曰く付きのポラロイド

二葉ベス

曰く付きのポラロイド

 曰く付きのポラロイドを買ってしまった。

 なんでも、このカメラで写真を撮ると幽霊が必ず写り込んでくるらしい。

 人生の彩りとつまらない日常からの脱却。それから安価を理由にこの中古のポラロイドを買ってしまった私はおっかなびっくり触りつつ、さっそく写真を撮ってみることにした。


 必ずって言っていたけど、まさか初回の1回程度で幽霊が出てくることなんてないだろう、ははは。

 どこを撮ろう。レンズ越しに部屋の中をぐるりと一周して、窓際のスポットを見る。物は試しだ、パシャリ。

 さーて、幽霊だろうが壁のシミだろうが、正体なんて枯れ尾花というのをこの私が直々に証明してあげよう!

 ポラを乾かして、現像された写真の様子を見る。


 太陽が差しているオレンジ色の窓。そうそう、私の家は窓が西向きだから西日がすごいんだよなぁ。

 それからベッドに散らかっている黄色や赤色の衣類。あー、そろそろ掃除しなきゃ。机の上のコーラの缶とかも片付けないとなぁ。

 それから黒色で長い髪の少女。ちんまりとした姿がかわいらしい。


 ……ん?


 慌てて、部屋の中を確認する。誰もいない。

 写真を見る。黒色の少女が床の上で正座している。

 その場所を確認する。誰もいない。


「……はえ?」


 ど、どういうこと? 私の家、幽霊憑いてる感じで?

 いやいやいや、物件探した時も「誰も死んでいない真っ白でクリーンで健全な物件ですよ」って不動産屋の人言ってたよ!

 恐る恐るレンズをのぞき込む。ここには誰もいない。

 パシャリとシャッターを切って、写真の現像を待つ。

 どうしよう。もしかしてもしかしなくても、曰く付きってこういうことだったんだ。あわわ、こんなものはさっさと売って、新品のポラロイドを買おう。そうしたら外に出かけて写真を撮るんだ。今は夏だし、ちょっと遠出して晴れた日の海の写真とかが撮れるはず。あはは、さぞ綺麗な景色だろうなー。


 ちらっと写真を見る。やっぱりいるーーーーー!!!!

 今度は一生懸命に何か紙に書いてる! それ、私のメモ帳なんですけど?!


 机の上のメモ帳を見ても、特に書かれていない。

 し、心霊現象もここまで証拠を残さないと、恐ろしく見えて仕方がない。

 幽霊は正体すら隠すということか。おぉぉぉ、恐ろしや。


 とはいえ、この黒髪の女の子。書いてる内容がちらりと見えるけど、なんだろうこれ。

 目を凝らしてよーく見てみる。


『わたしは わるいこ じゃ』

「なんだこれ」


 突然のじゃロリ宣言されても。

 殴り書きのようにも見える。心なしか書いてる彼女もあせあせと焦燥感に駆られて書いているようだった。

 これはこれでかわいらしいけれど、なんというか幽霊感なくなってきたな。

 幽霊と言えばこう、悠然たる堂々とした態度で、わっ! と驚かせてくるものだ。不敵で無敵な暗い顔をして、ふふふと笑っているような恐怖を駆り立てる不気味さ。


 けれど彼女にはそんな雰囲気を感じさせない。

 よく見ると1枚目の写真だって正座しているけれど、どことなく緊張している様子だ。

 そわそわしていて、ここが落ち着かないご様子。その証拠に正座中の両手が膝の上でぐーっと固まって動こうとはしないのだ。

 写真だから動かないのは当たり前だけど、なんというか……。


「かわいいな、この子」


 恐怖感などどこ吹く風。消え去った後に思うことは曰く付きのポラロイドではなく、ただの不思議なポラロイドであった。

 途端にこの子の正体というものが気になってくる。

 幽霊ではないものの、正体を知りたくなってしまうのは人間の潜在的な恐怖からの脱却のためとも言える。ごめん、結構適当なこと言った。

 こういうのは試行錯誤。回数を重ねて、理解することが大事だ。

 ということで、写真をパシャリ。


『わたしは わるいこ じゃないです』

「わぁ、かわいい」


 今度はカメラのレンズに向かって、ふるふると震えながら怯えた格好でメモ用紙をこちらに差し向けていた。

 かわいい。なにこの生命体。生命体なのかはさておきとして、かわいらしい生き物はこの部屋の中にいるのかもしれない。意思疎通とかできるのかな。でもどうやって?


