第5話

「あ、雨ふってる」

 僕たちがフルコースを終えてレストランを出ると、秋山さんは真っ黒な空を仰ぎながら呟いた。アスファルトの道にパタパタと雨粒がぶつかり跳ねる。

「もーせっかくの門出なのに」

「いつもこんな感じですね。傘持ってますか?」

「もちろん持ってきたよ」

 秋山さんは当然のようにそう言って、バッグから取り出した青い折り畳み傘を開く。

 そうだよな、と僕は黒い傘を開いた。もう社会人だもんな。

「結婚ってどんな感じなんだろうね」

「まったく想像がつきませんね。ステージが違いすぎます」

「だよねえ。まあでも神野くんは安心していいよ。私が先に見てきてあげるから」

 秋山さんは小さく胸を張った。それを見て僕は苦笑する。

「いつもありがとうございます。そもそも結婚できるかわかんないですけど」

「え、なんでよ」

「結婚って歳とれば半自動的に上がれるステージじゃないですし」

「まあそうだけど。神野くんなら大丈夫でしょ」

 彼女は数歩前に出て振り返り、僕と向き合う。

 そして、抱えていた花束を見せつけるように持ち上げた。

 

「幸せだよ。君は人を幸せにする力を持ってる」


 だから大丈夫、と秋山さんはもう一度繰り返して笑った。

「……秋山さんが言うなら大丈夫な気がしてきました」

 僕は答えると、彼女は何も言わず微笑んで、パチン、と鳴らした指を僕に向けた。

 本当にこの人は、いつも僕より先を歩いて導いてくれる。

「じゃあね、また」

「ええ。今度はどこかの居酒屋で」

「そうね。なぜなら私たちはブラックフレンズ」

 あはは、と明るく笑って、秋山さんは手を振った。

 そして花束を抱えた彼女は振り返ることなく雨の降る夜を歩いていく。僕はその場で立ち尽くしたまま、次のステージへと歩む後姿を見送った。

 ――大丈夫、と彼女の声が蘇る。

 この言葉があれば、僕はどこまでも歩いていける気がした。それがたとえ彼女の隣じゃなくとも。

「……あ」

 そういえばもう一つ言い忘れてたことがあったな。

 夜に溶けそうなほど小さくなった背中に向けて、僕は決して届かないように言葉を投げる。

 大学生の頃から。

 

「大好きでしたよ、先輩」


 湿ったアスファルトに水滴が跳ねる音がした。



(了)

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カフェとプティフール 池田春哉 @ikedaharukana

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