いつか過ぎたあの日の今

 よく晴れていた。空の灰色っぷりは相変わらずだが、稲妻の気配は感じられない。ギロチンシートあらため観測者席から読んでみても、直近で三時間は平穏な空がつづく。


 死んだ街の隙間を縫うように走る軌条の上を、真っ青なトレインがひた走る。

 車両番号、五三九――七七かける七で幸運の数字だ。

 ガリッ、と小さなノイズを発し、観測者席正面のスピーカーがブルーの声を運んだ。


『そろそろ軌条を外れるよ。――いいよね?』

「おう。もちろんだ」


 ラズリが答えると、膝の上でアズールが不思議そうに言った。


「外れていいの? どこいくの?」

「行かなきゃいけなかったけど、行けなかった場所だよ。大丈夫、稲妻はこねぇから」


 トレインが制動をかけ、履帯を下ろした。軌条を離れて死んだ街に鼻先を向ける。

 目指すは、かつてしくじった顛末の地。車両番号三四三のトレイン――の残骸だ。

 三四三番の上空を稲妻が通り過ぎてから、三日。

 ラズリたちは、ひとまず三四二番に移動することにした。車両ごと街を離れるのは彼らの世代では前代未聞のできごとで、なぜかやたらとジルコが泣いた。


 泣きに泣いたあげくにアホほどジャガイモをもたされ、三四二番で下ろさなくては向こう一ヶ月は毎日イモを食べる事態になりそうだ。


 他に見送りに来れた住民のうち、ドクには応急ハンドブックと薬箱を渡され、ネリーには余計なお世話をもらい――ブルーが半ギレした。街のガキどもも見送りに来てはくれたが、みんなの目的はアズールへの謝罪だった。


 握手をして仲直りとはいかなかったが、喧嘩別れに比べればマシだ。

 ブルーの操るトレインが、かつて通った道を征く。

 土くれと、アスファルトと、鋼鉄が入り乱れる道路。戦車が擱座し、馬車が潰れ、得体のしれないものが転がる裏道に、二本の、長い轍が残っていた。


 なんでだ? とラズリは目を細める。


 三年前も通った裏道。道の傾斜はおぼろげに残る記憶と違う。左右に並ぶ時代も文化もごちゃまぜな家並みも記憶と一致しない。三年前、稲妻が墜ちたとき、混沌の力で系が入り乱れたのだから当然である。


 道そのものは系に含まれない。そんなこともあるかもしれない。だが、あれから三年が経過しているのだ。幾度も稲妻が走ったはずで、ずっと轍が残っているはずがない。


『ラズリ、あれ』


 ブルーの緊迫した声に、ラズリの膝の上で、アズールが身を固くした。肩に担いでいたセリーヌを目にも止まらぬ速さで構えた。


「ラズリ、あれ、観光客だよね?」

「……ああ、そうみたいだな」


 照星の先に、オレンジ色のひしゃげた車体があった。最後に離れたとき車体はひっくり返っていたはずなのだが、いまは正立している。そして――


 車体番号、三四三のトレインに寄り添うように、あの日の観光客がいた。

 白と、黒と、赤と、黄と、紫と、強烈な色彩を持った歪な形の斑点が散る体表。車両を覆い隠せそうな巨躯をひょろ長い三本の足で支え、体の左右、高さの違うところから腕めいた二本の触手を伸ばしている。目にするだけで心が凍えてくる左右非対称性は、その奇異な外見ゆえに目にすれば二度と忘れられない。


『……どうする? 出直す? それとも……』

「殺す?」


 アズールの物騒な提案に、ラズリは鼻を鳴らした。


「そういうのやめろつったろ。ちょっと膝から降りてくれ」

「……どうするのさ」

「用があんのはあの車体のなかだからな。ちょっとどいてくれって言ってくる」


 一拍の間が過ぎ、スピーカーががなった。


『ちょ! ラズリ!? 正気!?』

「僕もそれはどうかと思う」

「どこが。ブルー、自分で言っただろ? 話せるか試して、ダメならもっかい試すって」

『い、言ったけど! 言ったけど状況が――』

「またとないチャンスだろ。同じ個体だぜ、あれ」

『そうかもしれないけど!」

「分かってる。銃貸してくれ。あと、アズールはココから援護。ヤバそうなら逃げる」


 アズールはセリーヌのストックに頬付けして言った。


「君の蛮勇、嫌いじゃないよ、ってセリーヌが」

「そいつはどうも。俺もあんたの思い切りの良さは嫌いじゃないって言ってくれ」

「言わなくても、聞いてるよ」


 アズールが口元を緩めた。


『……ラズリ、本気なの?』

「本気も本気の大マジだよ。ほら、銃を貸してくれ」


 ラズリは観測者席のシート下方に手を伸ばし、上下に振った。そのまましばらく待っていると、手に重い感触とブルーの体温が触れた。見ると、青い眼光が待っていた。


「ヤバそうだったらすぐ逃げてきて。絶対だよ」

「心配性だな。大丈夫だよ」


 ラズリは借り受けた銃の弾倉をチェックし、呼応石のカフスを耳にかけ、観測者席から車外に出た。天井の装甲とタップスの金属板が擦れて鳴った。飛び降り、ゆっくりと、慎重に、観光客へ近づく。一歩一歩、大きくなる姿。肌に冬らしい冷気を感じる。まだらに温度が変わった。次は秋だ。枯れ草の匂い。一歩、また一歩と周囲の気配が移る。観光客は稲妻とともに現れるが、稲妻を纏っていると考えてもいいのかもしれない。


 ふいに観光客が、ぐぅぅぅぅっと、躰を起こした。体表の一点が盛り上がり、首のように伸びる。その先に、人の頭ほどの大きさの裂け目があった。


 ぎぬり、と割れ目が開いた。歯があった。人の歯とよく似た形の巨大な歯が、所狭しと生えている。二列も三列も四列も、長首の奥まで生えていそうだった。


 ラズリは笑った。こめかみを冷たい汗が流れていった。

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