第3話 卑劣なる船長の罠 「今更見捨てるなんて出来ないよっ!」

 海賊船に接近し始めてすぐに、ブリオティッサの計器が警告を発し始めた。つまり、それだけ海賊船は危険な高度にまで落下しているということだ。

 そして、レンカ自身もカンディアの引力の影響で、明らかにTDの機動に影響が出始めていることを全身で感じていた。

「重い……!」

 それでも、レンカが士官学校時代に培った技術を駆使してブリオティッサを操り何とか船体に近づいて行くと、船体の表面に宇宙服を着た乗員たちが集まり、必死に手を振っている光景が目に入る。

「オルセオロ艦長が無線で私が救助に行くことを知らせてくれたんだね……良かった」

 そうレンカが呟いたとき、それに答えるようにオルセオロ艦長が専用回線で呼びかけて来た。

『総督閣下、海賊たちによると現在あの船に乗っているのは一九名とのことです!』

 それを聞いたレンカは、素早く甲板の上にいる人数を数える。

「甲板の上に一五人……、一度に牽引できるのは、この高度だとブリオティッサでも十……ううん、九人が限度だよね……」

 最初に救助した九名を、安全な高度で味方に救助してもらった上で再度降下するという二往復が必要なことを考えれば、全員を救助するのは限りなく不可能に近いことは、レンカも頭の片隅では理解していたが、彼女は頭を振ってその考えを追い払って船体に着地する。

 続いてレンカは、ブリオティッサの左右のアームの掌に当たる部分から牽引の際に謝って物体を切断しないよう表面をコーティングされた単分子ワイヤーを三本ずつ、船体表面の装甲に向けて射出する。

 すると、先端のピックによって船体に一旦固定されたワイヤーに乗員たちが次々と掴まり始めた。

『一本のワイヤーには三人までだよ! それ以上は牽引し切れないの! 怪我をしている人を先にしてあげて!』

 海賊という割に統制は取れている集団なのか、短い相談の上で選ばれた九人が前に進み出た。その内三名はかなりの重症であり、仲間が手助けして宇宙服にワイヤーを固定する。

 他の六名も同じようにしたのを確認したレンカはワイヤーの先端を固定していたピックを引き抜くと、船体から離陸するため、ブリオティッサの下半身を大きく沈ませた。

 その時だった。突然、小さな爆発と共にブリティオッサの前方の甲板にあったハッチが吹き飛ぶ。

 その衝撃でブリティオッサはバランスを崩し、片膝をついてしまう。

「今は1秒でも時間が惜しいのに……!」

 時間を無駄にしたことに焦りを感じつつも、即座にブリオティッサの体勢を立て直したレンカだったが、続いて吹き飛んだハッチの中から現れたものを確認すると、訝しそうな表情を浮かべた。

「スラスト・ドレス……? まだ船内に残っていたの?」

 それは他の海賊たちがつかっていたのと同じゲラペトラだった。だが、不自然なことにこの状況で戦闘に参加していなかったのか無傷であり、その背部には通常のスラスターに加えて大出力のブースターユニットが装備されている。

『せ、船長……!』

 救助に当たって細かいやり取りをするためにオープンにしてあった回線を通じて、仲間に先を譲った海賊の一人がそう叫んだのがレンカにも聞こえた。

『へ、ヘヘヘ……この大騒ぎの最中に、何処に行っていたのかと思ったが、そいつを準備していてくれたんだな! ありがてぇ……これで全員助かるぞ!』

 ワイヤーを仲間に譲って甲板に掴まっていたその海賊はこれで救われたとばかりに宇宙服の推進装置を使ってそのゲラペトラへと近づいて行く。

 ゲラペトラの方も心得たとばかりに、拳を握ったままの右腕をその海賊の方に向け、その拳の先から何かを発射した。

 その何かは、発射された直後に空中で破裂して無数の煌めく細片となって、ゲラペトラに駆け寄ろうとした海賊へと降り注ぐ。

 仲間の海賊たちの眼前で、細片を浴びた海賊の宇宙服のヘルメットには小さな穴が無数に開く。続いて無数の細かいヒビが走ったことで、白く染まったヘルメットを、内側から飛び散った血液が赤く染め上げた。

「え……」

 呆然となるレンカ。やや遅れて、ゲラペトラが放ったのが軍用のTDに装備されている、対人用の散弾を発する兵器であることに気付く。

 そのレンカの眼前を散弾でヘルメット以外も穴だらけになった宇宙服が、ゆっくりと漂い、カンディアの方へと流されていった。

 その間にもゲラペトラは、残った散弾をまだ甲板に残っている海賊たちに向けて無造作に打ち尽くす。そして、甲板に残っていた六名を始末したのを確認すると、ブリオティッサにバイザータイプのカメラアイを向け、オープン回線でレンカに呼び掛けた。

