織姫と彦星には成れなくて
烏川 ハル
織姫と彦星には成れなくて
トンネルより手前にあるホームが、その路線の終着駅だった。
車内から見た限り、ここまでは無人駅が続いていたようだが、さすがに終点は別格らしい。暇そうな駅員が一人いる改札をくぐって、私は駅前広場に足を踏み入れた。
駅前広場といっても、数軒の商店に囲まれているだけ。広場の『広』の字に申し訳ないくらいの、小さなところだった。
そんな規模にもかかわらず、数台の自動車が列を成して停まっている。黄色の車体に赤いラインの入った、いかにもタクシーでございという色合いの車たちだ。
私と同じ列車から降りた乗客たちは、少数しかいないうちのほとんどが、そちらへ向かっていた。なるほど、立派にタクシーの需要はあるのだろう。
しかし私にはタクシーは必要なかった。少し周りを見回すだけで、タクシー乗り場から数メートル先に停車しているミニバンが視界に入る。
白い車体の横には宿の名前が記されていたし、同じ名前入りの
私が今晩宿泊する温泉宿の送迎車だった。
「一昔前は、うちの近くまで鉄道が敷かれていたんですよ。それなりに名の知れた温泉地ですからねえ」
初老の運転手は、気さくに話しかけてくるタイプだった。
「赤字区間の廃線ですか。ローカル線には色々とあるのですね」
先ほど目にしたトンネルを思い出しながら、私は適当に相槌を打つ。
山奥の秘湯……というほどではないが、少なくとも山ひとつ越えないと辿り着かない温泉旅館だ。その隠されたみたいな雰囲気が人気の秘密、とガイドブックには書かれていた。
交通が不便になったことは、むしろこの旅館にとってはプラスなのかもしれない。いや、あるいは逆に「転んでもただでは起きない」の精神で、マイナスをアピールポイントに変えようとしているのだろうか。
「地元住民にとっては死活問題ですよ。鉄道の有る無しは、天地がひっくり返るほどの違いです。それでもうちは……」
彼の言葉を聞き流しながら、私は窓に目をやり、意識を外の景色に向けていた。
既に紅葉の時期は終わっているが、まだ山々は雪を被っていない。おそらくこの辺りは、かなり暖かい地域なのだろう。
「ふう……」
期待以上の夕食に舌鼓を打った後、夜のメインイベントとして露天風呂に
心地よい湯の中から空を見上げれば、冬の星座が浮かんでいた。有名な冬の大三角だ。
おおいぬ座のシリウスと、こいぬ座のプロキオンと、オリオン座のベテルギウス。プロキオンとベテルギウスは地球から約10光年の位置に存在するが、ベテルギウスだけは500光年の彼方にあるという。
……といった知識は、全て昔の恋人からの受け売りだ。星座や天文学に強い興味がある女性であり、空気のきれいな――星空がよく見える――場所でデートするのを好んでいた。
一緒に冬の大三角を眺めながら、彼女が口にした言葉を、私は今でも覚えている。
「500光年先だから、私たちが今見ているのは500年前の星のきらめき、つまり500年前の姿なの。そしてあっちの二つは、10年くらい昔の姿……。そう考えると、こうして冬の大三角を見るだけで、長い銀河の歴史を目にする気分にならないかしら?」
冬の大三角だけではない。夏の大三角も、彼女と一緒に見上げたことがあった。
「こと座のベガと、わし座のアルタイルと、はくちょう座のデネブ。ベガとアルタイルは七夕の織姫と彦星だから、あなたでも知っているでしょう?」
「うん、さすがにわかる」
「遠く離れて、一年に一度しか会えない二人……。本当にロマンチック! ねえ、もしも私たちが同じ状況になったら、どうなるのかしら?」
そんな冗談を言いながら、明るく笑っていた彼女。
しかし私の転勤により遠距離恋愛となり、会えるのが一ヶ月に一回程度になったら、あっさり破局を迎えたのだった。
あれから三年。
いまだに私は、彼女への想いを断ち切れないのだが……。
「500光年先だから500年前の姿、か……」
改めて昔の彼女の言葉をリフレインして、ベテルギウスの輝きに意識を向ける。
私は露天風呂に
旅館の運転手が口にした『一昔前』にしろ、私にとっての『三年』にしろ、星々の歴史に比べれば、ほんの一瞬の出来事に過ぎないのだろう。
(「織姫と彦星には成れなくて」完)
織姫と彦星には成れなくて 烏川 ハル @haru_karasugawa
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