臆病な僕は、彼女にひとつの嘘をつく

四葉くらめ

臆病な僕は、彼女にひとつの嘘をつく

「あー、そろそろ誕生日が恨めしくなってくるよねぇ」

 そう言いながら、彼女はストローをくわえて口をすぼめる。しかし、コップには既に氷しか入っていなくて、わずかに溶け出した水が「ずずっ」と濁った音を立てるのみだった。それが彼女の不満を表しているようで思わず苦笑いを浮かべてしまう。

 そういえば、彼女の誕生日は来週に迫っているのだったか。

「それじゃあ少し早いけど言っておこう。誕生日おめでとう。これで君も立派なアラサーだね」

 彼女は今年で27歳になる。流石に「まだアラサーじゃない」と言っていた去年のようにはいかないだろう。そもそも、彼女は数ヶ月前にあった僕の誕生日のときに「やーいアラサーやーい(意訳)」というようなことを言っていたので、おあいこである。

「うぅ、アラサー……。まあ、それ自体が辛いわけじゃないんだけどね」

「というと?」

「周りがどんどん結婚していくのが辛い。というか焦る」

 僕と彼女は中学校のときに同じ部活になって仲良くなったクチだ。双方共に学力が同程度だったため、高校も同じ。大学入学後や社会人になってからは昔ほど交流をすることもなくなったが、今でも数ヶ月に一度はこうしてファミレスなどで一緒にご飯を食べていた。そして、そうなると必然的に同じ知り合いというものが増えてくる。

「ユキって覚えてる? 井上ユキ」

「ああ、中三のときクラス一緒だったわ」

「あの子と結構、連絡取り合っててさ、この間結婚式に呼ばれたんですよ。

 あとは神崎くんの結婚式にも呼ばれた」

「神崎リュウト、だっけ?」

 今度は高校時代の有名人だ。僕はあまり関わりがなかったけど、高校のときに生徒会をやっていた彼女はそちらで関わりがあったのだろう。

「そう。めっちゃイケメンになってた」

「前からイケメンだったじゃん」

 軽音部をしながら生徒会もこなし、皆から慕われていた気がする。高校時代はこんな完璧な人間がいるのかと感心したものだ。とは言っても僕は友人関係が狭かったから一度も話したことはないけど。

「いやぁ、イケメンが成長すると違うね」

「ねぇ、僕を見ながら言わないでくれる?」

 どうせ僕はイケメンではない。ひいき目に見ても中の上と言ったところだろう。親からは「あんたは顔が中の下程度なんだから勉強の方をがんばんな」と言われるぐらいだ。ねぇ、お母様? 『親のひいき目』って言葉知ってる?

「そういうわけで、この数ヶ月で10万近くが飛んでいったわけですよ」

「6万じゃないの?」

 間柄にもよるだろうが、ご祝儀というものは一般的な友人関係であれば3万円が妥当なところだと思うのだが……。

「〝ご祝儀〟は、ね。女は他にも色々掛かるんだよ。ドレス代とか、美容院代とか」

 確かに、スーツを来ておけばとりあえず様になる男と違って、女性は準備も大変そうだ。しかも、話を聞くに他の式で着ていったドレスをそのまま使うというのも心情的に抵抗があるようで、今回はドレスを2着用意したらしい。

「ってわけだから、わたしにとっては千円の昼ご飯ですらお財布には打撃なんだよねぇ……ちらっ」

 彼女が僕になにを期待しているのかは十分わかるが、ここはあえて気付かないふりをしておこう。

「そっか……。じゃあ今日はデザートはやめておこうか」

 本当はこのファミレスの季節のデザートを食べに来たのだが、彼女のお財布が泣いているというのなら、我慢するのも吝かではない。

「そうじゃないわい!」

 そう言い残して彼女が立ち上がる。と言っても別に怒って立ち去ろうとしたわけではなく、コップを持ってドリンクを注ぎに行くだけだ。

「あ、そうだ」

「なに?」

 彼女が振り返り、僕のコップを見る。「僕の分も注いできてくれ」と言われると思ったのだろう。確かにその通りだが、コップはもう使わない。

「コーヒーを注いできてくれない? 2杯分」

「……ふふっ、いいよ」

 怒っていた彼女の顔に一瞬、拍子抜けしたような表情が浮かび、しかしすぐにそれは笑みに変わる。

 そして、彼女は手に持っていたコップをテーブルに置くとドリンクサーバーの元へと向かった。



「結婚ってさぁ、イメージ湧く?」

 季節のデザート――苺がたっぷりと乗ったパフェだ――にスプーンを突き刺しながら彼女が言う。

「それを彼女がいたことのない僕に聞きますか」

「別に交際経験は関係ないと思うけどなぁ。ほら、結婚願望とかはないの?」

「ないと言えば嘘になる」

「はぁ、そういう面倒な言い方するから彼女ができないんだよ……」

 なん、だと……っ?

