第5話 トロギロスとレガトゥス・ランフォリンクス 「そ、そんなの無茶だよ、軍団長さん!」

【やれやれ……幾ら大気に干渉してもこの型の惑星の分厚い雲の中を急速浮上するのは骨が折れるんですよ。まあ、この高度まで来れば大分楽ですが】

 何とか巨大な宇宙船の影に追い付いたレンカの通信機にどこか冗談めかした口調の、宇宙戦艦の艦長(?)の愚痴が聞こえてきた。

【可能ナら・母艦ノ存在ハ・秘匿しテおキたかった】

 これは最初の翼竜型の生物の声だ。

【最初に発艦したのは戦隊指揮官殿では? この惑星の北極点に近い座標から赤道付近まで一気に突っ切って行くとは、なかなかの強行軍ですよ。被膜の損傷率は如何ですか】

【軽微ダ・問題ない】

「ケガをしたのっ!?」

 ブリオティッサを全速力で加速させ、何とかカンディア上空を飛翔する翼竜型の生物の方に追い付いてレンカは、思わずそう叫んでしまった。

【――何故・追随しテ来る!】

 翼竜型が声を荒げたが、レンカは怯まなかった。

「私はカンディア総督(ドガレッサ)だよ……ですっ! 貴方たちが何者かは解らないけれど……カンディア市民を救助しようとしてくれているのを黙って見ていることなんて出来ないっ!」

【職務の問題・でハない。状況は切・迫していル。二度モお前ヲ・救助する余裕はなイ】

 レンカがなおも言い返そうとすると、今度は「艦長」が落ち着いた声で翼竜型を諫めた。

【レガトゥス・ランフォリンクス(軍団長ランフォリンクス殿)、総督閣下には帯同していただいても問題ないでしょう。確実に救助対象を確保するのには、動員できる戦力は多いほうが宜しいかと】

「あ、ありがとう! 艦長! ご理解ごと協力に感謝します!」

 喜ぶレンカ。だが、その直後に「艦長」が言った内容を聞いて顔色が変わった。

【こちらこそ。総督閣下のその推力なら、先程のように余分な重量がなければ十分に動けるでしょう。そもそも、上手くいけば私が艦を掬い上げた時点で目標は完遂出来ますから】

「掬い……あげる? え、そんな、まさかっ!」

 この時点では、レンカはこの正体不明の生物と宇宙艦がどうやって落下していく海賊船の中から残った海賊を救助するのか理解していなかった。

 そして、彼女が艦長の言葉の意味を理解した時には、軍団長と艦長は救出作戦の最終段階に入っていた。

 まず、<トロギロス>と名乗った艦の巨大な影が海賊船の真下に入り込む。続いてトロギロスの艦長によれば<レガトゥス・ランフォリンクス>という名前らしい翼竜型の生物が海賊船の上空に移動、レガトゥスとトロギロスが海賊船を挟み込むような位置関係が成立する。

『二時方向。高度一六〇〇m上――軸ハ・合っタ』

 レガトゥスからの誘導に従って、カンディアの雲の下の巨大な影がその巨体からは到底信じ難い、それこそ慣性をほとんど無視した挙動で位置を調整する。この段階では落下して行く海賊船の真下は完全にトロギロスの巨大な艦影に覆われていた。

『最低速度デ・浮上開始』

 レガトゥスの命令の意味はレンカにも理解出来た。彼らは、落下していく海賊船をトロギロスの艦隊で受け止めてそのまま浮上するつもりなのだ。だからこそ、海賊船がトロギロスの上に着底した時の衝撃を少しでも和らげるために、減速をかけた上で浮上するつもりなのだろう。

 だが、カンディアの分厚い雲を突き破って遂に姿を見せたトロギロスと名乗る宇宙艦の姿はレンカの理解を越えていた。

「こ、これが貴方たちの船……?」

 レンカは思わずレガトゥスを見る。

 トロギロスの外観はレンカが想像していたような航宙艦とはまるで異なっていた。

 その艦隊の表面は装甲板というよりは、甲殻や盾鱗と表記した方が適切なものに覆われていた。各所に除く管はパイプや配線というより血管や葉脈であり、艦体の各所に突き出した突起はアンテナや砲塔ではなく棘皮であった。艦首には硬質な輝きを持った長大な角が伸びている。

 それでいながら、背面に突き出た山嵐のような突起の先端や、舷側に空いた黒い孔の中で不気味な光が明滅する様はどこか機械的な印象も与え、それが却ってレンカには恐ろしく、全身に悪寒が走りガチガチと歯が鳴るのを彼女は抑えきれなかった。

【ああ、驚かせてしまい申し訳ありません。一般的な知的生命体の方からすると見てくれの良くない容姿であることは承知していますが、如何せん緊急事態なもので、ご容赦いただければと】

