第2話 義理チョコとオードブル

2月9日

 開店直後の店には予約客が若い3人組の女性客が1組入っているのみで、ゆっくりとした時間が流れている。


 ヨーロッパの古いパブを意識したデザインの店内はお洒落ではあるが、変な嫌みや余計な主張はなく、落ち着いた雰囲気を醸し出している。


また、店内に流れるしっとりとした有線放送が仄かに漂う木の香りと合わせて、日常と違う少しだけ特別な時間を演出していた。


「美帆さん、美帆さん」


 注文を取り終えた結城悠希が、カウンターの内側でストローや砂糖などの小物の補充をしている三保美帆に静かに声をかけた。


「ん? どうしたの?」


 美帆は手元の作業を進めながら返事をした。


 彼女のキリッとした顔立ちは黒い長髪を後ろで一本にまとめていることで、よりさっぱりとした印象を与える。


 一方で、やや小柄な身長の彼女のワイシャツの胸元は高く押し上げられ、男女統一の制服であるワイシャツと黒のスラックスと併せてアンバランスな美しさを形作っている。


「これ、わかります?」


 補充を終え、引き出しを閉じた美帆が顔をあげると、悠希が目を見開いて首をかしげていた。


「ん~、どうでしょう~?」


 わずかな吐息の混じりの間の抜けた声が虚空に溶けていった。


「……」


「……」


 悠希が真剣になにかを伝えようとしているのは明らかだった。


 それがわかっていても、客観的に見たら普段クールで無表情な美少女が変顔で真剣に何かのモノマネをしている。


 ただそれだけの状況があまりにもシュールで、そして、あまりにもその真剣さが可愛らしくて美帆は一瞬返答に詰まってしまった。


「……あ~、プリティ?」


 はっと、我に返った美帆はぼやけた記憶の中から芸人の名前をなんとかすくいあげた。


「プリティ……? 可愛らしいのプリティですか?」


 見知らぬ単語が飛び出してきて、ぽかんとした表情の悠希の頭が逆方向に傾げた。


「あ~、いや……そういう芸人さんがね、大昔いたのよ……」


 美帆は少し複雑な表情で言葉を濁しながら答えた。


「へえ~! そうなんですね! ボランティアのレクリエーションのことで、相田さんに相談したら昔の野球監督さんだって教えてもらったんですよ」


「昔……、あ~そっか、そうだね、うん……昔か……。……というか、原因はあいつか……」


 悠希が純粋な目で受け答えしている一方で、彼女の反応に美帆のなかで様々な感情が乱され、表情が複雑になっていく。


「あのフリーターめ……」


 美帆はタオルを手にすると、背後の棚にかけてあるワイングラスをひとつ取って磨き始めた。


「仕事は真面目にやってるし、優しいですよ?」


「響くんもそうだけど、マイペースなところあるからねー」


「響さんは何でも要領いいですよね」


「あの子はねー、器用だよねー」


「ですねー……あ、そうだ」


 グラスを天井のライトに透かしている美帆に、悠希がなにかを思い出して尋ねた。


「来週、バレンタインのチョコどうします?」


 美帆はグラスについたわずかな指紋を拭き取りながら、興味無さそうに返した。


「あー、そういえばもうそんな時期か……。シフトってどうなってたっけ?」


「当日はランチが私と相田さん。夜が美帆さんと響さんで、1時間だけ私がフォローにつきます」


 よく覚えてるなーと思いつつ、心底どうでも良さそうに次のグラスを磨き始めた。


「あー、じゃあ渡さないといけないかー」


 そして、少し間をおいてから自分より少し背の高い悠希を見上げ、キリッとした表情を向けた。


「……よし、チロリチョコでいこう」


 ニヤリと笑う美帆に悠希は親指を立て静かに頷いた。


「チロリチョコですね。わかりました」


「まあ、気を使われるよりはそれくらいの方が楽なんだよね、実際」


 厨房の奥から小窓を通して、低く太い声と共にオードブルが差し出された。

「6番さんね。今日のは生ハム巻きチーズ、サーモンとトマトのバジルソース掛け、キノコのオイル炒め」


 白く細長い器の上に彩りの鮮やかな一口サイズの3種類の料理が並んでいる。


 バジルとチーズとガーリックの美味しそうな香りがカウンターのなかにふわりと漂う。


「はーい」


 2皿をトレーに、1皿を手に持って、悠希が予約席のテーブルに向かった。


「聞いてたんですか?」


「聞くとはなしに、耳に入っちゃったの」


 小窓の向こうで店長はやや申し訳なさそうに答えた。


「やらしー」


 美帆はからかうようにして言いながら、なんとはなしに悠希の背中を目で追った。


 すらっとした体型に長い手足。そして、女性にしてはやや身長が高く、中性的な顔立ち。


ワイシャツとパンツスーツ姿の悠希は遠目で見ても美しく、格好よい。


落ち着いた物腰で彼女が料理を差し出す予約席のテーブルの若い女性三人組。彼女たちが大学生か、あるいは社会人かはわからない。


 ただ、そのうちの一人は家族や他の友人らしき人たちと何度か来ているのを見かけたことがある。


「店長ー」


 キラキラと目を輝かせながら悠希を見つめる彼女の姿を見ながら美帆はワイングラスを磨きつつ呟いた。


「休みの日に男装喫茶とかよくないですか? 結構儲かるかもしれませんよ」


「悠希ちゃんと美帆ちゃんいなくなったら終わっちゃうじゃん」


「そのときは響くんに女装させて、女装喫茶にしましょう」


「それで本当にお客さん増えたら辛いからダメー」


 悠希がテーブルから離れると、彼女の背中を見送る3人の女の子達の顔が一気に色づいていくのが見えた。

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