無限軌道のブルートレイン

 観光客は、口と思しきそれを開閉した。耳障りな音が鳴り、奥から泥のつまったような音を発した。声らしきそれが、ラズリの正気に爪を立てる。


『――ラズリ!』


 耳に飛び込んできたブルーの声に、ラズリははっと意識を掴んだ。


「大丈夫だ。撃つな。あとブルー、なんでもいいから喋りつづけてくれ」


 言って片手を横に広げて、背中に感じるアズールの鋭い気配を制した。

 ラズリは粘っこい唾を飲み込み、目の前でガチガチと歯を鳴らす観光客に言った。


「あー……悪い、用がすんだらすぐ消えっから、ちょっとどいててくんねえかな?」


 なんてバカなことを言っているんだろうと思うと、不思議と笑けてきた。ふたたび、観光客の口から意味の取れない唸声が迸った。


 ラズリはブルーの声を頼りに、閉じようとする両目を開きつづけた。

 唸り声が止まると、観光客は身を捩るようにして首をもたげ、躰の内に収納した。

 ずん、と重い足音を立て、また細い足を土に沈ませながら、観光客が背を向けた。首、というか躰全体を左右に揺すりながら歩き去っていく。


「……マジか」


 話が通じたよ、と変な笑いがこみあげてきた。観光客の丸まった背中が、やれやれ、やっと戻ってきてくれたよと、言っているように思えた。


『――ラズリ! ラズリ!? 返事してよ! ラズリ!』


 呼応石が運んだブルーの涙声に、ラズリは慌てて振り向いた。


「おい、見たか!? なんか話が通じたっぽいぞ!?」

『知るかバカ! 早く返事しろ! めちゃくちゃ怖かった! 怖かったよ!』


 話せるかどうか試すって言ってたのは誰だよ、とラズリは苦笑した。

 そして。

 ラズリはひび割れたシリンダーを撫で、筒の底に残っていたラピスラズリのチェーンを回収した。目を閉じ、静かに祈りを捧げる。


 ずっと待たせてて、ごめんな。


 胸の奥で呟くと、急に目頭がヒリヒリと熱くなった。


「……兄ちゃん、行ってくるわ。青空の写真きっちり撮ってきてやっからな」


 涙は流れなかった。それでいいと思う。

 いちいち泣いていたりしたら、オフェリアはきっと心配するだろう。

 ラズリは腰を上げ、ひしゃげたカーゴの扉をくぐった。いってらっしゃい、というオフェリアの声が聞こえた気がした。


「……で、そっちはなにやってんだ?」

「ブルーが、僕なら、手が、届くかもって――!」


 ぶっ潰れた運転席のさらに奥、三年前ブルーが手を挟まれたコンソールの隙間に、アズールが腕を突っ込んでいた。


「がんばってアズール! もうちょい!」


 下から覗き見ているのか、ブルーが床に這いつくばって声援を送っている。

 ふぐぐ、と唸りながらアズールはさらに腕を押し込んで、


「掴んだ!」


 叫ぶように言って、アズールが腕を引っこ抜いた。頬が埃で汚れていた。


「……これ?」

「これ! これだよ! ありがとうアズール!」


 ブルーは飛びつくようにアズールを抱きしめた。彼の小さな手のひらの上で、ナットらしき輪っかが銀色に輝いていた。


「……なんだ? そのちゃっちぃの」


 ラズリは眉を寄せた。はしゃぎ、大騒ぎしていたブルーがピタリと止まった。


「……なんだ? なんだじゃないよね?」


 錆びついた歯車をきしませるようにして振り向き、ブルーは言った。


「ラズリがくれた指輪ですけど……?」


 口調こそ丁寧だが冷え冷えとした声に、うっとラズリは言葉に詰まった。十二か、十三だったか、とにかく子どもころにつくった指輪だ。薄めのナットを削り、カットを加えて、夜の展望台で渡した。


「……ま、いいよ。どうせ忘れてるだろうと思ってたし」


 青い目を光らせていたブルーは、ふっと目の力を抜き、指輪をそれぞれの指で試しだす。


「えっと……あの……」


 ラズリが迷っていると、アズールは指輪を不思議そうに見つめて言った。


「なに!? なに!? 結婚指輪かしら!? ってキャロラインが」

「んー? どうなんだろうねー。本人、忘れて、いるみたいだし?」


 ブルーはラズリにジト目を送りながら指輪を左の薬指に通した。


「お、ぴったり。昔はブカブカだったんだよね? ラズリ」

「そうだった……かな?」


 薬指だとすぐに抜けてしまうので、ブルーはいつも右手の中指にしていた。腕を挟まれたあの日、腕ごと置き忘れてしまったのだ。


「――でも良かったね、稲妻でなくなってなくてさ」

「……ああ、それなんだけど……いや、なんでもない」


 もしかしたら観光客が守ってくれていたのかもと一瞬思った。稲妻とともに現れ、迷惑をかけてしまった現地人のために、お詫び代わりに守りながら待っていた。


 ――ちょっと好意的に見すぎだな。


 ラズリは観測者席に戻り、動き出したトレインから空を見つめた。いつも変わらぬ灰色の空に、一滴の水色を幻視する。雲が流れ、赤く染まりやがて青紫に変じて星が瞬く。稲妻の気配なし。


「よし、行こう。まずは三四二番だ」

「そこで猫の家の場所がわかるの?」


 ラズリの膝の上によじ登り、アズールが言った。


「どうだろうな。でもやるだけやるし、見つかるまでやってやるさ」

「……ありがとう、ラズリ」

「こちらこそだよアズール」


 ガッ、とスピーカーが鳴り、ブルーが楽しげに言った。


『私からもありがとうだね。それじゃ、運転席から観測者席へご案内――次の停車は三四二番、到着予定時刻は十三時二◯分――やったね、ラッキーナンバーだ』

「ああ? 十三は不吉な数字だろ? なんかの映画で見たぞ」

「七log七十七が十三.二〇五……だからじゃないですか? ってフルールが」

『お、話がわかるようになってきたじゃん。フルール、仲良くしようね』


 聞こえてきたブルーの嬉しそうな声に、ラズリは呆れ混じりの息をつく。


「……対数かよ」


 もうなんでもありじゃねえか、と、思わず笑んだ。

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無限軌道のブルートレイン λμ @ramdomyu

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