第51話 最終話 いつかこの花で花束を
夢を見た。
頭の上に見たこともない白髪の老婆が乗っている。そして俺は何故か子供に戻っていて、出された生魚をばりばり食べている。頭の上に座った老婆は膝にぼろぼろの白い子猫を抱き、もっと食べろもっと食べろと袂から生魚をどんどん出してくる。魚が山と積まれた皿には、見覚えがあった。
目の前に男が立つ。メガネの男は俺が覚えているより数倍いい男になって、頬に立派なヒゲを生やしていた。猫の。人のヒゲではなく、横にぴんぴん伸びているあの猫のヒゲ。
老婆は俺にぼろぼろの子猫を渡し、いっぱい食べるんだよ、仲良くするんだよ、と何度も言い含めて男の横に立った。
突然老婆が剥けてすらりとした白い美しい猫が現れた。人のようにドレスをまとい、優雅にしっぽを揺らしながら、メガネの猫ヒゲ男にエスコートされて虹の方に去っていく。虹の方には、たくさんの人影が見えた。ひょろっとした男性や、ポニーテールの女の子も。
俺は残された子猫を抱きしめて、その背中に叫んだ。
「あやめ」
蓮太郎は自分の声で目が覚めた。死んでも夢を見るのか。
白っぽい部屋だ。死後の世界にも病院があるのだろうか。体中が痛くて、大きく息をするのも大変だ。死後の世界にも痛みはあるのか。
まわりを見ると、まるで本当の病院のように、点滴のスタンドや、血圧や心拍の状態を表示する機械などがあった。死後の世界にも。
蓮太郎は跳ね起きた。死んでいない?もしかして自分は生きているのか。
「何で、じゃあやめさんは」
機械に何かあったらしくエラーのアラームのような音が鳴り、看護師が慌てて飛び込んでくる。そして、蓮太郎が起き上がっているのを見ると、すぐに出て行って今度は医師らしき男を連れてきた。
「俺は生きてるんですか、どうして、あやめさんはどうなったんですか」
声がかすれる。声を出すと胸が痛い。しかし叫ばないではいられなかった。
あの時、光を受け止めて海に落ちた時、蓮太郎は確かにまだ微かに意識のあったあやめに注射を射ったはずだ。あやめはすぐに気を失った。まわりの暗い海がすっと消えて、2人きりになった。蓮太郎はあやめを抱きしめて死ぬはずだった。
なのに、蓮太郎は生きている。では、あやめは。
「あやめさんはどうしているんですか」
医師と看護師は答えず、診察を続けている。蓮太郎は何度も尋ねたが、答えてもらえない。
蓮太郎はたまらず立ち上がった。
「あやめさん!」
看護師を振り切って病室を飛び出そうとして、カメラにぶつかりそうになる。
「カメラ」
蓮太郎は思わず口にして、にやにやしている羽町に気付いた。
「すごいですね、ファウスト補佐官、じゃなかったファウスト技官の予想ほぼ当たりましたよ」
蓮太郎は羽町に食ってかかるようにして尋ねた。
「あやめさんは?あやめさんはどうしたんですか」
羽町はにやにやしている。焦れったくて、蓮太郎は羽町を乱暴に押し退けた。
「建物中探すつもりですか」
「誰も教えてくれないなら、そうする!」
「すごいなファウスト技官、パーフェクトです」
羽町が感心したように言うと、スピーカーを通した高笑いが聞こえた。
「やっと僕の気が済んだ!これで僕の仇討ちは終わりだ」
羽町が小型のモニターを蓮太郎に向けている。画面の中では、ファウストがアイスの大きな箱を抱えて気持ち良さそうに笑っていた。
「ファウストさん!あやめさんはどこですか、生きてるんですか」
蓮太郎は小さな画面にしがみついて尋ねた。ファウストは蓮太郎の方に手を伸ばし、いや正しくはファウストを映しているカメラに手を伸ばして、向きを変えた。
ガラスの温室のような部屋に、銀色の髪の女性と微笑む男性、そして白い髪の、黒いワンピースの女性が立っていた。
銀色の髪の女性と白い髪の女性は手をつないでいる。銀色の髪の女性は時折横顔が見えるが、白い髪の女性は背を向けていて顔が見えない。けれど、見間違えるはずがない。あれは。
蓮太郎が呼びかけようとしたら、すっとカメラが戻った。ああっ、と叫んで映像を追いかけてしまう。が、画面は変わり、カメラは晴れ晴れした笑顔のファウストを映している。秀柾にそっくりだ。
「ああ、いい顔だ!実に気分がいいよ」
「ファウストさん、あやめさんは」
「君の足元だよ。ここは病院ではなく、僕の研究棟だ」
蓮太郎はきょろきょろと辺りを見回した。と言っても床が透ける訳もなく、ファウストの言ったことを確かめる術はない。
「そのくらい元気ならご案内しますよ。まあ着替えて靴くらい履いてください」
羽町がカメラを構えたまま笑う。蓮太郎はそこで初めて自分が病院の服を着ていて、裸足で走り回っていたことに気がついた。医師と看護師も笑っている。
こいつらみんなぐるだ。
蓮太郎は頭にきたようなほっとしたような恥ずかしいような気持ちで、着替えるためみんなに部屋を出てもらった。