「うーん、こっちも軽くなんか書いてみるかな」


 メモ用紙を1枚取り出して、さらさらと質問事項を書いてみる。

 書き出した内容は「あなたは誰ですか?」というシンプル極まりない質問だった。


「えーっと、例えばこれを写真にしてみるとか? めんど……」


 女の子が勝手に読んでくれないだろうか。

 家の幽霊さんならこのぐらいの芸当ぐらいできるはずだ。

 カメラの前にメモ用紙を置いて、そういえば家の牛乳がもうないんだった。と思い出す。

 放っておけば読んでくれるだろうし、読み終わるまでに30分もかからないだろう。帰ってきたらまた写真撮ってみよ。


 そうして30分後。写真を撮ってみると、とんでもない枚数のメモ用紙が写真の中に写り込んでいた。

 うわ、こわ!!!

 びっくり仰天。腰を抜かしてベッドにひっくり返る。

 な、なにこれ?! 待ってたってこと?!! 幽霊さんが? こっわ、メンヘラかと。


「えーっと」


『わたしを うらないで』

『わたしは かめらの ようせい です』

『わたしは かめらのなかに すんでます』

『すてないで』

『うらないで』

『ひとりにしないで』


「うわー」


 怖すぎる。これは幽霊ですわ。自称妖精ですけど、これは悪霊の類だ。だって書いてる内容がただのメンヘラだし。売らないで。1人にしないで。捨てないで。か。

 このカメラの中に住んでいる妖精さんと言えば聞こえはいいけれど、見た目が黒一色だし、隅っこに写り込んでいたら、それこそ座敷童にしか見えない。

 そんなところがかわいいんだけど、お気に召さなかった人は幽霊だと誤解して、カメラを中古にしたのだろう。


「結構古めだし、いろんな人の手を渡ってきたのかな」


 想像すればするほど、1人にしないで、という切実な気持ちが伝わってくる。

 この子はひとりぼっちで、ずっと、いつまでもカメラの中にいたのかな。

 この子の世界はいつまでも灰色のままだったのだろうか。


「なんか、寂しいな」


 よし、お姉さんがこの子を貰ってあげようじゃないか。

 大丈夫。食費とかかからなさそうだし! ご飯は修理代とポラだけでいいのかな。


 メモ用紙に「あんしんして わたしが きみを やしなう」と書いて、写真をパシャリ。

 やれやれ、とんだカメラを買ってしまったようだ。まぁ、かわいらしい妖精さんが一緒ならなんの問題もないってことで。


『わたしは かめらの ようせいです!!!』


 それは分かってるから。

 ん? いや、これってさっき私が書いたメモ用紙を指して、返答しているのかな。


「あー、もしかして写真を撮らないと書いた内容も伝わらない感じ?」


 めんどくさー。思わずそう呟いてしまった。

 肩の張っていた力を緩める。はぁ。なんか疲れちゃったなぁ。

 ベッドに横たわって、緩めた力でカメラをパシャリ。吐き出される写真を見て、世にも奇妙なポラロイドがあるもんだとぼんやりと考えていた。

 まぁ妖精さんは少女のような見た目をしているから近所の女の子だと思えばかわいらしいものだ。ちょっとメンヘラ気質なのは傷だけど。


「おっ、現像終わった。あぁ、手元がぶれるとそうなるんだ」


 写真では振動が起きている背景とその中でガタガタと涙目で震えている少女。

 それから「うれしいです!」と書かれたメモ用紙があって、ちぐはぐな景色だこと。とクスリと笑ってしまった。


「しょうがないなぁ」


 ちゃんとした写真にするべく、ベッドを写しながら私はまたシャッターを切るのだった。


 ◇


 ポラロイドの妖精さんと日々を過ごしはじめて1週間。なんて素敵な日常なんだろう。

