第4話 総督と軍団長 「中に・何にン・イる?」

 最初は、雲に出来た黒い染みのようだったそれはTD並の速度でレンカの方に上昇して来ると、落下する彼女を一顧だにせず、擦れ違うようにその傍らを通り過ぎるかのように見えた。

 まずレンカの目に入ったのは頭部だ彼女が思い出したのは地球の本国にある博物館で見た、古代の地球に生息していたランフォリンクスと呼ばれる大型の翼竜の頭部の化石だった。

 その体表は鱗にも、金属製の装甲にも似た硬質な組織に覆われ、白目が黒く染まった髑髏のような眼窩には赤い熾火のような瞳が覗く。首は翼竜の中でも特にケツアルコアトルスと呼ばれた種類に似て、巨大な頭部と共に全長の半分近くを占めている。

 脚部は細く頼りないが、その腕と一体化した翼は巨大で、レンカの目算だと展開された今の状態では18m以上の翼長を誇っている。また、その尾はランフォリンクスと呼ばれた別種の翼竜のように極めて長大で、しかも細いどころか節くれ立ち太く逞しかった。

 そして、そのままレンカの視界から消えるかに思われたその尻尾の先端が突然しなったかと思うと、そのままレンカの上半身を覆う防御フィールドに突き刺された。

「ひっ!?」

 鋭い矢尻を想起させるようなモノに迫られ、防御フィールドが存在することも忘れたレンカは思わず顔を背けた。

 防御フィールドのエネルギーはまだ十分残っているのに、ソレは未知のエネルギーを放出してフィールドに干渉すると、フィールドそれ自体の構造と隔絶性は維持したままずるりと内部に侵入してきた。

「あっ、駄目……駄目だよっ!」

 レンカの拒絶も空しく侵入してきた尻尾はまるで鞭のようにしなりながら、体の線がくっきりと出る専用のスーツしかに身につけていない彼女の身体に絡みついて来た。そして、偶然にも尻尾が胸の膨らみを避けるように巻き付いたため、レンカは殊更そこを強調するような格好で逆さ吊りに縛られたような格好にされてしまう。

「かはっ!」

 直後、尻尾にレンカを八つ裂きにしかねないほどの力が込められ、彼女は舌を飛び出させて頭を仰け反らせた。だが、すぐに締め付けは緩み、代わりにいっそ心地よいとさえ錯覚しかねないような絶妙な力加減の圧迫感へと変わる

 そして、安堵したレンカが呼吸を整えようと思わず喘いだ瞬間、今度は全身が一気に引き上げられるような感覚がレンカを襲う。

 こうして、カンディアから突如出現した翼竜型の生物は、その尻尾らしき器官でレンカと彼女に掴まっている海賊たちを牽引したまま、カンディアの引力圏の外まで一気に飛び上がった。


  ★


【中ニ・何にン・イる?】

 安全な高度で体を甘く締め付けていた尻尾から解放されたレンカは、その声が誰の声なのか最初は解らなかった。

「はぁ、はぁ……えっ?」

 明らかに異質で、音節の区切りもイントネーションも出鱈目なのに、何故かはっきりと意味の分かる音声が、たった今カンディアの重力圏から彼女を引っ張り上げた正体不明の生物によるものであると、ようやくレンカが理解した時には再度その生物が巨大は嘴をレンカの美しい顏のすぐ側に寄せて来た。

 最初の質問はレンカがオープンにしていたカンディア宙域の共用回線で呼びかけられたのだが、聞こえないとでも思ったのかその生物は宇宙空間で宇宙服のヘルメットを接触させて直接声を伝える要領で、嘴をブリオティッサの防御フィールドに軽く突き立てると、再度レンカにこう質問した。

「時間が・なイ。二度同じ・質問をさせるな」

 普通の少女なら、というか人間なら悲鳴を上げて気絶してもおかしくない状況だった。

 その生物の嘴は太く、それでいて鋭い。もし、レンカの顏を一突きすれば穴どころか恐らく頭部自体が血と肉からなる霧へと変わってこの世から消え去るだろう。

 発声のために開かれた口の中にはいかにも肉に突き立て、引き裂くのに便利そうな乱食い歯がびっしりと生え揃っている。 

 なのに、レンカは何故か恐怖を感じなかった。

 それは、不気味なことに最初の通信より、音節やイントネーションがより正確になった、ある種の知性すら感じさせる低く深い声色のせいか、あるいは人間とは明らかに異質なのに何らかの感情を内包することを感じさせる眼のせいだったのか。