『……余計な事をしてくれたな』

 一見冷静な中にも、自分の邪魔をされたこちに対する苛立ちを多分に含んだ男の声が言う。

『そのクズ共はここでカンディアに始末させる予定なんだがな……』

「貴方、何を言っているの!? この人たちは貴方の仲間でしょう!」

 そう叫んだレンカに、ゲラペトラは散弾を放ったのとは反対側の腕を向けたが、思い直したようにその腕を下ろし、先ほどのレンカと同じように海賊船から離陸する姿勢を取った。

『軍の新型か。弾の無駄だな。それに、この高度ならもう十分だろう』

 そう吐き捨てたゲラペトラの着用者は、背面に装備されたブースターに点火、発射台となった海賊船の船体を、ブースターの噴射の反動で大きく傾かせながら海賊船から離陸すると、徐々にカンディアの引力を振り切って高度を上げ始めた。

「……! 自分だけ逃げるつもりなのっ!」

 絶叫するレンカ。

 しかし、彼女に出来ることは何もなかった。両手は生き残った海賊たちの掴まっているワイヤーで塞がっているし、そもそも今回は発艦に当たって余分な重量を減らすため通常ブリオティッサに搭載されている兵器もすべて取り外した状態だったからだ。

『一つ忠告しておいてやろう。お前のTDに無様にしがみ付いているクズ共はさっさと捨てろ。そいつらと心中でもしたいのなら別だがな、アハハハハハハハッ!』

 ゲラペトラの装着者はそう嘲笑すると、完全にカンディアの引力圏を脱出したTDをブースターの残りの燃料で一気に加速させ、周囲に展開していた軍のTDや艦艇の攻撃を振り切って、あっという間に駆逐艦のレーダーの範囲外へと逃亡していった。

「許せない……こんなの絶対許せないよっ!」

 目の前で行われた非道に憤りつつも、今は人命救助が優先であると自分に言い聞かせたレンカは、今度こそスラスターを全開にして海賊船から飛翔する。

 ブリオティッサのスラスターの出力ならまだカンディアの引力から逃れられる、そう信じていたレンカだったが、その想いは上昇を始めてから十数秒後に全身を襲った強烈なGと、耳障りな警告音と共に視界を埋め尽くすように投影された警告表示に打ち砕かれた。

「まさか、さっきのブースターの噴射で船体が更に降下したから……!?」

 海賊の船長は、最後まで抜かりのない男だった。自身のTDを飛翔させる際のブースターの衝撃で、駄目押しのように用済みとなった海賊船の高度を更に下げさせていたのだ。

 この高度まで船体が沈んでしまうと、最早ブリオティッサの推力でも救助した海賊たちという余計な重量を抱えたままではカンディアの引力を脱出することは不可能となったことをレンカはようやく理解した。

「……!」

 レンカが思わず、ブリオティッサのワイヤーに掴まっている海賊たちを見下ろす。すると、海賊たちも飛翔したブリオティッサの高度がなかなか上がらないことに不安を抱いたのか、一斉にレンカの方を見上げた。当然ながら、彼らの顔は宇宙服のヘルメットに覆われていてその表情までは伺えないが、彼らが今どんな表情でいるかは、レンカにも容易に想像できた。

「出来ない……! 今更見捨てるなんて出来ないよっ!」

  クレタ本国でも屈指の名家・エリアーシュ家の嫡男で現在は本国勤務の将官である父と、古くから続く大商社の一人娘である母の間に生まれたレンカだったが、それだけに幼い頃から人の上に立つものとしての心得を叩き込まれており、例え本国に運ばれる資源を強奪して生計を立てているような海賊たちが相手であっても、この状況で見捨てるようなことは出来なかった。

「お願い……っ!」

 顔を真上に向けて、必死に上昇しようとするレンカ。

 しかし、彼女の奮闘も空しくブリオティッサの高度はじわじわと下がっていく。すでに絶望的な高度にまで落下し、ブリオティッサの遥か斜め下方に辛うじて見えるだけとなった海賊船の方も、大気圏突入に伴う加熱が始まり、船体下部が赤く燃え始めていた。

「上がってえええっ!」

 レンカの絶叫も空しく、遂に推進剤を使い果たしたブリオティッサがバランスを崩す。そのせいで頭をカンディアに向けた逆さ吊りの状態で落下する羽目になったレンカの視界一杯に、今まで恐怖心に捕らわれまいと必死に目を逸らしていたカンディアの表層大気の青が広がった。

 上層大気に広がる雲の細部の形状や模様が徐々にはっきりとして来るのが、レンカに耐えがたい恐怖を与える。

「い、や……」

 そして、耐え切れなくなったレンカが遂に絶叫を上げようとした時――彼女の真下に広がる雲の中からそれは現れた。

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