第2話 眼下の影……「熱源反応? 海王星型惑星に生物なんている訳がない!」
『――総督閣下! 無茶です! 思い止まってください! 確かにその新型なら低高度からでも、カンディアの引力から脱出できるでしょうが、そもそもTD一機で何をなさるおつもりか!?』
数分後、デスピナのTD格納庫にて、自身の専用機である純白のTD<ブリオティッサ>を装着したレンカは、艦内放送用から響くオルセオロの制止を無視して自身の頭部の周囲に投影されたデバイスを、流れるような指の動きで素早く操作して発艦準備を進めていた。
レンカがモニターの表示を読み取るために忙しく頭を動かすたびに、うなじの所で一本に纏められた三つ編みが激しく揺れる。
レンカは先程まで戦闘指揮所で身に着けていた、略式とはいえ様々な装飾が施された礼服とギャリソンキャップを格納庫で脱ぎ捨てて、TDの装着に必要な専用のスーツとヘッドギアだけを身に着けた姿になっていた。
格納庫にいきなりインナー姿で現れたレンカの美しく整った顔立ちと、レンカの年齢にしてはかなり均整の取れた肉付きの良い肢体に、何人かの整備員が一瞬見とれていたのに幸いレンカ自身は気付いていなかったようだ。
『その機体には通常より多い作業用単分子ワイヤーが装備されているようですが、まさか輸送艦をTD一機で牽引するとでも言うのですか!』
大抵のTDには作業用のワイヤーが装備されている。この時代に実用化されているそれは、ワイヤー全体が単一の分子で構成されているために極めて細く、それでいて絶対に切れることがない頑丈さを誇る優れものではあるが、いくらワイヤーそのものが切れなくても、それを牽引するだけの力――この場合は出力がなければどうしようもない。
「海賊船の船体を牽引するのは無理ですよね。だから、乗員だけを牽引します」
彼女のやろうとしていることが解ったのか、オルセオロが息を呑んだのがレンカにも分かった。
それは簡単にいえば「電車ごっこ」のようなものだ。長いワイヤーに、海賊船の要救助者を数珠つなぎに捕まらせて、それを彼女のTDで牽引して安全圏まで離脱する訳である。
『無茶だ! あの船に何人いるかも把握し切れていないのですよ!?』
「とにかく、助けられる人だけでも助けます! ハッチを開いてください!」
カンディア総督であるレンカの立場は公式にはこの場にいる誰よりも上位だ。整備班もレンカの命令に従うしかなく、やがて格納庫内の減圧が開始され、レンカのブリオティッサを乗せたカタパルトの先のハッチが開く。その先に広がっていたのは漆黒の宇宙空間ではなく、どこまでも青いカンディアの空であった。
「レンカ・エリアーシュ、ブリオティッサ発進します!」
その掛け声と同時に、カタパルトがブリオティッサを加速させ高速でカンディア上空へと射出した。
「くっ……」
レンカの表情は苦痛に歪む。
傍目には、四肢のみがパワードスーツの装甲に覆われ、身体が剥き出しのように見えるレンカのTDだが、実際には身に見えない特殊なフィールドが露出した部分を次元的に隔絶させており、その強度と安全性は全身を完全に装甲で覆う通常タイプのTDより遥かに高い。
当然、着用者の生命時に直結する保温や気圧の維持、そして耐G機能も通常のTDよりワンランク上の性能だが、やはり最大出力での射出の負担は相当なものだった。
だが、レンカは何とかそれに耐えてスーツを操作すると射出時には閉じていたブリオティッサのスラスターを翼のように展開させ、同時に姿勢制御用のテイルスタビライザーを作動させた。
ブリオティッサのスタビライザーは、多関節からなる鎖のような形状で一旦起動すると文字通り生き物の尻尾のように見える。
だが、レンカが着用している状態でのそれは、レンカの腰の真後ろにあるバックパックから伸びているせいで、まるで着用者であるレンカのお下げがそのまま巨大化したような印象を見る者に与えた。
その『お下げ』をなびかせながらブリオティッサは更に加速。海賊船へと取り付くために高度を少しずつ下げていく。
この間、レンカは視線を遥か前方で少しずつカンディアに落下しつつある海賊船に据えており、眼下のカンディアには全く注意を払っていなかったのだが、突然レンカの顔の前に赤い枠の空間投影画像が出現し、警告が表示された。
「熱源反応? ……真下!? こんな時に故障しないでよ!」
その情報を読み取ったレンカが、思わず叫んだのも無理はない。
ブリオティッサのレーダーがレンカの遥か真下、つまりカンディアの大気圏上層部に何らかの移動する物体があると告げたからだ。カンディアは巨大な氷惑星で生物は勿論何らかの物体……例えば宇宙船などが存在できる環境ではない。そこにあるのは陸地ですらなく、分厚い大気と凄まじい嵐だけだ。
それでも、スペースデブリなど万が一の可能性を考えてレンカは視線を下に向ける。すると、大分カンディアに接近しているせいかカンディアの上層大気に発生した白い雲がはっきりと認識出来た。
続いて、レンカはTDの外部カメラで拡大した映像を、目の前に投影させたモニターに映し出させる。
「影!? ……なあんだ、雲の影かあ」
何のことはない、高度の高い位置に発生した白い雲が、それより下の高度にある青く不透明な雲の上に落としている「影」がモニターに映し出されただけであった。
だが、安堵したレンカがモニターの映像を切ろうとした瞬間、今度は間違いなく雲ではない影がTDのカメラに捕らえられた。
「えっ!?」
レンカが見たのは、丁度高い位置にある白い雲が途切れて、その下の高度の青い雲がのぞいている部分を、絶対に雲ではない別の形をした「何か」が横切る様子だった。
「今のは……何?」
レンカは蒼褪めた表情で、記録された動画を一時停止させる。決してレンカの見間違いではない証拠に、数コマではあったが間違いなくその「影」はTDのカメラに記録されていた。
「こっちの太くて長い部分が首なら……これは翼? それに、尻尾まで……」
奇しくも、レンカのブリオティッサのように翼を広げ、長い尾をなびかせているように見えるその影は水鳥のように、あるいは遥か古代の地球の存在した翼手竜の類のように長い頸らしきものまでついているように見えた。
しかし、レンカがそれをもっと確認しようとした時、彼女の目標である海賊船はすでに視認できる距離まで近づいていた。
「駄目……今はこっちに集中しないと!」
レンカはそう自分に言い聞かせた。
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