 とにかく、一瞬呆然となった後すぐに我を取り戻したレンカは相手の質問の意味を理解した。

「四人……」

 そう言いかけて、レンカは卑劣にも逃げ出した「船長」とよばれていた男のことを思い出して訂正する。

「三人、まだあの船に残っているはず……ですっ」

 それを聞いた生物は、今度は長い頸を眼下のカンディアの方に向ける。その瞬間、レンカのオープン回線に凄まじいノイズが流れ込んできた。

『―・―――・! =#<>~!、――・・――・―!』

 数十種類の動物が同時に吠え、呻き、唸っているような主旋律に、モールス信号を宇宙雑音と太陽雑音で構成したような音を通奏低音として混ぜ、それを人間の可聴域をはるかに超える超低周波から超音波で出鱈目にかき鳴らすようなそれに、レンカは思わず耳を強く抑える。

 そこに今度はオルセオロ艦長からの緊迫した通信が飛び込んで来た。

『総督閣下! 本艦隊の直下に大質量反応を確認しました! そちらから目視で確認出来ますか!?』

「真下!? まだ、カンディアに何かいるの!?」

 そう叫んで、真下を確認したレンカだが最初は異変に気付かなかった。だが、それは異変が微小なものではなく、むしろ余りに大規模なものであったのが原因で――

「……暗班? なんで!? こんなに突然発生するなんて!」

  カンディアのような海王星型惑星の暗班とは、わかりやすく言うと嵐を惑星上空から見たものである。大気の活動が活発なカンディアでも常に発生と消滅を繰り返しており、決して珍しいものではない。

 しかし、今レンカたちの真下に発生した暗班は、数分前まで比較的大気の安定していた地点に突然発生しており、不自然だった。

 いや、不自然と言えばその大きさもそうだ。

 暗班というのは極めてダイナミックな現象であり、例えば太陽系の海王星で観測されたそれは最大で縦六六〇〇km、横一三〇〇〇kmと極めて巨大なものだ。

 もしその真上にいれば、眼下の視界は全て暗班で埋め尽くされるだろう。

 だが、レンカの目に映るそれは、これだけカンディアに近い位置から見ても大気の青が濃くなっている部分と、それ以外の境界がはっきりと認識出来る縦一〇km、横一六km程度の大きさで、暗班にしては小さすぎる印象を受けた。

【分遣隊旗艦トロギロスより戦隊指揮官レガトゥス・ランフォリンクスへ。命令を実行します。ただ、私の方からでは大気が濃すぎて救助目標の正確な位置が把握できません。終端誘導を要請します】

 この時、第三者の声がレンカの回線に響いた。

「こ、今度は誰なのっ!?」

 思わずそう叫びながらも、レンカは頭の片隅では理解していたのではないか。

 その『声』は、最初に彼女に話しかけた翼竜型の生物のそれによく似ていたのだ。

 異質でありながら、何故か不思議と理解しやすい発音とイントネーション。そして、異質な響きの裏に微かに漂う知性と感情の異様な戯画化。

【#“&*/!? ・――・―・―・・・―――#$!】

 レンカの推測は正しかったらしく、傍らの翼竜の方が恐らくは彼らの言語であろう異様なノイズで叫び返した。

 ――レンカとその翼竜の真下に突如発生したカンディアの大――いや、極小暗班に向かって。

【『何故奴らの言語で通信した!』ですって? それはですね。ここまで状況が逼迫しているのだから、当事者間の意思疎通は円滑にしておいた方が良い結果を出せると判断したからです】

 再度、レンカの回線に返信が入る。そして、その時にはレンカはもうこの通信の主を探す必要はなくなっていた。

「宇宙船に……角!?」

 暗班の中心部に浮かんだ黒い影を真上から俯瞰してレンカはそう呟いた。

その影は、全体のシルエットとしては四角形――凧型をしており、全体を二つの三角形としてみた場合長い方の三角形の先端から突き出た角のよう場部分は先端に向かうにつれて細長くなり、まるで騎兵の使うランス、あるいは地球産の大型魚類であるカジキ類の長大な吻を連想させた。

 そして、暗班の直径から計測すれば数kmの全長があることは間違いなかった。

 それ程の巨体にもかかわらず、影はある高度まで浮上すると一瞬で静止、数一〇km彼方でカンディアに落下してゆく海賊船の方に向かって、雲の下を滑るように動き始め、更にはそれを追うように翼竜型の生物もレンカの前を飛び去って行く。

 その上空に展開しているイラクリオン駐留艦隊の三隻は、その異様な光景を黙って見守ることしかできなかったが、レンカだけは違った。

『救助した人たちの収容をお願いします! それから、予備の推進剤のパックも!』

 レンカの命令で、数機のイェラペトラが降下し呆然としている海賊たちを収容する。その中の一機から、推進剤の補給を受けたレンカはオルセオロ艦長の呼びかけも聞かず、翼竜型の生物と謎の大型宇宙船の後を追って再度ブリオティッサを加速させるのだった。

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