第32話 魔物の話

 おや。

 どうしたね。

 子供はもう寝る時間のはずだが。

 なに?

 人間と魔族とで結婚する事は可能なのかだと?

 はっはっは。

 そうかそうか。

 君はヒミコに惚れたんだな。

 まぁそう紅くなるな。

 男の子が女の子に恋をする。

 極めて正常な反応だよ。

 しかしなぁ、その歳から好きな女の子と一緒に暮らすというのは、なかなか喜びでもあり苦行でもあるだろう。

 君のお父さんはそういう所ちょっと配慮が足りないよな。

 ふふふ。

 え?

 質問にだけ答えて欲しい?

 分かった分かった。

 そう急かすな。

 答えは簡単だよ。

 2人が両想いなら、結婚だって子孫を残す事だって出来るさ。

 何も特別に感じる事はない。

 確かにヒミコは生まれこそ特殊だが、見た目も中身も人間そのものじゃないか。

 この村の住民でヒミコの事を化け物だと言う者はただの1人もいないだろう。

 安心して結婚したまえ。

 あの子はきっと良い嫁さんになるだろう。

 うむ。

 ついでだ。

 魔族や魔物について、少し語ろうか。

 

 そもそも魔族、魔物とは何かだよ。

 

 オスクロ火山が大噴火を起こす前。

 まだ人間同士が絶えず争っていた時代から、魔力を持ち積極的に人間を襲って来る生き物を、人間達は魔族と呼んでいたわけだ。

 この国で言えば、おに妖狐ようこ天狗てんぐぬえなどの連中だ。

 外国では吸血鬼ヴァンパイア魔人狼ライカン悪魔デビル半蛇人ナーガなどが有名だな。


 さて。

 ここでひとつの疑問が出てくるよな。

 そうした魔力を持つ生き物を、魔族と呼んで恐れていた人間達だが。

 しかし、以前から魔法を使っていた森聖族エルフ鉱工族ドワーフは、人間達にとって魔族では無いのか、という疑問だ。

 

 そう。

 魔族では無いのだ。

 森聖族エルフ鉱工族ドワーフ小人族コロポックル巨人族ギガント妖精族フェアリー蛮奇族ゴブリン人魚族マーメイドはいずれも魔力を持つが、魔族とは呼ばず亜人と呼ばれている。

 エルフとドワーフはともかく、ゴブリンやフェアリーは人間離れした外見をしているし、コロポックルは小さいし、ギガントは大きいし、マーメイドに至っては、半蛇人(ナーガ)との外見上の違いは下半身が魚か蛇かでしかない。

 だが、人間達は、マーメイドとナーガの間に明確な線引きをしたわけだ。

 

 なぜだと思うね?

 そうだ。

 亜人は人間を積極的に襲うという事をしないから。

 ただこの一点だけなんだ。

 たまに、馬鹿な人間が馬鹿な事をして、亜人達の怒りを買って殺されるという事があるが、魔族のように積極的に襲って来る事は無い。

 

 まぁ、ゴブリンに至っては、彼らを魔族と呼ぶ人間も一部いるがね。

 確かにね、ゴブリンの生態や思考は魔族に近いと言える。

 彼等は食べ物に好き嫌いは無く、生物であれば基本的になんでも食べるんだよ。

 そうだ。

 人間でもね。

 もし彼等が人間だけを好んで襲っていたのなら、彼等も魔族として分類されていただろう。

 だが、彼等は魔族のように人間に憎悪を持って襲うのでは無く、あくまで自分たちの糧を得る為に行動している。

 そして彼等は人間だけを襲うわけでは無い。

 自分達よりも弱い個体(幼体など)であれば、魔族であろうと魔物であろうと何でも襲うんだ。

 ゴブリン達にとっては、自分たち以外の生物は全て生きる為の糧なのだよ。

 だから、人間の決めた基準に当てはめると、ゴブリンは魔族ではなく亜人なのだ。

 ちなみに彼等はその性質ゆえ他種族とは友好関係にはほとんどならない為か独自の言語を持つ。

 我々が話す言葉は基本的には通じない。

 だが。

 ゴブリン達の中では、一定の確率でホブゴブリンと呼ばれる特殊個体が生まれて来る。

 普通のゴブリンよりも知力、体力、魔力、生命力など全ての能力が高く、身体も大きく、ゴブリン言語以外だけではなく共通語も話せる。

 そしてめちゃくちゃ強い。

 普通のゴブリンは単体での戦闘力は大した事は無いが、ホブゴブリンは異常な程強いぞ。

 怒らせないように注意したまえ。

 

 あ、そうだった。

 魔族の話だな。

 ゴブリンやフェアリーのように、人間離れした外見であっても、人間に対して憎悪が無いのなら、魔族とは言わないというわけだよ。

 

 魔族とは、魔力を持ち、なおかつ人間族に対して憎悪と殺意を持つ者達の事だ。

 そして魔族は厄介な事に、見た目が人間とほとんど変わらない者が少なくない。

 吸血鬼ヴァンパイアなんて見た目は人間そのものだ。

 魔人狼ライカンや妖狐も、人間に変化へんげしている時は見た目も匂いも人間そのものだ。

 魔族の瞳は赤い事が多い為、昔は瞳で判断出来たらしいが、あまり当てにしない方が良い。

 純正の人間でも赤い瞳の人はいるからね。

 

