八曜の栄光

今回で『八曜の旗印』本編は一旦完結となります。拙い作品ではありましたが、私なりに全てを出しきった作品だと自負しております。ここまでお付き合い頂き、本当にありがとうございました。








天文七年(一五三八年) 10月中旬 伊賀国壬生野城


「靖十郎様、御戦勝おめでとうございます!」


 俺は壬生野城に帰還すると稍に出迎えられ、勢いよく抱きつかれた。額を腹にグリグリと押し付けてくる。普段はやらないようなことだから、大変不安な思いを抱えていたのだろう。


 俺はあえてさらに押し付けるように稍の後頭部を抱き込み、囁くように『ただいま』と告げた。


 後を追うように延閑丸が存外にしっかりとした歩みで足にしがみついた。俺が脇下と臀部を支えて持ち上げると、無邪気に手を虚空へと振りながら、喜びの舞を見せた。


「そうかそうか、お前も喜んでくれるか、延閑丸」

「帰ったか、靖十郎」

「はい。全て終わり申した。細川六郎も死に、三好が臣従した。六角の覇権に異を唱えるものはもはやおりませぬ」


 公頼が息も絶え絶えにやってくる。おそらく延閑丸の佚楽に付き合っていたのだろう。孫が可愛くて仕方ないらしい。


「それは朗報だな。これで公家の者たちも京へ安心して帰れるだろう。もっとも、麿を含め京に戻りたいと思うておる者は少数だがの」


 困ったように笑う公頼を前に、俺は肩を竦めるしかできなかった。ここの暮らしを余程気に入ったのだろう。


「それで、いかなる仕儀になったのだ?」


 俺は『長くなりますので、茶でも淹れてもらいましょう』と前置きして、自室に腰を据え事の次第を話し始めた。


 総大将に見捨てられた恰好になった細川軍は決死の抵抗虚しく瓦解の一途を辿り、尼子軍に攻勢を仕掛けていた六角定頼率いる部隊が尼子経久を討死に追い込んだことで雌雄は決した。後背に桂川を控えた背水の陣で三方向から挟撃され、もはや勝ち目は残っていなかった。


 戦勝に六角軍が沸く最中、細川六郎が本陣に居ないことに気づく。しぶといやつだ、と俺は素直に思った。半蔵によると若狭方面へと向かう決断を下したと聞き、藤林長門守に後を追うか聞かれたが、無理に追う必要はないと判断する。まずは晴信に川島の戦いの結果、ならびに六郎が丹波方面から若狭へ向かっていることの伝達を最優先にした。


 若狭に逃げ込むとなれば、いずれにせよ晴信が上手く対処するだろうと期待してのものである。俺は後のことを晴信に託し、三好利長と対面した。六郎を逃したことを相当悔いていたようだが、反面その表情は晴れやかだった。


「左近衛権中将殿、どうか三好家を六角家の傘下に迎え入れていただきたい」


 利長はしばらく眉を寄せたまま固まった後、唐突に臣従の申し出を告げてきた。俺が対等な同盟で構わないと告げるも譲る様子はなく、理由を聞いたところ、自分に大恩があるからだと返してきた。そして六角と対等な関係になったとしても、今後何を目的に戦えばいいか見当が付かず、いずれ待っているのは家中に内紛を招き袂を分かつ未来だと神妙な面持ちであった。


 燃え尽き症候群のような形で利長が熱意を失し、三好家中で発言力を失っていくのも好ましくない。再び細川と六角のような構図になって天王山を戦うのは御免である。


 それに、俺を支えるという明確な目的ができ、むしろ以前よりも血が滾っているほどだと瞳を光らせており、断るわけにもいかなかった。


 夕刻に京へ入り後奈良天皇に戦勝の報告をしたのち、御所の一室で一夜を過ごした。翌日に観音寺城で戦勝の報告と宴を行っている中途、細川六郎を葬ったという晴信の報告が入ってきて、観音寺城はさらに沸き立った。