 朝は写真を撮って、妖精さんにおはようございます。

 昼には妖精さんとランチ気分。写真を撮ったらもぐもぐご飯を食べている。かわいい。

 スケベ心を胸にお風呂で写真を撮ってみたら服を着ていた。ちょっとガッカリだった。何故服を着ているのだろう。何故私はお風呂の写真を撮っているのだろう。

 正気に戻ったらダメな気がする。妖精さんかわいい。写真撮るの楽しい。よし、これでいける。


「はぁ……大学の夏休みになーにやってるんだろう……」


 わたしは しょうきに もどった!

 戻ったらダメだって数行前に言ってたはずなのに、もう戻っちゃったよ。

 妖精さんはかわいいし、ぼっちの1人暮らしにおいて、写真越しにでも意思疎通できる女の子がいるというのは貴重だ。

 口で喋らなくてもいいから、1人でぼそぼそつぶやいているわけではない。そこは周囲からの目を掻い潜ることができて嬉しかったりする、のだけど。


「やっぱり文章だけだと……」


 写真を並べて、彼女の言葉を目にする。

 『おはよう!』とか『ご飯美味しいよ!』とか『お風呂気持ちいい』とか。

 メモ用紙だけでも十二分伝わってくるかわいらしさだが、声が聞きたい。

 そもそも声帯はあるのかな。あったらどんな声しているんだろう。やっぱりきゃるーんとした少女の軽やかに飛ぶ声だろうか。それとも見た目通りの黒くて冷静沈着。おしとやかさが音からにじみ出る声だろうか。

 どんな声だろうと、彼女を愛せる自信がある。だってかわいいし。


『声? ちゃんとあるよ! じーパシャ! みたいなの!』

「それが声だったんだ」


 まんまカメラのシャッター音じゃん。

 やばい。シャッター音に萌えを見出してしまう。冷静になれ、冷静に。


 彼女に声はない。ないから文章で事を語る。このメモ用紙が彼女の声、ということか。


「こんなにかわいいのになぁ」


 シャッターを切る。写真の中には元気にベッドの上で跳ねている少女の姿があった。

 今日もかわいい。こっちの世界はもっと音にあふれているのに、彼女の世界にはシャッターを切る音しか聞こえない。

 無音の空間でただはしゃぐのは、いったいどんな気持ちなんだろう。

 ひとりぼっちの世界で、静寂だけが支配する世界で、笑っていられる彼女の気持ちは……。


「向こうに音を届けられないかな」


 ふと、無茶なことを声に出す。

 声や音を届けるのにどうやってやればいいんだろう。録音機器を写真に撮っておくるというのはどうだろうか。

 例えばボイスレコーダー。買ってみようかな。いや、買おう! 物は試し! やらねばならない! 妖精さんのお姉ちゃんなら!


 さっそく家電量販店に行ってきて、購入して帰還。

 こういう時の行動力は目を見張るものがある。全部私のことなんですけどねー、はっはっは。


 では、さっそく声を録音してみることにする。

 うーん、どんなこと言おうかな。挨拶とか自己紹介とか? でも出会って1週間。今さらだしなぁ。

 あとは……。なんだろう。「かわいいね」とか?

 い、いや恥ずい。恥ずかしすぎる。画面の外から言うのと、対面で言うのは度胸量が計り知れないほど違う。

 じゃあ「好きだよ」……。絶対ない。ありえない。嫌です言いたくないです恥ずかしい。


「世の中の告白できる人類が羨ましいな」


 人生経験=恋人のいない時間の私にとって、第一声がこれほどまでに難しいとは思ってもみなかった。

 これは、恋人ケーション能力が試されている……?!

 って、この妖精さんが私の恋人だなんて恐れ多いったらありゃしない。そもそも幼女だし。


 まぁ? でも。好きと言えば、好きですけどぉ?

