように感じる。

「なんだ」

 苛々を隠そうともせず、ドミニクが応じる。

「街の宿に居るその指揮官の男、ハイル・アララートルと申す者ですが、昨晩ふみが届きまして」モージスは、懐から丸まった上質な紙に封蝋が押された書簡を取り出した。「これに」

 驚いた表情を見せたドミニクだったが、その顔はすぐさま怒りへと変わる。

「なぜもっと早く言わなかった!」

「ドミニク様は昨晩とてもお忙しくされているご様子でしたので……」

 控えめに過ぎるモージスもそうだが、虚栄が見事に裏目に出たドミニクに対しても、イヴリンは呆れるしかなかった。だが、しかし、とても興味をそそられる事態になりつつある。

「くそっ」

 乱暴に書簡を受け取ると、ドミニクは封蝋を破って書簡を広げる。

「えらく上質な紙だな……我がレーン家に対する当てつけか。父上は王都で比類なき名声を得ておられるというのに、舐められたものだ……」

 もはや言いがかりとしか思えない悪態を付きながら、ドミニクは書簡に目を通した。

 イヴリンは自分の身体が自然と椅子から浮き上がるのを感じた。言いようの知れぬ興奮と期待感が、十六歳の心を躍らせ始めている。

「兄上、何が書いてあるの? 教えてちょうだい!」

 書簡から顔を上げたドミニクは、しかし呆気に取られた表情をしていた。

 しばしの沈黙。

 モージスは何も言葉を発さず、イヴリンは固唾を吞んでドミニクの言葉を待つ。

 ようやく口を開いたドミニクは、間の抜けたようにこんなことを言った。

「……どうやら、今日、正午前に我が屋敷に挨拶にやってくるそうだ」

 正午前とは。時計を見る。もうそろそろではないのか。

 ――王家の軍勢を率いて反逆人を捕らえに来た怪しげな仮面の男が、もうすぐやってくる。

 イヴリンの心臓が早鐘を打っている。きっと、いま、イヴリンの『好奇心の権化たる青い宝石』はいつになく輝きに満ちていることだろう。

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