第50話 諦めない


「上と、後ろ!間に合わない理由はそれよ!」

 あやめが叫んだ。

 蓮太郎はがむしゃらに剣を振って紅金の剣を薙ぎ払い、あやめの言葉を聞くために距離を取る。

「上と後ろ!?」

「宇宙船が引力に引かれて落ちてくる!もう、燃料がないのよ!」

 あやめが絶望したように叫ぶ。蓮太郎ははっと上を見た。宇宙船はまだ見えないが、紅金がそんなことで嘘をつくとは思えなかった。

「だから、せめて先に私たちを刺し違えてでも殺すつもりで来ているわ。背中に、自爆装置を積んでる」

 背中に。蓮太郎の目の前が暗くなる。

 遅かった。もう、ダメなんだ。話はできなかった。


 紅金が迫る。操縦桿が重い。力が出ない。蓮太郎はあやめを見た。あやめは呆然とうつむいている。

「あやめさん!」

 あやめがはっと顔をあげた。泣きながら、何とか気持ちを立て直す。デアクストスは間一髪で紅金の一撃を避けた。

「ごめんなさい、私……」

「しっかり、一緒に帰るって約束しただろ!」

「でも、こんな、もう」

 蓮太郎はリボンを握りしめ、自分にも言い聞かせるように叫んだ。

「諦めるな!俺は諦めない!」


 紅金が速い。太刀筋には迷いがないように感じられた。

 どうして。こんなにどうしようもないのに、どうして迷わず戦えるんだ。俺は迷ってしまったのに。諦めてしまいそうなのに。

 蓮太郎は歯を食いしばり、剣を交えた。

 さっきより押されている。やはり力が出ない。あやめが諦めてしまったのだ。

 どうしたらいい。どうしたら、俺は諦めないで望みをつなげられる。どうしたら、あやめにそれを信じてもらえる。


 どうしたら絶望を希望に変えられる。


 ただ時間とあやめの魔力が削られていくだけのような攻防が続く。あやめの魔力も、これっぽちも無駄にしたくはないのに。

 反応するだけで精一杯の実戦で、考えごとをするのは難し過ぎた。

 注意されていた肩の反応の遅れが、今、出た。

「……う」

 上がり切らなかった盾は、紅金の剣を受け止められなかった。あやめの左の二の腕を切断してしまうかのように、血のような赤い筋が走る。盾が落ちた。

「あやめさん!」

「大丈夫」

 言葉とは裏腹にあやめの表情が苦痛に歪み、真っ青な顔に汗が流れる。

 ごめん、俺が迷ったせいだ。

 迷うくらいなら、戦って。

 あやめの言葉がよみがえる。蓮太郎は決めたはずだ。自分がどう戦うのか。


「……受け止める」


「えっ」

 あやめがかすれた声で問い返す。デアクストスは傷ついた左手で、剣を持つ紅の手を掴んだ。

「俺たちで落ちてくる宇宙船を受け止める!」

 あやめがぽかんと蓮太郎を見つめ、紅金が急に下がった。

「決めた!あやめさん、デアクストスと向こうのロボットで、船を受け止めよう」

「そんなこと」

 あやめが言いかけ、言葉を失う。

「バカなことを言っていないですぐにそこから離れろ!」

 スピーカーからファウストの声が叫んだ。

「宇宙船の大きさは約三百メートル、落下予測地点はそこだ。雨野がそんなに仲良くしたいならもうそのロボットも引っ張ってこい!演算機の一番短い数値だと、あと十分もしないで落ちてくるぞ!」