 だってこんなに可憐で、一見座敷童のようにも見えるけれど、黒髪とか長くて綺麗で、写真の中でしか見たことのない美しさ。

 顔立ちだってお人形さんみたいに整っていて、笑みを振りまけば私の心を鷲掴みにする輝きを誇っている。それこそ雑誌の中でしか見たことのない真の笑顔。

 確かに写真の中の存在だよ? でもそこにいるってことを確かに感じ取れる実体感? それとも本物感というべきだろうか。まさしく光ですよね。

 できれば着せ替え人形にして遊びたい。とかではなく、女児的な服を着させたらどれだけ可愛らしいんだろうかとか、ツインテールは? ポニテもありだよね。とか考えだしたらもーーーーー朝になっていた。


「ボイスレコーダー1つで徹夜してしまうだなんて……」


 今日がバイトとかでなくてよかった。あったら死んでた。


「……あ、そうだ。朝だし普通に挨拶でいいや」


 答えは巡り巡って一番最初のところまで戻っていた。頭はマヒしていると思う。寝てないし。

 でも無難だよね、うん。朝は挨拶から始まるって古事記にも書かれているし間違いない。

 朝の挨拶をして、メモに再生してみて、と書いて写真をパシャリ。

 さて、どんな反応になるんだろうか。写真の中では妖精さんが不思議そうにボイスレコーダーを突っついている。かわいい。


 それから数分してから、頃合いを見計らってレンズ越しボイスレコーダーを覗く。

 ちゃんと聞いてくれたかな。再生できただろうか。不安を断ち切るようにシャッターを切る。

 お願いだから聞こえていてほしい。ちゃんとここにいるよって言うのを伝えたいから。


 光から転写されたポラがじわりじわりと写し出されていく。

 薄ぼんやりと見えていた部屋の中の景色に黒い影。妖精さんだ。

 曖昧だった境界がゆっくりと輪郭を取り戻していく。黒い影が服を纏った少女に。ぼんやりとした光が朝日へと変わって部屋の中の明るさを取り戻す。机の上の物も浮かび上がってきて。そこにはボイスレコーダーとメモが一枚あった。


『おはよう! あなたの声が聞こえたよ! 綺麗だった!』


 お腹の奥底からスポンジのように暖かさが身体の中に染みてくる。

 水分を含んだみたいに、嬉しさが広がって指先まで滲む。

 吸い取り切れなかったモノが涙という形で漏れ出してしまった。


 あぁ、よかった。本当によかった。

 ちゃんと、私の声が届いたんだ。そっか。そっかぁ!


「ゆ、夢とかじゃないよね?!」


 頬っぺたをつねる。痛い。痛いってことは現実だ!


「うん、おはよ。妖精さん!」


 徹夜明けの朝なのに、このエネルギーに溢れた元気が胸の中に、全身にみなぎっていた。


 ◇


 それからいろんなことを試してみた。

 ボイスレコーダーがいけるんだったら、スマホとかも妖精さんは使えるのではないだろうか、と。

 試しに使い方の説明書を机に置いて、ポラロイドで撮影。1時間ぐらい経ってから同じく写真を撮ってみると、文明開化の瞬間を見ることができた。


『こ、これがすまほってやつなんですね! ありがとう!』


 弾けた笑顔がこれでもかってぐらい眩しい。

 あぁ、私はきっとこのためにスマホを買ったんだろう。そう感じさせるには十二分だった。

 ただし通話やメールはできないようなので、ただのメモ用紙の代用という扱いに落ち着いている。もしかしたら妖精さんの声が聞けるかなーって思ったんだけど。

 いや、実際聞いてた。じーパシャ! って声を。


「おぉ神よ。何故かの妖精さんに試練をお与えになられるのですか」


 暇なときに神社に行って神様に問いかけてみたが、めぼしい返事を聞くことはできなかった。

 代わりにおみくじを引いて、神主に貢献しようと思う。妖精さんと出会わせてくれた神様への感謝のしるしだ。


『神社、おっきー!』


 かわいいなぁ。妖精さんはいつも普通だった私の世界に彩りを与えてくれた。

 写真を撮っていない時はジャンプしたり、両手をいっぱいに広げたり、走り回ったりしているのだろうか。かわいいという感情しか出てこない。

 神様? あ! ちゃんと感謝してますよ? えぇ! おみくじだってぺらぺら捲ったら中吉が出てきたし。びっみょう。


「えーっと、大きく広いところに行くと吉あり、か。ざっくばらんとしてるなぁ、神様」


 大きくて広いところ……。なんだろう。大きなビルとか?

