後編
俺が思うに、アーサーは女好きだが、彼のような華やかな男性に群がる女性も多いのだろう。どちらも悪い方向に作用して、十八歳にして元恋人が五人になるほどの恋愛遍歴の持ち主になってしまった。
「どーせ俺は出雲みたいに一途でもないよ!」
飲酒は、日本の法律は二十歳から。カナダでは十八歳からである。アーサーは十八歳で、一応解禁している。
俺はステイシーが持ってきたハーフボトルのワインを、一杯だけいただいた後、速やかにお茶に移行した。高級ワインの残りは、俺が持ち帰ることになった。冷蔵庫に入れておけばしばらく持つ。銘柄を覚えておこう。年末に恋人がカナダに来たときに、新しいものを買って一緒に飲もうと決める。
テーブルの上の皿はあらかた料理が消えている。俺はお茶を啜り、ステイシーとアーサーは、ナッツとカマンベールチーズをつまみに赤ワインを嗜んでいる。彼女は高級ワインの他に、もう一本テーブルワインを持って来ていたのだ。
姉弟子は酒好きである。そして彼女の美点は、他人に飲酒を強要しないことだ。おかげで安心して、飲んだくれを二人眺めながら恋人が送ってくれたお茶を啜れる。
「ったく女のケツばっかり追ってんじゃないの。いつか本当に刺されるわよ?」
「別にいいさ。『あなたを殺して私も死ぬ!』とか、一回言われてみたいじゃない」
「いまのあんたと、心中したい奇特な女はいないわ。「このクソ男、勝手に死ね」が一番正しいんじゃないの?」
「ひどいやステイシー! 出雲、ステイシーがいじめる!」
「悪いけど、ステイシー姉さんの意見に一票かな。いいかげん一人に絞りなよ」
俺は笑顔でアーサーを切り捨てた。赤い顔でむくれた表情を作る。酒が体によく回っている。180センチの大柄ながら、彼の体には多少は子供らしい部分が残っているようだ。
「えー? 二人とも傷心の俺に冷たすぎない? 泣いちゃうよ?」
「今までそう言ってアーサーが泣いているの、俺はみたことがない」
俺の言葉に、ステイシーが力強く頷いた。
最初はタバサ。次はドリー。ミシェルもいて、リタを経てレイチェルにたどり着いた。そして別れるたびに、ステイシーと俺を呼んで、別名傷心食事会を開いていた。アーサーが一人暮らしをする前は実家で、一人暮らしをしてからは、このアパートに俺とステイシーを呼んで。自分で料理をしながら、振られたことを嘆いてはいたけれど、涙は見せていなかった。彼ほどの人間なら、すぐに彼女ができるだろうし、俺も全く心配していない。次の恋愛に向かうための儀式みたいなものだ。
「……原因はなんだったの?」
一応理由を聞いてみる。
レイチェルとは会ったことがない。だが、アーサーの話に聞く限り、彼と彼女の仲は良好だったはずだ。別れる原因が何かわからない。
「うーん。これかな」
あるのか。当の本人には。思い当たる節が。
アーサーはスマートフォンをいじって、SNSを開いた。Instagramの自身のアカウントである。
「インスタの女の子は誰よ! ヤーパンのガキじゃない! ってすっごい剣幕でさ。日本人の女の子と浮気してる! って思われちゃったみたいでね」
パリの街を散策するアーサー。エッフェル塔。ノートルダム寺院。それからパリのパティスリーのイートインスペースで、女の子と向き合うアーサー。相手が意外すぎるほど意外だが……そうか、彼女の出場もフランス大会だった。
ステイシーがアーサーのスマートフォンを覗き込む。ああ、と納得したような声を上げた。
「あんた、雅と一緒にいたもんね」
「うん。アメリカの時に元気がなかったから。みんなでご飯食べた後、パリの街を散策したんだよ。ちょっと心配で、悩んでいるみたいだったからね」
パティスリーでルリシューズを見つめるのは、日本の星崎雅。今季シニアに上がった新星だ。制度の高いトリプルアクセルとスピード感溢れるスケートが魅力で、今季はまだ表彰台から落ちていない。きらきらした瞳に、控えめな笑顔が可愛らしい。一方で、元恋人のレイチェルは、写真で見せてもらった限りの印象では、早熟な体をもつ金髪美女だ。東洋人は実年齢より幼く見えるらしい。レイチェルから見たら、小柄な星崎雅は幼子に見えるだろう。
「これだけで浮気だと思われたら、俺だってちょっと心外だなー。俺は雅の悩みの相談に乗っただけなのに」