「い、いえ! こっちこそごめんなさい!」

 それだけに、ブリッジか戦闘指揮所(それがこの異形の艦体の何処なのかは想像もつかないが)で指揮を執っているであろう「艦長」の穏やかな声は安心できた。考えてみれば<レガトゥス>の方からして明らかに人型ではないのだから、今更驚くのは可笑しい――そう自分に言い聞かせようとして、レンカはあることに気づいた。

「どうして……わかったの、かな?」

 トロギロスの気遣いは、レンカの細かい表情の変化まで見ていたからとしか思えなかった。だが、何故あの巨大な艦に乗り込んでいる筈の<艦長>にレンカの様子が分かったのだろうか。

確かに、トロギロスがカンディアに潜行していたという一事だけでも、レンカたち人類を凌駕するテクノロジーで作られた艦であり、搭載されているカメラのようなものも相応に高性能なのだろうとは想像できた――が、これはどうもそういう問題ではなさそうだ。

 そこまで考えた時、レンカは気付いてしまった。

 トロギロスの舷側に輝く光点の内幾つかが、自分の方に向けられていることを。

 まるで――直接レンカを見ているかのように。

 だが、彼女の感情は理性が理解した事実を受け入れるのを必死に拒否し続けていた。

「まさか……」

 レンカの表情がひきつる。

 そう、「トロギロスの艦長」など最初から存在しなかったのだ。レンカがずっと言葉を交わしていた相手はこのトロギロスと名乗る巨大な宇宙生物そのものだったのだ。

【改めて自己紹介をさせいただきましょう。私は第三八九六七艦隊分遣隊旗艦トロギロス。そして私を誘導してくださっているのが同分遣隊の戦隊指揮官であるレガトゥス・ランフォリンクス殿です。お互い短い邂逅でしょうが、お見知りおきのほどを】

 呆然となるレンカの通信機に、今度はレガトゥスに声が飛び込んで来た。

『一二番ト七番の・気象制御棒を自切! 船体ニ・接触スるぞ!』

 慌てて眼下を確認するレンカ。彼女にも、レガトゥスの警告の意味はすぐに理解できた。海賊船の落下コースに、トロギロスの背面から屹立する山嵐の棘のような突起が突き出ていた。

レガトゥスの発した<気象制御棒>という呼称を信じるなら、先端部で有機的な光を脈動させるそれはトロギロスが巨大氷惑星という極限環境で潜行や巡行などの活動を行うためにカンディアの分厚い大気と暴風に何らかの干渉を行っていた器官なのか。

 とにかく、制御棒は一本だけで海賊船の全長を越える長さがあり、このまま海賊船がそれに接触すれば、制御棒の強度にもよるだろうが船体が真っ二つになる可能性もあった。

 しかし、レンカは納得出来なかった。

「そ、そんなの無茶だよ! 軍団長さんっ!」

 この命令を通常人類が使用する船、この場合は旧型だが帆船に置き換えてみる。

 それは、このままだとマストがヘリコプターにぶつかりそうだから船員総出で斧でも使って急いで切り倒せという命令に等しく、仮にそれが可能だとしても船自体に大きな損害を与える乱暴な命令だとしかレンカには思えなかった。

『何ヲ・言っテイる? お前ハ・あノ船に乗ってイる連中を・救助しタいノデは・ないのカ?』

 一方のレガトゥスは、理解出来ないとでも言いたそうな目つき(少なくとも視線を向けられた当の本人はそう感じた)でレンカを見た。

【ううっ! ぐっ……!】

 言い返そうとしたレンカを遮るように、突然トロギロスが呻き声(少なくともレンカにはそう聞こえた)を発した。

「か、艦長さんっ!」

 レンカの心配そうな視線がトロギロスに向けられる。

 実の所、レンカはトロギロスのその声を聞いた時、何か不自然な印象――ある種のわざとらしさのようなものを感じた。

 だが、それはレガトゥスやトロギロスが――何故そんなことが可能なのか、その理由は不明だが――彼らにとって異質な言語である筈のレンカたちの言葉を話しているせいでそう聞こえたのだろうと自分を納得させ、深く考えなかった。

【そ、総督閣下のお気遣いには感謝いたします……ですが、この救出活動に干渉したのは我々です。制御棒の自切が私に取って大変な苦痛であり、再生のために折角この巨大氷惑星で艦体に蓄積させた水やヘリウムやメタンなどの必須元素を大量に消費しなければならないとしても、ここで渋って全てを無駄にする訳にはいかないのです!】

「か、艦長さん……」

 トロギロスの気概を聞き思わず目を潤ませるレンカ。

【ぐっ……うっ……むんっ!】

 トロギロスの妙に気合いの入った声が響くと、トロギロスの背中に並んでいた棘の内二本が、先端の輝きを消失させる。次いでその根元が濃緑色の液体を撒き散らしながら破裂し、二本の棘がトロギロスの背面から切り離されたかと思うと、まるで朽ち果てるように急速に細かい粒子に分解され、巨大な艦体の表面に飛散して行った。

 そして、数秒後には刺がなくなることで安全になった位置を通過して、海賊船は無事トロギロスの巨大な背中に着底したのであった。

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