 でも妖精さんが人ごみで迷子になってしまうかもしれない。そうしたらもう二度とカメラの中には現れてくれなくて、ひとりぼっちになっちゃった妖精さんが私のことを探して『どこー? どこー?』って泣くんだ。

 うわぁあああああああ!!! 私はここだよぉおおおおおおおおお!!!!!


「あの、境内ではお静かに」

「あっはい」


 巫女さんに怒られたところで、想像したことが起こらないように対策を練ることにした。

 大きくて広いというと高原とかも広いよね。大きいかと言われたら、山は大きいけど。

 山と言えば川。川のせせらぎではだしのちっちゃな足で水をぱしゃぱしゃする妖精さん。かわいいかよ。私の心臓が持ちそうにない。あと11個ぐらい欲しい。十二の試練を突破出来たら私もかわいさに耐えられるを超限突破した存在になれるだろうか。

 いやなれない。例えヘラクレスのように12の心臓を持っていたとしても、13回殺してくる妖精さんには勝てないのだ! おぉ、妖精さん is GOD……。


「あ、そうだ。試しに聞いてみよう。大きくて広い場所といえば?」


 手元のスマホのメモで手早く入力したら、撮影。

 はてさて、どんな返答が返ってくるだろうか。写真をパシャリ。


『海! 海にいきたい!』

「海、かぁ……」


 よい。天才。大きくて広い。この言葉を最大限に生かした最高の返事だ。

 ちょうど私も行きたかったし、1人で行こう。もちろんちょっと穴場のスポットに。私知ってるんだよ、へっへっへ。


 翌日。

 準備を整えた私と1台のポラロイドは電車に揺られて、海辺の港町へと到着した。

 ちょっと遠くて電車の本数も少ないからちゃんと時間管理はしっかりしないと。でなきゃかわいい妖精さんを写すためのポラがなくなってしまう。

 ちなみにちゃんと交換用のポラは持ってきた。何かと出費が手痛いのがこの子の恐ろしいところである。もっとバイトを増やさなきゃな。


「ここはやっぱ寂れてるなぁ」


 ここへは来たことがある。何故ならここが私の故郷だから。

 要するに地元に帰省するきっかけをくれたのが妖精さんなわけで。やっぱりいい子だなぁ、妖精さんはぁ。


 駅を出て、シャッターばかりの商店街を通る。

 写真を撮るようになってから、こういった場所も絵になると気づくようになった。

 灰色ばかりの地元だったけれど、そこに鮮やかなペンキで色を塗ってくれる妖精さんはいつ見ても、かわいい。


「うん。やっぱり似合ってる」


 写真の中では歩道を小さい足で歩く妖精さんの姿があった。

 こっちに向かって手を振っているし、まるで天使だ。服が天使みたいに白色だったら、お美しい姿になっているに違いない。想像するだけで心臓が2つ止まりそうだった。

 いけない。今から行くところは私の心臓が5,6個あっても、妖精さんのかわいさの前では無力に等しい。やはり十二の試練を受けておくべきか。

 それにしても……。


「ここも昔から変わらないなぁ」


 地元を出てから数年が経った。

 何もないここが嫌で、少しでも都会に引っ越そうって思って、親に土下座して1人暮らしを勝ち取った。

 今にして思えば失敗でも成功でもなく。どこに行っても変わろうと思わなければ、日々の日常など変わらないということを嫌というほど教えられた。

 気づいた私は安かったこの曰く付きのポラロイドを買って世界を変えようと思ったんだ。

 灰色だった自分を変えるために。


「結果は、眩しい生活だったな」


 いくつも撮り溜めておいたポラを眺めて考える。

 妖精さんのおかげで、世界が美しく見えるようになった。

 曰く付きと言われて面白そうだな、と軽率に買ったポラロイドだったけれど、この出会いには感謝しかない。