「そりゃあ誰だって、自分が彼女なのに、別の女と一緒にいたら嫌でしょ。わざわざパリの街を連れ回す必要だってないし。ちゃんと彼女に誤解は解いたの?」
「解く前に、『あんたの顔は金輪際見たくない!』って平手打ちされちゃった。そこまで言われたら、ああそうだねって俺も諦めるしかないよ。……まぁ、もういいけどさ。俺と別れた後、別の誰かと幸せになればそれでいいよ」
「……あんたほんと、優しいんだか変な女たらしなんかわからないわね」
アーサーはこういうところがドライだ。来るものは拒まず、去る者は追わない。女好きだが執着はしない。人並みに優しいし、彼女だった人間の意思を尊重していると言えば聞こえがいい。しかし本当に大事に想っているのかはわからない。
別の誰かと幸せになればいい、というのは本心なんだろうけれど。
「一つ聞くけど、アーサー、雅とはなんともないのよね?」
「ええ? ステイシーまでそれ聞くの?」
心外だと言わんばかりにアーサーが声を上げた。
「妹みたいなもんだよ。雅は。可愛いし、スケートの仲間として大事。友達っていうか、俺は兄貴みたいに接してるよ。でもそれだけ。彼女とそういう関係になりたいとかは、今のところはないかな」
「へえ……。今のところは」
「そうだよ。あー、新しい彼女でもまた作ろうかな」
一本のワインが空になり、食後のコーヒーを楽しんだところでお開きになった。
帰り際、アーサーはペリメニの残りを包んで持たせてくれた。これを温め直せば、立派な一食の完成だ。
「今日は二人ともありがとう。また食事に誘うからね」
「その時は六人目の彼女に振られた時ね」
「ひどいなぁステイシーは。……ああそうだ、出雲。三日後に全日本のために日本に行くでしょ。その時に哲也と会う?」
鮎川哲也のことか。一週間前に、グランプリファイナルにも出た日本の後輩。全日本選手権のエントリーシートには、漏れずに載っていた。
「欠場の知らせは来ていないし、会うと思うよ」
「じゃあ会ったらこう言っといてよ」
アーサーはステイシーに聞かれない程度の音量で、俺の耳に口を近づけてその言葉を言った。
外は雪が降っていた。あらかじめタクシーは呼んでおいた。来た時と同じように、歩いて帰ろうと思っていたのだが、ステイシーに止められた。風邪でも引いてしまったら全日本に出られなくなると言って、ステイシーはスマートフォンを操作した。姉弟子には逆らえない。まずはステイシーの家、次に俺のアパートを指定する。
アーサーはまた新しく彼女を作る、恋をするとワインを飲みながら宣言していた。十八歳にして元恋人が五人というのは、俺は一人の人以外好きになったことがないから、多いのだか少ないのだかはわからない。
「俺の妹を泣かせたら許さない、か……」
思わず日本語でつぶやいた。隣のステイシーが訝しげな目線を向けたが、なんでもないと答えた。
アーサーが最後にいった、鮎川哲也への伝言である。割と本気の口調だったから、聞きながら静かに驚いた。今のところ、という含みのある言葉も。
恋なんてしようと思ってできるものではない。
ある日突然、この人でなければダメだと落ちるものだ。
タクシーの中で、トロントの街並みを見る。雪が降っていても、それなりに夜が進んでも、眩い光で街中は明るい。クリスマスシーズンで、街ゆく人も明るい顔をしている。
「ステイシー姉さん」
「何よ」
「仮定の話なんだけど、アーサーがもし雅に恋していたらどうする?」
「ええ。何よそれ。もしそうだったら、全力でアーサーから雅を守るわよ。あんな女たらしに任せておけるもんですか」
否定をしないステイシーが嫌いではない。そうなる可能性だって全くないとは言い切れないのだ。
もしアーサーが、星崎雅が妹に見えなくなったら。
……まぁ、全てが仮定の話だ。
全日本はもうすぐそこだ。包んでくれたペリメニはほんのり温かい。街の光が流れていく。大会のことを考えつつ、アーサーからの伝言を鮎川哲也にどう伝えるかを悩ませた。
12月はペリメニで晩餐 神山雪 @chiyokoraito
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