羽町はそのまま部屋の前で待っていた。連れられて歩きながら、あれからもう3週間も経ったことを知らされる。
エレベーターで1階まで降りた。扉が開くと、そこはもうさっき画面で見た温室だった。
「あやめさん!」
ガラスのような壁に飛びついて中を見るが、意外と広いようでここからは人の姿が見えない。中は何かを栽培しているようだったが、高い位置に管理された土には何もなく、何を栽培しているのかはわからなかった。
「こっちですよ、焦らないでください」
羽町がにやにやしている。蓮太郎はもう走り出したいのに。
羽町の歩調に苛立ちながら、蓮太郎は後ろを歩いた。
「ファウスト技官、連れてきましたよ」
角の扉を開け、羽町が声をかける。
「ノックをしたまえと、何度言ったらわかるんだ!」
アイスの箱が飛んできた。しかし声はすこぶる機嫌が良さそうだ。蓮太郎はアイスの箱と同じくらいの勢いで部屋の中に飛び込んだ。
「ファウストさん、あやめさんは」
驚くほど当たり前に、あやめがそこにいた。
「蓮」
あやめが輝くように微笑む。
「あやめさん!」
蓮太郎は叫んで飛び付き、あやめを抱きしめた。
あやめ。ああ、生きていてくれた。
あやめがいる。ここに。この手の中に。
「あやめさん」
「良かった、蓮が生きていてくれて」
あやめの手がそっと蓮太郎の背にまわされた。
「私に命を分けてくれて、ありがとう」
蓮太郎は体を離した。
「そうだ、俺、どうして……」
「君の生命力が雑草レベルだからではないのかね」
ファウストが機嫌良く嫌味を言う。事務机でモニターに向かって作業していた樋口が振り返り、口の端だけ持ち上げて笑う。あやめが博士、とたしなめ、蓮太郎を見て微笑む。
「花よ」
「花?」
あやめは温室の方を見た。入口が何重にもなっている妙な温室では、さっき映像に映っていた銀の髪の女性がこちらを見て微笑んでいた。
「私たちが掴んだ光は、緊急脱出ポッドだったの。それにはあの人たちが乗っていて、あの人たちが花をくれたの」
あやめは手にした植木鉢を見せた。そこには桜のような花の植物が数本植えられていた。
「あなたはこれを食べたのよ。あの人たちの中にも息に中毒する病気があって、この花はその治療薬の材料なんですって」
魔女たちが思っていたのはこの花だったのか。
蓮太郎はじっと花を見つめた。薄紅色の、優しい色の花。きれいな花だ。
「今はまだ、花はこれしかない。しかし、あの人たちは種をくれた。あの人たちの協力と僕の天才的な頭脳で、もうじき花はどんどん咲き始めるはずだ。そうしたら、薬が作れる。薬が作れるなら、あの人たちも外に出られる。時間があれば浄化装置も作れるはずだ。この研究棟はそのためのものだ」
ファウストが楽しそうに言った。
「21人だけ、助けられたわ。しばらくはまだ窮屈な生活をさせてしまうけれど、納得してもらいました。あちらにも科学者がいて、協力してもらっているのよ」
「話がわかる者に初めて会ったよ。通訳機を通すのがもどかしいほどだ」
2人とも笑顔だ。21人と言う数字は、決して多くはないけれど、蓮太郎は生涯忘れないだろう。
「あの人は、銀の魔女よ。金の魔女はあの人の双子のお姉さんだったんですって。そんな話をずっとしていたの」
「魔女同士は手をつなげば通訳機がいらないらしい。便利なものだ」
蓮太郎が振り向くと、銀の魔女は微笑んで手を振ってくれた。
「……デアクストスは」
「砕けて、沈んだそうよ。もう限界だったのね。リボンで手を結んでいたから離れ離れにならなくて済んで、そこをあの人たちが見つけて助けてくれたの。後でお礼を言ってね」
蓮太郎は再びあやめを抱きしめてうなずいた。何だか涙が止まらない。あの人たちにも、海の底に沈んだデアクストスにも、心からありがとうと言いたい。
あやめがそっと涙を拭いてくれた。
「さて、雨野、僕の研究室はまだ手が足りないのだが、君はまた花いじりをして暮らしていく気はないか。もちろん今度こそ僕に絶対服従するなら、だが」
「大丈夫よ、博士は楯突く人が嫌いじゃないから上手くやっていけるわ」
あやめが微笑み、ファウストが何だと、と憤慨する。あやめもここにいるのだ、断る理由などない。
あやめがそっと蓮太郎の手に何かを乗せた。それは、みんなのリボンとカンナのヘアゴムだった。持っていてくれたんだ。良かった。
「いつかこの花で、またお花屋さんを始めましょう。みんなに大きな花束を作れるくらい、花をたくさん咲かせましょう」
「うん。きっと」
桜色の花は、きっとみんな大好きになるはずだ。こんなにきれいで、優しいのだから。
「そういえば俺、変な夢を見たんだ」
「夢?」
「うん。後で話すよ、その前に」
蓮太郎はあやめとしっかり手をつなぎ、そっとキスをした。
魔葬機巧 デアクストス 澁澤 初飴 @azbora
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