 細川六郎の訃報は、瞬く間に日ノ本中を駆け巡る。細川に与していた諸侯は、金子や人質となる妻子を連れて観音寺城の定頼の許へ媚びに来た。畿内の大半の勢力が六角に膝を屈し、六角の覇権は疑いようのない強固なものとなっている。


 『自分が死んだら足利義晴を葬れ』という六郎の命令は、未然に防げなかった。六郎の死以前に、川島での決戦に負けた報せが届いた時点で手遅れだった。六郎は将軍殺しの汚名と共に冥府へと旅立った。俺は上洛してから今までの道程、そのきっかけを作ってくれた義晴に多少なりとも恩義を抱いていた。幕府が再び武士の棟梁として羽ばたくため、それを下支えしてくれる戦力としての打算が大部分を占めていたことに疑いの余地は無いので、悲嘆に暮れることはなくただ冥福を祈るばかりである。


「将軍家も厳しい立場に立たされたな。細川の差し金とはいえ、幕府内での対立を引き起こした張本人だ。帝も怒り心頭であろう」

「ええ、それはもう怒っていらっしゃいました。あの温厚な帝が歯軋りを響かせたのですから、相当なものです。義維様の征夷大将軍の罷免も示唆され申した。いや、もはや決定事項でありましょうな」

「ほう、幕府の廃止か」

「いえ、代わりに新たな征夷大将軍を任じたいとの仰せでした」

「どうやら私を征夷大将軍としたいと。随分と買ってくださるなと思い申した」

「それは名誉な事だ。受けるのだろう?」

「いえ、今は保留とさせて頂きました。義父上も健在ですから、いずれ家督を継ぎ、日ノ本を平穏に導いたのちに、と」

「ほほほ、息子が征夷大将軍になるなど、これ以上嬉しいことはないわ」


 公頼は素直に心境を述懐する。


「ですから暫定、と」

「お主はもう弾正少弼殿と共に天下を統べる者として、帝が直々に名指しなされた身なのだ。なれなんだとすれば、お主が下手を犯して討死にでもした時くらいだ。そのような未来は望んでおらぬはずだ」

「無論にございまする」

「ならば胸を張れ。暫定であろうとなんであろうと、お主はもう『天下人』だ」


 そう言われて、俺は少し目頭が熱くなってしまう。天下の平穏を目指す身として、これまでやってきたことが全て認められた気がした。


「涙など仕舞うておけ、と言いたいところだが、ここで左様なことを申すのも無粋よな」


 公頼の言葉に反応してか、稍が突然襖を開けた。稍の性格からは少しかけ離れた乱雑な扱いである。


「靖十郎様、涙なら私の前で流してください」

「ほほほ、娘に嫉妬されてしもうたわい」


 キリッとした目で公頼を睨むが、全然怖くない。そうか、嫉妬か。うい奴め。俺は思わず笑ってしまった。


「ああっ、涙が止まってしまってます……」

「男は女に涙を見せないものなんだ」

「私も靖十郎様の弱気なところを包み込んであげたかったのに……」


 露骨にしょんぼりした様子を見て、俺は益々胸がキュッとする感覚を覚えた。これが愛しさ、というものなのだろうか。


「ありがとう、稍。勇気が湧いたよ」

「えっ? 私何もしてません……」

「いるだけで嬉しいんだ。延閑丸もな」


 床に倒れ込んでこちらを覗き込む延閑丸を手招きすると、満面の笑みを浮かべて駆け寄ってきた。この幸せな現在が、日ノ本の民全員に享受できるような世に。まだまだ障壁は多く立ちはだかるだろう。でももはや夢物語ではないのだ。


俺はこの日ノ本に平和な未来が訪れることを夢想して、頬を綻ばせるばかりだった。



   おわり

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【リメイク版】八曜の旗印 加賀守護三男転生記 縞杜コウ/嶋森航 @Kiki0914

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