第4話 閑古鳥のトマトソースパスタ
「盛り付けの後で最後に塩をひとつまみ足してあげるだけで、口に入れたときの味がぐっと締まるんだよ」
「なるほどー」
真っ白な器の上で真っ赤なトマトソース、瑞々しいバジルが艶やかなスパゲティを覆い隠す。
トマトソースの上に乗った鶏肉を割いたようなモッツァレラチーズが湯気の中でわずかにとろけ、黒胡椒の点を浮かび上がらせた。
おもむろに店長が指先にわずかな塩を摘まみ、細かい結晶がパジルの上でキラキラと輝きを放ち、やがて雪のように溶けていく。
そして、最後にオリーブオイルをわずかに垂らし、バジルとモッツァレラのトマトソースパスタが完成した。
トマトソースの甘酸っぱさとバジルのさわやかな香り、黒胡椒のスパイシーな香りが湯気とともに辺りに立ち上る。
器に顔を近づけると湯気の暖かさとともにより鮮明な香りが鼻腔を通じて食欲をぐっと刺激していく。
「本当にいいのか?」
「お腹すいてたし、店長がよければ」
厨房の奥から器を差し出した店長が呆れた顔で悠希の方に目をやる。
「まったく……」
特にイベントのない時期。それも、平日のランチともなれば必ずしも毎日忙しいわけでもない。
そして、営業時間中の来客が0の日も当然ある。
誰も来ないままラストオーダーの時間を迎える頃、悠希が店長に「お腹が空いたし、注文してもいい?」と言い出した。
当然、気を使っている部分もあるだろうと店長は断ろうとした。しかし、「帰って自分で作るのが面倒くさい」という悠希の言葉に負け、こうして彼女の目の前に商品が提供されることになった。
「見よう見まねで自分で作ってみるけど、なんかうまくいかない」
そんなことを呟きながらカウンター席に座る悠希はフォークを麺の中に差し入れた。
くるくるとパスタを巻き取ると、もちもちとした麺に真っ赤なトマトソースが絡んでいく。それと同時に内側に籠っていた湯気が一気に開いていき、スパゲティの甘く柔らかい香りが立ち込めていった。
フォークをゆっくりと持ち上げると表面のバジルとモッツァレラチーズがソースと麺の山に埋もれ、フォークの先のつるつるとした麺の表面ではソースがとろりと滴っていく。
薄い唇から悠希がそっと何度か息を吹きかけ、口許へ運んた。
入念に冷ましたものの、猫舌が災いし舌の上で熱さを感じてしまい、一瞬だけ動きが止まった。
やがて、落ち着いたところで一度に入りきらなかった長い麺をフォークで何度かに分けて口の中へ押し込んでいき、噛み締めていく。
トマトソースのさわやかな酸味と焦がし玉ねぎの香ばしさや甘味が口のなかに一気に広がっていく。さらに噛み締めると、あとから加えられたフレッシュオニオンのシャキシャキとした食感とさっぱりとした甘味がもちもちとした麺の食感と混ざり合い噛むほどに味が変化していく。
店長の言う通り、塩をわずかにかけているだけで、舌に当たった瞬間の旨味の感覚が自分で作ったものよりも断然強い。
しっかりと味わっていくほどに悠希の目尻は下がっていき口角が緩く上がっていった。
今度はバジルとモッツァレラチーズを絡めて、再び口の中へと運んでいく。
癖のないまろやかなチーズがトマトの酸味をおさえ、バジルの香りがトマトソースを単体で食べたときとはまったく違うものへと変貌させていく。
静かな店内ではフォークと器が当たる音が響きわたっている。
舌の上で広がる様々な風景の変化を味わい終えた悠希は厨房に向かって背筋を伸ばした。
「店長ー」
「なんだー」
「美味しかったよー」
「おう」
うちの職場は笑顔が少ない ゆずしおこしょう @yuzusiokosyo
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