カンディアの風に吹かれて

いぬのべろにか

第1話 総督、カンディア低軌道に舞う!「私が出ます!」

 その惑星系の中心である恒星は、恒星間探査で初めて発見された際に人類によってMT98261という素っ気ない名前が付けられた。

 有人探査の結果、この恒星を中心とする惑星系には残念ながら人類がそのまま生活できるような地球型惑星は存在しないことが明らかになる。

 しかし、同時にこの星系に存在する木星型惑星や天王星型惑星の有する各衛星には有用な資源が大量に眠っていることも判明した。

 そして、ある国家勢力がこの星系を領有し、主要な衛星に資源採掘基地が建設されるようになると、彼らは、かつて母星である地球に存在した古い都市の名前をこの星系に冠するようになり、まず星系全体を<アバノ・シヴリト>と呼んだ。

 また、その大きさや質量、構成物質に加えて大気に含まれる化合物の影響で異様に青く見える外観など太陽系における第八惑星、すなわち海王星に酷似した天体であったアバノ・シヴリト第六惑星は<カンディア>、更に研究施設兼資源採掘基地が建設されたカンディアの第三衛星は<イラクリオン>と名付けられた。


  ***


 カンディアは青い惑星だ。

 しかし、その青さは低軌道まで接近すれば地球のそれとはまるで違う「青」であることが解るだろう。その表面には、豊かな生命を育む陸地の茶色も、森林や草原や山の緑も存在しない。

 ただ全てを自身の色に塗りこめ、深い深淵の底へと飲み込むような、恐ろしく深い青色が表面の大半を覆い尽くし、僅かに存在する雲。

 そして、地球型惑星のそれとは桁の違う余りにもダイナミックな大気の循環を示す薄暗い大暗班の陰影が、却って惑星自体が巨大な生物ででもあるかのような不気味な印象を与える。

 そのカンディアを背景にして三隻の宇宙艦が、一隻の宇宙貨物船を包囲しつつあった。

 敵味方合わせてたったの四隻では、艦隊戦という表現を用いるのは不適当かもしれないが、つい先刻まで紛れもない戦闘が行われていた証拠に輸送艦の方は、船体表面の装甲に光学兵器による弾痕やミサイルによる爆発痕などが隙間なく刻まれ、艦自体が致命的な損傷を受けていることを物語っている。

 また、艦の周囲には直掩に当たっていたらしい軌道作業用パワードスーツであるスラスト・ドレス(thrust dress……通称TD)の旧型モデルである<ゲラペトラ>が数着、無残な残骸を晒していた。

 一方この輸送艦を、カンディアを背にさせる形で取り囲んでいる旗艦と思しき駆逐艦と、二隻のコルベットは多少は戦闘による損傷が見られるものの、その程度は相手の艦に比して遥かに軽微であった。

 艦体の直掩に当たる新型パワードスーツ<イェラペトラ>の部隊もほとんど損耗しておらず、油断なく手に持った突撃銃を敵艦に向けている。


 ★


「総督の初仕事としては、いささか物足りない大捕り物でしたな」 

 駆逐艦<デスピナ>の戦闘指揮所にて、艦長であるアントニオ・オルセオロ大佐がそう呟いたのを聞きとがめたレンカ・エリアーシュ第十一代カンディア総督は思わず相手を睨みつけずにはいられなかった。

 イラクリオンはクレタ連邦の他の植民地星のように、独立した自治権を与えられている訳ではないが、非地球型惑星に建設された資源採掘基地としては最大規模であり、採掘に従事する作業員に加え、基地の管理保全要員や研究者もそのほとんどが家族ぐるみで移住することが多い。

 最大の基地であるノース・ハニアには教育施設や豊富な娯楽施設など人間の営みに必要なものがほとんど揃っているだけでなく、常に一個艦隊が駐留している。

 それでも本国からの扱いは、いわば規模の大きな鉱山都市のようなものであり、またイラクリンで生活する人々の、自分たちの立場に対する認識もそれに準ずるものであった。

 つまり、カンディア総督とは中央から派遣される採掘基地管理官であり、総督という単語が本来意味するほどには、高度な政治的軍事的技量を要求される地位ではないとはいえた。

 とはいえ、責任者が総督という名を冠せられるのにはそれなりの理由もあった。『本来の総督ほどには』ということは、正規の総督に必要な経験の一端は積むことが出来るということである。

 それは将来的にはクレタが島宇宙の各星系に保有する植民地を管理統括する本物の総督になることを期待される高級将校や政治家、それに財界人などエリート層の子弟のキャリア形成にとって好都合であると見做されていたのである。

 本国でも屈指の名門士官学の飛び級での卒業に加え、軌道作業用パワードスーツの操縦技術の学科では主席という輝かしい実績を残したとはいえ、まだ十代後半の少女に過ぎないレンカが、カンディア近海の宙域に出没する海賊の捕縛作戦に、名目上の最高責任者として居合わせているのはこうした理由によるものであった。

 だが、レンカがオルセオロ大佐に反感を感じたのは大佐の態度が原因ではない。   

 オルセオロ大佐とて一兵卒からの叩き上げなどではなく本国の士官学校を卒業して四〇代半ばには大佐にまで昇進している、レンカとはいわば同じ階層の人間だ。無論、レンカがここにいる理由も理解しており、先刻の発言も嫌味の類でないことは彼女も理解していた。