 デアクストスは紅金に歩み寄り、手を差し伸べた。

「雨野!三百メートルの物が落下したら、周囲が」

「何となく知ってる、夏休みの自由研究で調べた!それ以上言わなくていい、詳しく聞いたら絶対できなくなる」

「雨野ぉ」

 ファウストが物に当たった音がした。

「蓮」

「あやめさん、お願いだ。力を貸してください」

 あやめはそっと微笑んだ。

「もちろんよ。あなたらしいって思ったの」

 蓮太郎もあやめを見て笑った。

 紅金が立ち尽くしている。蓮太郎は待った。手を。

 紅は動かない。しかし、金の手がそろりと動いた。デアクストスは急いで剣を持ち替え、左手を差し出した。

 左手の握手はケンカの挨拶だっけ。蓮太郎は戸惑いながら、しかしようやく応えてもらえたことを感謝しながら手を握る。

 伝えたいことを懸命に思う。船を受け止めよう。共存できる道を、もう一度探そう。

 何かが、蓮太郎にも伝わってきた。戸惑い、怒り、悲しみ。そして、感謝。

「あやめさん、俺にも何だか伝わってきた」

 蓮太郎は何か泣き出したいような気持ちで言った。あやめは泣きながら微笑んだ。


 紅の色が抜けていく。何故、と思って見ると、紅のコクピットが開いた。そして、機体と同じ紅色の髪の女性と、寄り添う男性が姿を現した。

 その姿は殆ど人と同じだった。

 紅色の髪の女性が手を差し伸べる。蓮太郎はコクピットを開けようとしたが、開け方がわからない。

「中からは開かないようになっているの。中の空気を少しでも漏らさないように。ごめんなさい」

 あやめが呟く。蓮太郎もごめんなさい、と心の中で謝り、つないだ左手に伝わるようにと願った。本当は出て行って手をつなぎたい。

 紅色の髪の女性が少し金の方を振り返り、また向き直る。金が伝えてくれたのだろうか。

「伝わったのね、蓮の気持ち」

 あやめが囁くように言う。

「伝わるのね、気持ちって」

「うん。一緒に宇宙船も受け止めてくれるかな」

「きっとやってくれるわ」

 あやめの瞳に光が戻った。蓮太郎は微笑んだ。

「後ろ!」

 突然あやめが叫んだ。デアクストスは手を離して振り返り、咄嗟に剣を掲げた。

 小さな爆発が起こり、戦闘機が頭上すれすれを飛び去っていく。

「何で?俺が戦わないからか」

「違う、紅の魔女を狙ったのよ」

 振り返ると、爆風に煽られてよろめいてはいたが、2人とも無事だったようだ。すぐにコクピットがしめられ、紅の色が戻ってくる。

「そんな、どうして!」

「敵を倒す絶好の機会にぼんやりしているバカがどこにいるんだ!デアクストスも補佐官もクビだ、これから作戦部が指揮を取る!」

 スピーカーから男の声がした。蓮太郎はぐっと操縦桿を握った。

 そうじゃないのに、敵じゃないのに!

 戦闘機が驚くほど小さく旋回してすぐに戻ってくる。デアクストスは紅金の前に立ちはだかった。

「どけ、デアクストス!」

「どかない!」

 スピーカーの奥から、どうせ戦闘機の弾なんかデアクストスにも向こうの機体にも効かないよ、と笑うファウストの声がした。ファウストはそこにいるのか。

 戦闘機は結局撃たずにすり抜けた。ほっとして紅金に向き直ったが、彼女らはどう思っただろう。

 蓮太郎は再び手を差し出すことを躊躇した。


 しかし、紅が迷わず手を差し出した。蓮太郎は思わず操縦桿を握りしめた。


「……ありがとう」

 デアクストスは紅の手を握った。しっかりと、しかしそれは短い時間だった。

 紅はすぐに手を離し、海に佇んだ。あれだけ動き回ったのに、海面にはまだ花が浮いている。

 あやめが泣いている。蓮太郎は言葉がなかった。

 紅金が引き上げていく。

「引き止めろ、もう少しで核がそこに着くんだ!」

 男の声が喚く。あやめが涙で震える声で低く言う。

「核はいらないわ。あの人たちは船を爆破させに戻ったんだから」

 蓮太郎にもそのことは伝わった。


 船は助からない。角度がどうしても制御しきれなかった。おそらく大気に突入して爆発するか、バラバラになる。

 しかし、その大きさの物がその近さで爆発したらこの星にも大きな影響があるだろう。バラバラになっても、大きな破片が残って落ちたら大きさによってはひどい衝撃を与えるはずだ。

 それなら、いっそ。どちらも助からないよりは、どちらかでも助かる道を。


 花を、ありがとう。


「ふざけるな、もう許可を取ったんだぞ!」

「ファウストさん、その人を殴ってください。仇討ちの暴力の代わりに」

 蓮太郎が言うと、男の声が痛い!と叫んだ。

 紅色の髪の魔女の名前は、こちらの言葉で言うと蓮の花だそうだ。

「向こうにも蓮があるんだね」

「あなたと同じ花ね」

 デアクストスが空を見上げる。空はいつものように青い。

「ああ、船に着いたわ」

 しばらくしてあやめが呟く。

「見えるの?」

「ううん。でも、一度しっかりつながったから、何となく伝わるの」

 蓮太郎には今は何も伝わらない。しかし、空が一瞬強く輝いて、彼女たちが意志を貫いたことを察した。

 終わったのか。蓮太郎はうつむき、深く息を吐いた。


「蓮」

 しかしあやめの声はまだ緊張していた。

「金が、助けて、お願いって言って消えた」

「金の魔女が……生きているのか!?」

「違うと思う、けど、金が誰かを助けたかったみたい、そしてあの花を思っていた」

「花」

 蓮太郎は空を見上げた。青い空に流星のように光がいくつも流れては消えていく。

 消えない光がある。

「あれか!」

 あやめもうなずいた。

「走って」

 あやめの目が蒼く光る。デアクストスが光をまとう。

 デアクストスは光になって空気を切り裂いた。

 あの人たちの最後の祈りは、絶対に受け止める!

 デアクストスの足がもつれた。

「あやめさん!」

 蓮太郎は何とか走り続けながらあやめを見た。あやめが苦しそうだ。しかし、あやめは叫んだ。

「走って、蓮!」

 蓮太郎は歯を食い縛り操縦を続ける。

 もう少し、もう少しだけ頑張ってくれ、あの光を受け止めたら終わりにするから!

 蓮太郎のポケットには以前病院から渡された使い切りの注射器が入っている。心が不安定だった時のあやめを止めるための麻酔だ。

 あの光を受け止めたら、あやめにこれを射つ。そうすればデアクストスは蓮太郎の命を吸い取り、あやめに与えるだろう。

 この命でどれだけの魔力が補えるのかはわからないが、せめてあやめにはこのコクピットを出てほしい。こんなところではなく、猫のあやめのように穏やかに、自分で選んだ場所で、好きな人に囲まれて眠りについてほしい。できればこれからずっとずっと後に。


 海が深くなってきた。思うように走れない。光はもうほぼ真上、すぐそこなのに。

「跳んで、蓮!絶対に届かせるから!」

「わかった!」

 デアクストスは思い切り飛び上がった。光に手を伸ばす。

 届け!この手を届かせてくれ!

 矢のように光に向かったデアクストスは、正面から光を受け止めた。激しい衝突が起こる。機体が砕けそうだ。

「あやめ!」

「守るわ!あなたも、あなたの祈りも!」

 白い魔女が叫び、デアクストスがなお白く輝く。デアクストスは光を抱いて、海に突き刺さった。

 激しく上がった水柱は、空にも届きそうだった。

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