第54話 灯明
ジーノ・ロッセリーニが暖かい宿から街路に出ると、街には強い北風が吹いていた。その寒さに思わず肩を竦めてフードを被る。
今年も今日で終わりだった。
雇い人にも休みが出ているようで、夕方の早い内から厚手の外套を纏った人々が街をにぎやかしていた。
乾いた石畳を踏み締めて、ジーノはぶらぶらと街を行く。
狭い街路。石と木で出来た建物にかかる小さなランタンの灯り。色とりどりのコートの男女が煮切りの食材を買い込んだり、小さな飾り物に手を伸ばしたりしている。
三人連れの家族が、真ん中に小さな女の子を挟んで手を繋いで歩いている。
ジーノはヴォーリオ家の家族を思い出した。
鍛冶屋や染料のギルドの看板が掛かる職人街の一角と抜ける。
ここばかりは年末といえども、仕事の音が絶えることがない。彫金に使われる薬剤や、染料の刺激のある香りがツンと匂った。
昨日病身のアルフレッド・ロッセリーニは、ジーノを伴って各商工ギルドのギルド長の面々に共和制への移行について説明したばかりだった。
ギルドの重鎮たちの顔に浮かんだ当惑の表情は暫く忘れられないだろう。
しかし、概ね好意的に受け止められたようだった。ギルド自体は今後、最も大切な商業の役割を担う事になる。
更には、共和制度の土台になる代議士の選出については、おそらくギルドの有力者が代表となってくることは容易に想像できる。
利に敏い彼らにとってみれば、「これからはお前たちの時代である」と言われたようなもので、強い反対は出ようはずもなかった。
最も反対が想定されていたのはロッセリーニ市領の騎士団だった。
騎士団は解体され今後の都市防衛は傭兵団に委託する構想を打ち明けた時には、当然強い反論はあった。しかしそもそも忠誠を誓う伯自体がその権限を市民に移譲するとなると忠誠を誓うあてのない騎士は騎士たり得るのかとという議論となった。
語気荒く、騎士の忠誠に対する伯の不実を問う声も出た。
当然と言えば当然なのだろう。尽くそうとしたら、尽くす相手がいないという状況であれば、ハシゴを外されているも同然なのだ。
従士を伴ったパオロと名乗った若い騎士が「我らの忠誠はこの市に対して奉じるべきだ」と主張したことを切っ掛けとして、騎士団は衛士隊と併合。ロッセリーニ市衛士団とすることが決まった。
通りの向こうから赤いサーコートを着た騎士が二人、馬を引きながら歩いてくるのが見えた。軽装の鎧で威圧することが無いように下馬している。
落ち着き先が決まったのが良かったのか、男たちの顔には安らいだものがあった。
いずれにせよ、今後は市に対する有用性を問われることになる。厳しい立ち位置になるのは事実ではあるのだろうが、それでも自分たちが守るべきものを守れると、素直に思えるのであれば、彼らにとっては悪くない決定になったのかもしれない。
ぶらぶらと足を進めると、大きな大聖堂が見えた。
年末の為か聖堂は人がひっきりなしに行き来している。黒い僧服を纏った司祭たちが忙し気に立ち廻っていた。
そう言えば、ピッポはどうしているかと思い出す。出家したとはいえ、アルフレッド・ロッセリーニの最後の実子でもある。この先、ジーノの人生にかかわりを持つ日がやって来るのだろうか。
ジーノは裏手に回り、墓所に足を運ぶ。
壮麗な墓もあれば、素朴なものもある。いくつかの墓には蝋燭が供えられて火が灯されていた。
その合間を抜けながらジーノはここだけは平等だと思う。結局墓は墓に過ぎない。
埋葬されている死者は、自分の上にある墓石の大小にこだわることはしないだろう。
奥まった所にあるヴォ―レオ家の墓所にたどり着くと、町娘の恰好をしたアニータが墓の前にいた。その少し奥で墓守が落ちた木々を集めて焚火を作っていたが、ジーノの姿を認めて姿を消した。
黙ってアニータに持ってきた小さな蝋燭を渡すと、彼女はコクリと頷いて、焚火から火を貰って灯明を付けて供えた。
「だいたい終わったかしら?」とアニータが言った。
「そうだね。大枠。本格的にはこれからが忙しい」と答える。
暫く二人で蝋燭の燃える炎を見詰めていたが、ジーノはふと思いついたように、持ってきた荷物をアニータに渡した。
「あら。狼王のローブ」
「見てごらん。この脇に切り込みが入っているだろう?」
「あぁ、ほんとね」
ジーノが、このローブが実は複数の皮の繋ぎ合わせで出来ていると気が付いたのは、橋の上で初めてこのローブを纏った時だった。良く見れば一頭の狼の皮を切り分けているという事でもなく、毛並みから見ても複数の個体の皮が使われているが明白だった。
「一枚皮で出来ているって話は、嘘だったね」
アニータが縫い目を細い指でたどりながら言った。
ジーノは頷いて「伝説なんて嘘ばかりだ」と答えた。
どこでこんな尾ひれがついたのか知らないが、どこかで誰かが、その伝説を必要としたのだろう。そうしてただの皮のコートは伝説の狼王のローブとなり伝えられた。
名誉や評判と似ている。誰もが下らない思っていても、時に人にとってはそれが全てで切実に必要であると思える時があるのだ。
ジーノは優しくアニータの手からローブを取って、焚火にそのまま放り投げる。
油を染み込ませてあるローブに火の手は廻り、小さな火の粉を巻き上げて燃え始めた。
「伝説ごと、灰となってしまえ」
ジーノは口の中で呟く。
アニータがジーノの背中に額を当ててそっと抱きついてきた。ジーノは腰に回されたアニータの手の甲に自分の手を添えてそっと握りしめる。
大聖堂の鐘楼が鳴り、その鐘の音が高い空に響く。
狼王のローブが燃える煙はゆっくりと昇って行き、遂には夕暮れの空に消えて行った。
<了>
デッドエンド ライブラリー 大塚 慶 @kei_ootsuka
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