「反撃は止んでいますが、まだ彼らが諦めたとは限りません。此方からの降伏勧告は行っていますか?」

 レンカが不快に思ったのは、彼我の戦力差からほぼ勝敗は決定していたとはいえ、曲がりなりにも戦闘という何が起こるかわからない極限状況に対して物足りない、という表現を用いたことが、平和な勤務地に慣れ過ぎて緊張感を欠いているように感じられたからだ。

「失礼いたしました。先ほどから<ラオメディア>が投降勧告を再開しています」

 まだ、レンカが赴任してきて一か月にもならない付き合いだが彼女が生真面目な性格で、誠心誠意政務に取り組む型の総督であるらしいことは理解していたオルセオロがそう謝罪した時、発令所のオペレーターの一人が艦長の方を振り向いた。

「ラオメディアより入電。目標の不審艦より返答がありました。投降を受け入れるとのことです!」

「直ちに停船させろ。カンディアと不審艦との距離はまだ大丈夫そうか?」

 オルセオロの問いは、海賊船を停船させてもカンディアの重力に引かれて落下しないで済むだけの余裕があるか、という意味だった。

「はい。かなり近づいていますが、あの規模の艦なら十分高度を維持できる筈です」

「よし、このままラオメディアを接舷させて乗員を捕縛させる」

 程なくして、オルセオロ艦長の指示通り停船した海賊船にゆっくりと接舷を試みるコルベット艦ラオメディアの様子が、メインモニターに映し出される。

 そして、ラオメディアが十分な距離にまで近づき、ラオメディアの舷側から伸びた接舷用の作業アームが、海賊船の艦体に触れた瞬間――突如海賊船の艦尾で爆発が起きた。

「海賊共、降伏するように見せかけて騙し討ちをする気だったのか!」

 オルセオロ艦長が怒声を上げる。

「いえ、海賊船は勿論ラオメディアからも一切砲撃は行われていません。恐らく、戦闘による損傷個所が爆発したものと思われます!」

「……ラオメディアに、安全が確認できるまでは一旦接舷を中止するように伝えろ。此方の人員に被害が出るリスクは避けねばならん」

 今度は、オルセオロの命令を受けたラオメディアがアームを海賊船から離す様子がメインモニターに映し出された。

 それを待っていたかのようなタイミングで再度の爆発が海賊船を襲う。その規模は最初の爆発より大きく、衝撃を受けた海賊船が大きく傾き、カンディアの大気圏の方向へとゆっくりと流され始めたのが、モニターの映像越しであっても当事者たちにははっきりと分かった。

「いかん! あのままだとカンディアの引力に捕まるぞ! 海賊共は何をやっている!? あの船は、操舵不能になるほどの被害は受けていない筈だぞ!」

「ラオメディアより報告! 海賊船の操舵手の話では、突然艦が操舵不能になったと……先程の爆発も、戦闘では無傷だった船倉の辺りで突然起きたもので原因不明だと言っているそうです!」

「何ということだ……!」

 オルセオロはモニターを凝視したまま歯噛みした。

 今回の海賊たちが母艦として使っている型の輸送艦には大気圏突入能力はない。そもそも、海賊船が落下しつつあるのは惑星の核に向かって半径の一〇から二〇パーセント近くを占める分厚い大気圏に覆われている海王星型惑星のカンディアである。

 水やアンモニア、メタンの氷からなるマントルに達するまでは個体の陸地など存在せず、中心に近づくにつれ、気圧は上昇し最下層付近ではその気圧は一般的な地球型惑星の十万倍にも達する。

 いや、気圧に潰される前にカンディアの大気に吹き荒れている暴風によってバラバラにされるのが先だろう。何しろ、カンディアの大気中の風速は最大で時速二〇〇〇キロを越える。これがどれほどの暴風かは、地球上で観測された最も強いハリケーンの時速が四〇〇キロであると付記すれば分かるだろうか。

 つまり、このまま海賊船を放置すれば、今回の作戦が海賊の全滅という結果に終わるのは確実であった。無論、海賊が激しく抵抗するならその全滅も想定の範囲ではあったが、このようなトラブルで降伏してきた相手を死なせるのは寝覚めが悪い、と感じるくらいにはオルセオロは良識的な軍人だった。

「ラオメディアのエンジン出力でこれ以上カンディアに近づくのは不味いな。本艦を前に出せ! 何とか接舷して乗員を救助する!」

 しかし、オルセオロの命令に、オペレーターは青ざめた表情で首を横に振った。

「間に合いません! 計算によると、このまま海賊船が減速出来なければ本艦が接舷できる距離に近づいた時点で、海賊船も本艦もカンディアの引力に完全に捕まります! そうなったら本艦でも脱出は不可能です!」

「万策尽きたということか……!」

 艦長の言葉と共に、戦闘指揮所が重い沈黙に包まれる。しかし、数秒後その沈黙は、この場にいる人員の中で名目上の最高責任者である一人の少女――総督レンカ・エリアーシュの力強い命令で破られた。

「私が出ます! 整備班は<ブリオティッサ>の準備を!」

 そして、レンカはオルセオロが何か言うより早く戦闘指揮所を飛び出して行くのだった。


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