沈黙と積雪〜学者峯岸浩太郎の鈍感〜

達見ゆう

異文化交流は難しい

 寒い。アメリカのメリーランド州にも寒波がやってきた。明日にでも雪になるかもしれないと天気予報で言っていた。日本のこたつが恋しい。みかんは売ってはいるけどやはり日本より少し高い。


「うう、寒い。明日のラボは在宅勤務にしようかな」


「そういって二日も細胞の様子を見てないだろ?」


 ボブが容赦ない現実を突きつけてくる。


「でも寒い」


「それに、そろそろバレンタインだろ? プレゼントはどうすんだ? ラボのついでに買い物しとけよ」


「えーと、日本じゃ女性から男性がチョコもらうけど」


「ここはアメリカだ。男性が贈るものだぞ」


「だからか! 去年義理チョコすらもらえなかったのは!」


「……。お前なあ、暢気にもほどがあるぞ」


 なんてこった。とりあえず、ラボの皆から邪険にされていた訳ではなかったのか。ほっとすると同時に、贈る相手を考え出した。

 そうとなるとエミリーさんに典子さんにエリカちゃんか。

 少ない気がするが、去年はゼロだったし、勘違いもあったわけだし、そういう意味では進歩している……のだろうか?


「で、ボブ。やはり日本みたく贈るのはチョコレートなのかい? それとも花束?」


「チョコはないな。大抵は花束だし、それが無難だな。でもバルーンもある」


「ば、バルーン?」


 異国の異文化というのはわからないものだ。いや、日本が輸入して魔改造ばかりしているから元の形が無くなっているせいもあるが。クリスマスもハロウィンももはや元は何だったのかわからないくらいになっている。


「バルーンを贈って家に飾るのさ」


「つ、つまり相手のお家に入って……。えーと花束にしておく」


 相手の家だなんてハードルが高すぎる。ラボの帰りに渡して帰るのがいいだろう。


 そうして、ラボで細胞の相手をして、帰りに花屋へ寄ったらたくさんの男性達が並んでいた。確かにボブの言うとおりだ。

 最後尾に並びながらエミリーさんの分と典子さん親子の分二つにすべきか、エリカちゃんと分けて三つにすべきか迷っていたが、列が捌けるのが早く自分の番になってしまった。


 ヘタレの僕はたどたどしく伝えて、大人用の花束二つ、子供用の花束一つという結果になった。いや、たどたどしい英語と日本人ということで花屋のカモにされたとも言うが。


 頭の中の道順を考えるとエミリーさん、典子さん親子、自分の家に帰るのが効率が良い。

 雪も降っているから、早めに行動しよう。僕はUber(注・アメリカにおける白タク。こちらでは合法)を手配した。


「コータローさん、こんばんは。こんな雪の中ありがとう」


「こんばんは。バレンタインの日は演奏会があるから、ちょっと早いけどバレンタインのお花です」


 エミリーさんはにこやかに迎えてくれた。良かった、花束という選択肢は間違っていなかった。


「寒かったでしょう。温かい飲み物を用意……」


 エミリーさんが中に入れようとするのを僕は遮る。


「いや、この後に典子さん親子のところへ行くから。僕の本を何冊が典子さんに献本するから」


「……。私には無いのですか?」


「……」


 なんか、地雷を踏んだ気がする。鈍感な僕でもわかる気まずい沈黙が漂う。雪は音を吸う。それが余計に沈黙を増幅させる。


「あ、いや、日本語の本だから読めないかと思って。ごめん。じゃ、Uberを待たせているから」


「あっ……」


 あの答えで良かったのだろうか。でも読めないのは事実だし。急がないとUberのチップがかさんでしまう。僕は足早に急いだ。


「まあ、峰岸さん。わざわざありがとうございます。花束だけでなく本までいただいて」


「まあ、最初の本は情報が古いですが、日本の現状などもありますよ」


「あ、コータローおじちゃん! 私の分まで花束ありがとう。ママから聞いたんだ。日本では女性が男性にチョコ贈るって。こんなんで良ければもらってって」


 エリカちゃんが渡してきたのはメジャーなメーカーの袋チョコ。ラッピングもなくそのまんまだ。


「これ、エリカ。そこまで大雑把なものは失礼よ」


「だって今日来るとは思わなかったのだもの」


「気にしないで。ラボの帰りだし、これから論文も書くからすぐに帰るので」


「そんな、お茶の一杯でも」


「いえいえ、Uberを待たせているので失礼します。エリカちゃん、チョコレートありがとうね」


 よし、ミッション完了だ。なんとかこなしたとボブに話したら、彼は頭を抱えてしまった。


「お前がここまでバカと思わなかった」


「え?」


「エミリーさんは典子さんの二の次にされたと思ってるぞ。それに本だって後で英訳してあげたものをあげるということもできたし、何よりバカ正直に典子さん親子に花束贈るなんて言うか? せめて大家さん一家への花束と言って誤魔化せ」


 しまった。ボブの言うとおりだ。地雷踏んだ僕の直感は間違ってなかった。慌てて彼女にメールをしたが返信はまだない。


「それに典子さんは普通に友人からもらったと思ってるフシもあるな。二兎を追う者は一兎をも得ずと言うぞ。ほんっとうにバカだな」


 そう言ってまたボブは頭を抱えてしまった。


「アメリカにもそのことわざがあるのだね……」


 辛うじて僕は答えた。雪はまだ降っている。沈黙は家でも続いている。


 四〇年間非モテだった理由がなんとなくわかった気がした。いや、それよりこの事態をどうしよう。僕自身もハッキリさせないといけない。


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