「私の地元、どう思ってくれるかな」


 気分は恋する乙女だ。

 彼女が何を思ってこの町を歩いているのだろうかって。

 寂しいところ? それとも灰色の世界? 見知らぬ土地で戸惑っているのかもしれない。

 でもちゃんと私も一緒にいるんだよって覚えていてほしい。彼女から私がどう見えているかなんて、分かんないんだけどね。


 トンネルをくぐると潮の香りが鼻を突く。

 懐かしいな。子供の頃に戻ったみたいだ。

 地元が好きだった色を失う前の鮮やかな感情が、記憶の奥底から呼び起こされる。


「着いた」


 レンズを覗いて、目の前の景色を切り取る。

 大きくて広い海とカモメと雲の白が彩る青い空。灰色に黄色と黒の警告線が真っ直ぐに続く堤防。それと光の妖精さん。

 文字通り目がキラキラと輝いている。初めて目にした海は少し寂れているけれど、それ以上に感動がひとしおなんだ。昔の私もそうだった。いいよね、ここの海。


 堤防に座って、波を打つ音を耳にする。

 ざざーん。ざざーん。

 時折ばしゃーんと防波堤を叩く激しい波が打ち寄せる。


「妖精さんと一緒に来れてよかったなぁ」


 のんびりとした世界にカモメの鳴き声が響く。

 平和の姿を切り取るようにして、レンズを覗いてシャッターを下ろす。

 カモメに近づこうとしている妖精さんの姿がまたかわいらしい。


 潮風が頬を撫でる。思い出すのは子供の頃。

 元気にカモメを追いかけて、足をつまずいた私はコケて膝を擦りむいたっけ。

 大泣きした私を親がなだめて、それで……。


「妖精さんはかつての私なのかな」


 なんて。仮にそうだとしたら写真の君にガチ恋寸前までしている私はナルシスト、ということになってしまう。

 それは嫌だなぁ! 自分に対して「私かわいい」って! まぁ、昔の自分だからいっか。


 別の景色を撮るべく、少し移動してパシャリ。

 すると、フィルムの端の方で妖精さんがスマホの画面をこちらに見せている。


『次とるとき、自分をとって!』

「私ぃ?」


 どういうことなんだろう。自分を撮るってこう、カメラのレンズを私に向けるってことでしょ?

 妖精さんは何を考えているの?

 断る理由もないので、手振れを考えながら人差し指を動かしてシャッターを切る。


 転写されたフィルムにはまだ私は出てこない。

 いったい何をしようというのだろうか。まさか2人でツーショット? みたいな。

 そんなんチェキみたいなもんじゃん! ハートマーク作っておけばよかったかな?!

 って、流石にそんなわけないか。でもこの曰く付きポラロイドって、妖精さんが出てこない写真はなかったはず。


 浮かび上がってきた。

 ちょっと決め顔で写っている私。

 リンゴみたいに耳まで赤く高揚した頬っぺたが世界を彩る。

 黒い少女の顔が私の方を向いて、目と鼻の先。

 くりくりとした真っ黒な瞳を閉じ、唇の先はスマホで隠して……。


『ずっとありがとう! だいすき!』


 スマホには大きな文字でそう表示されている。

 まるで。まるで……。まるで!


「……私、キスされてるみたい」


 私の頬っぺたと彼女の唇を隠すようにスマホが壁になっている。

 思わずへたりと座り込んだ。

 へ、へぇ……。妖精さん、私のことだいすきなんだぁ。へぇ……。


 きっと私も真っ赤だ。赤いペンキを全身に浴びたみたいな真っ赤。

 …………。


「妖精さん、大胆だなぁ……」


 キスされたかもしれない頬を指でなぞる。

 潮風に濡れて、少し湿っぽかった気がした。

 この写真は大事にしよう。そう心に決意した私だった。

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