 それについてもう少し聞きたいところだったが、あんまりそれをしてしまうと話が脱線しそうだったので、ひとまず置いておく。

「で、結局あるってことでいいわけ?」

「結婚したいとは思ってるよ。ただ――じゃあ自分が結婚しているイメージが湧くかって言われるとまったく湧かないんだよね」

 もちろん、想像ぐらいはしたこともある。好きな人がいないというわけではないし。ただ、今の関係を壊すのが怖くて足を踏み出せないというだけで。

 そう、つまり僕が結婚という事柄に対して奥手なのは臆病――

「交際経験がないとこうなるのかー」

「ねぇ、交際経験の有無は関係ないって言わなかった?」

「そうなるとやっぱり誰かと付き合ってみるとか」

 MUSHI!

 そもそもそんな簡単に人と付き合えるようならこの歳になって交際経験無しなんて状況に陥ってはいない。なんなら人と付き合うこと以前に人付き合いそのものが苦手なのだ。

「好きな人はいないの?」

「ははっ、これがいないんだな」

 うん、いない。そういうことにしている。

 もし今話している相手が彼女でなければ、あるいは〝いる〟と答えたかもしれない。

 それが彼女と関係のない、会社や大学時代の友人であったのならば、『中学のときの同級生でさ』なんて少し恥ずかしげに喋ったかもしれない。

 でも、僕は隠す。その、ともすればこの関係を壊しかねない危険な感情を奥の方へと押し込めて、決して彼女に悟られないようにする。

「君の方はないの? 結婚願望」

「今は仕事が楽しいからな~。焦る気持ちはあるけど……まあ、まだいいよ」

 そして、踏み出すことができない臆病な僕は、彼女のように「好きな人は?」なんて聞くことはできないし、彼氏の存在なんて怖くて確かめられはしない。ただ、彼女にまだ結婚願望がない――すなわち、まだこの関係をしばらくは続けられるということに安堵するのだった。

「そういえば、おめでとうって『御芽出度う』って当てたりするんだって」

 結婚願望の話は終わりにするのか、彼女はテーブルにある紙ナプキンを一枚取って、自分のボールペンで字を書き始めた。

 どうやら、この間参列した結婚式のときに調べたらしい。

「なるほど、『この度、芽が出て良かったですね』って感じでいいね。ということはつまり、この言葉はスタート地点に立った人間に言う言葉なわけだ」

「ん? どゆこと?」

「植物にとって芽が出ることはゴールじゃない。地面から出てきたばかりで、これから花を咲かせるために頑張らなくちゃいけない――まだまだスタートしたばかりってこと」

 実際、結婚のことをゴールインと例えることもあるし、確かにそれはひとつのゴールではあるのだろう。だが、『御芽出度う』という言葉はゴールに対してじゃなく、スタートした者に対して言う言葉なのだ。きっと。

「そういう考え方もあるわけかぁ。……ねぇねぇ、わたしに『おめでとう』って言ってよ」

 彼女は背を丸くしてテーブルに肘を突くと、少し上目遣いでそう言ってきた。

「なんで? なにか始めるの?」

 話の流れ的になにかを達成したからというよりも、なにかを始めたからだと思うのだけど。

「まあ、そんなとこ。これから攻勢を掛けていこうかと思って」

「君は一体なにをする気なんだ!? 攻撃!?」

「いいからいいから」

 少し怖いものの、なにかを始めることは素晴らしいことだ。たぶん。

 それに彼女の機嫌も良さそうだし、ここはあまり追求するところでもないだろう。

 なにかを始める彼女が、今はまだ芽でしかない彼女が、大輪の花を咲かせることを祈って、僕は祝いの言葉を口にする。

「おめでとう」

「ありがと」

 それに彼女は笑顔でお礼を返してくる。

 愛する彼女のその笑顔をいつまでも見られたらいいと願いながら、僕もまた笑みを浮かべた。


   ◇◆◇◆◇◆


「そろそろ行こうか」

「うん。あ、ごちになります!」

 そうだった。僕が払うことになっていたのだった。危ない危ない。いつも通り割り勘にするところだった。

 そういえば、『御芽出度う』というのが当て字なのだとしたら、語源はなんなのだろうか。

 家に帰ったら調べてみようと心の片隅に留めながら、僕と彼女はファミレスを出た。


   〈了〉


あとがき:https://kakuyomu.jp/users/kurame_yotsuba/news/16816927860299571263

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

臆病な僕は、彼女にひとつの嘘をつく 四葉くらめ @kurame_yotsuba

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