第3話 チョコレート戦争

ディナーの営業はラストオーダーを提供し終わった後はかなり時間がある。


 個人経営の店であることと、客の多くは「特別な日」の食事として店を利用していることから、無理に帰宅を急かすことはしないというのが店長の方針のためだ。


 相田が食器を洗っていると、2階降りてきた京野が厨房に顔を覗かせた。


「2階の清掃、終わりました」


 柔らかそうな癖のある茶髪とどこかあどけなさが残る顔立ち。そして、黒いフレームのメガネが特徴的なさっぱりとした印象の青年だ。


 相田が勤めるよりも1年ほど前から勤めているので店のことは相田よりもずいぶんと詳しい。


 普段は落ち着いて仕事をしているが、今日はどこかフラフラと疲れた様子を見せている。


「お疲れ」


 食器の泡をすすぎ、乾燥機にそっとしまいながら相田が答えた。


「こっちは手伝うことはあります?」


「いや、お客さんが帰るまでは進まないかな」


 京野の肩越しにお客様の方に眼をやる。


20代の夫婦と思われる二人がケーキを囲んで落ち着いて食事をとっている。


「了解です」


 そういって彼はデザート類の点検に移った。


 生クリームやアイス、チョコレートソースなどはパーティがあると一気に消費するため、忘れたときに足りなくならないように定期的にチェックしている。


 カチャカチャと食器の当たる音と有線の音楽、厨房の奥で店長と奥さんが翌日の仕込みをしている音が静かに流れる。


 ふと、結城と先日話していたことを相田は思い出した。


「そういえば、結城さんが言ってたけど、京野くん大学ですごいチョコもらうんだって?」


 人畜無害そうな童顔イケメンで気配りもできるのだ。周りの女子たちが放っておくはずもない。


「あー、まぁ、はい、そうですね……」


学生時代に特に浮わついた話のひとつもなかった相田にとって、それは夢物語のような話だ。


「羨ましいなあ」


 そう呟く相田の方を見て、京野は少し困ったような顔をしている。


「いやー、それが……もらうんですけど、結構大変ですよ?」


「ホワイトデーのお返しが大変ってこと?」


 今年のホワイトデーは10円単位のチョコのお返しをどうするかだけ考えればいい、立場からすればたしかに大変だ。


「それもそうなんですけど、断らないといけないものもあったり」


「あー、かなり本気のやつ?」


「まぁ、本気というかやる気というか……」


 苦笑いを浮かべて京野は濁そうとする。


 チョコの作り手はともかく、受け手側から出てくることがあまりない感想だ。


「やる気?」


「はい、学部の頃からの後輩の女の子がいるんですが」


「ほう」


「悪友みたいな感じの中なんですが、ずっと渡してくれるですよ」


「いいじゃん」


「見た目はめっちゃ可愛い子なんですよ」


「おお! いいじゃん!」


「毎回毎回手を変え品を変え渡してくるんですよ」


「最高じゃん」


「義理チョコに見せかけたり、ぱっと見市販のチョコに見せかけたり、他人のフリをしてチョコを渡してきたり」


「どっきりが好きなの?」


「でも、絶対に受け取らないって決めてるんです」


「なんで? 面白い子じゃん」


「精力剤が入ってるんです」


「すごいやる気じゃん」


「完全に騙すか騙されるかの戦いです」


「頭脳戦じゃん」


「うっかり食べると夜眠れなくって、次の日めっちゃ煽られるんです」


「あー……」


「今日、めっちゃ煽られました」


「お疲れさま……」

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