星落としの神

海沈生物

第1話

 地球は暗黒だった。ドラッグが救世主となり、密売人が神と崇められ、そして真なる神はただの快感すらない紙切れであると笑われた。いつからこんな世界になったのか分からない。しかし、そうなってしまったのなら仕方ない。

 私は祈った。どうか私の現状を救ってくれる、本物の神が降臨することを。だから、神はやってきた。天からの後光の中、私の目の前に降り立った。彼女は問う。


「貴女は何を望むか?」


「世界を……この地球を、滅ぼしてほしいです」


「なるほど、承知した」


 それだけの会話だった。次の瞬間、手に持っていたラジオからノイズのかかった声で聞こえてくる。


『数万個もの隕石が、突然軌道を変え、地球へとやってきています!』


 目が出るほど驚いた。落ちた目を拾い上げると、目の前の神を見る。


「本当に神様だったんですね」


「逆に神様じゃないと思っていたのか?」


「キリストでも、もう少し”なすべきことをなせ”ぐらいの意味深な言葉を投げかけてきますよ」


「”なすべきことをなせ」


「もうなしましたが」


「おぉ、そうか」


 神らしい雰囲気なのに、どこかポンコツ感が否めない。神は人の信仰の結晶というし、まぁ現代のドラッグまみれの人類の集合的無意識が生み出したのなら、こんなものになるのだろうか。その変なポンコツさに、つい久しぶりに笑いをこぼしてしまう。笑いは止まらない。ずっと止まらない。なんでこんなに楽しいのだろう。壊れたおもちゃの人形みたいに、アハハ、アハハ、と笑う。自分でも狂っているのが分かっていたが、それでもドラッグでいつでも気持ちよくなれるのとは違う、この笑いがどこか特別であるという薄い確信がそこにあった。そんな私の姿を、神は真顔で見つめている。


「今世界を滅ぼそうとしている神が言うのもなんだが、人間という生き物は面白いな。地球の終わりを前にしても、笑える精神があるのだなんて」


「ふひひ……別に……ひひっ……ドラッグで腐敗する……ひっ……よりも……ふふっ……マシな死に方ができそうだから……ひひっ……だけ……ふひひ」


 そう言いつつ口から漏れる唾液を服の袖で拭こうとすると、神は無から取り出したハンカチで拭き取ってくれた。やっと収まってきた笑いに呼吸を整えると、一切表情を変えていない神の姿に溜息をつく。


「ありがとうございます。……でも、神なんですから、ただの一人類のことなんて気にしないでください。もう終わっている今の多くの人間にとっては、死こそが救済なんですから」


「そう、なのか。……ただ、私も人々から生まれた存在だ。神はデウス・エクス・マキナではないが、”都合の良い存在”なのだ。私が今求められるべきなのは、過去のような超然とした姿ではない。きっと……一人の人間に対して情を持つような、そんな人間じみた姿なのだ」


 彼女は「隣で座っていても良いか?」と問うてきたので、「神に言われたなら、拒否する権利がありません」と笑う。ギュッと手を握られる。こういう時、人間であるなら「温もり」が存在する。しかし、彼女は神であるせいかそこいらに落ちている石のように冷たい。そのどこまでも続く冷たさが、かえって私には良かった。


「神様は……人が死んだら、どうなるんですか」


「さぁな。そもそも、私は神であるかすらも怪しい。もしかすれば、ドラッグでおかしくなった貴女が見ている幻覚であるかもしれないし、実在する神なのかもしれない。貴女が信じるのなら、そこに私という神がいるのだろう」


 ふっと空を仰ぐと、遠方に小さな隕石が落ちていくのが見えてきた。あれが第一号だろうか。小さな隕石一つでも教室を吹き飛ばす力があると聞いたことがあるし、あれがぶつかった場所にいた人間は、今頃跡形もなく消えているのだろう。そこに、幼い頃の私をドラッグ漬けにした人間も、きっと。私は目をつむる。


「私は……今ここにる神を、信仰します。だから……その……全てが終わる瞬間に、キス、してくれませんか?」


「なるほど、別にいいが……良いのか? 神にキスをするなど、背反行為なのではないか?」


「だったら、ちょうど良いんじゃないんですか? 何教なのか知らないんですが、貴女を信仰する宗教の教徒は神にキスをしなければならない……ってことにしたら」


「ふむ、唯一の教徒である貴女がそれを望むのであれば、それもありか。……良いだろう。貴女が死ぬ瞬間、キスをする」


 ありがとうございます。その言葉を言おうとした時には、もう口が塞がっていた。全てが終わる瞬間、何の味もしない、初めてのキス。これが人ならざる者とのキス。快感もない、ただの石とキスをしたかのような。唇が離れる瞬間も分からないまま、私は皮膚の焼ける痛みに荒げる声も出ないでいた。

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