 まぁ、これらのような外見上は人間とほぼ変わらない魔族達は、しばしば人間社会に紛れ込み、混乱を招いて来た。

 普段は気の優しい人間の振りをして、獲物が油断した瞬間に襲い掛かったりしていたわけだ。

 

 しかし、だ。

 人間達にも、人間でありながら異質な者が一定の確率で出てくるだろう。

 人間でありながら人間に対して何の情も持ち合わせない極悪人や殺人鬼などさ。

 

 そういう異質は、魔族や魔物の社会でも発生する事があるらしい。

 そう。

 魔族や魔物でありながら人間に対して憎悪を持たずに生まれて来る個体も、存在するのだ。

 こういう個体は、捕虜となった人間に妙に優しくしたり、逃走の手助けをしたりする事がある。

 更には、自分の集団を裏切って人間の味方をして戦ったという話だって少なくない。

 

 更に更に。

 元々人間に対して憎悪を持って生まれて来たのに、変化へんげの能力で人間の姿になり、人間社会で人として暮らすうちに、完全に人間側に情が移ってしまう事も稀にある。

 彼らは、皆、口を揃えてこう言う。

 「人間は素晴らしい」

 と。

 

 そうなんだよ。

 人間の善の部分は本当に素晴らしいんだ。

 魔族や魔物の心を浄化するほどに。

 人間ほど、善と悪が両極端な生物はいない。

 人間の素晴らしく美しい部分はとことん美しい。

 だが、残酷で醜悪な部分はとことん醜い。

 

 その醜悪なエネルギーが、魔物の源だという説が今は定説になっているという事は、君も知っていよう。

 大噴火と共に発生した黒い霧の正体も、その負のエネルギーだと考えられている。

 人間達の悲哀や後悔や憎悪などの負のエネルギーが、魔界と呼ばれる場所で凝縮され、膨張し、ついに臨界点を迎えて大噴火を起こし、地上の多くの生物を魔物に変えたとされているのだ。

 つまりだ。

 魔物の発生は人間の自業自得と言っても間違いでは無い。

 人間達による人間達を恨む心が、生物や物体に取り憑き、異形へと変化させた。

 それが、魔物だ。

 だから魔物は、人間達に恨みがあるかのように、積極的に、苛烈に、攻撃を仕掛けて来るのだろう。

 

 そう。

 魔物というのは、オスクロ火山の噴火後に誕生した異形達の事だ。

 魔族と魔物の違いは、噴火前から存在したかどうかだ。

 そして魔物達には、祖となった野性動物や物体が必ず存在する。

 その種によって、大まかに分類する事が出来る。

 

 獣魔ビースト

 爬虫魔レプティ

 両生魔アンフィ

 昆蟲魔インセクト

 水棲魔アクア

 鳥魔バード

 恐竜魔ディノ

 不死魔アンデッド

 物質魔マテリア

 魔人まじん

 

 噴火後に誕生した魔物は、基本的に以上の10種類に分類される。

 それぞれの大まかな特徴を説明しておこう。

 

 まず、

 【獣魔ビースト】。

 地上に棲む哺乳類を祖に持つ魔物たちの事だ。

 最も数の多い魔物でもある。

 身体能力が高く、肉弾戦が得意な者が多い。

 更に祖になっている動物の保有武器をそのまま受け継いでいる場合が多く、それらは大きな脅威となる。

 狼の魔物は鼻が効くし、スカンクの魔物の放屁攻撃は冗談抜きで非常に危険な爆発魔法となっているぞ。

 狼や犬の魔物達は、魔族である魔人狼(ライカン)に従属している事が多い。

 これは犬科の本能によるものだと思われる。

 

 

 【爬虫魔レプティ】。

 トカゲやヘビなどを祖に持つ魔物たちだ。

 本来、爬虫類というのは変温動物だが、魔物化した際に恒温動物になった者も多い。

 肉弾戦も魔法攻撃もバランスよく使う。

 例外を除いて全体的に寒さに弱いという特徴があるな。

 魔族である竜蜥蜴人リザードマンを神の如く崇拝している者が多いが、その理由は不明だ。

 

 

 【両生魔アンフィ】。

 カエルやサンショウウオなどを祖に持つ魔物たちだな。

 その生態ゆえ、全体的に水系の魔法が得意な者が多い。

 爬虫魔レプティと姿が似ている事もあってなのか分からんが、お互いに仲が良いようだ。

 両種は生息域も重なっている場合が多いが争う事はほとんど無い。

 

 【昆蟲魔インセクト】。

 昆虫を祖に持つ魔物たちの事だ。

 集団ごとに女王を頂点とした真社会性を持つ種が多く、労働のみを行う者、生殖のみを行う者、自爆する為だけに存在する者、栄養を溜め込み仲間に喰われる為だけに存在する者、と言ったように、生まれながらにして役割が決まっている事が多い。

 他の魔物種に比べて個々の命の扱いが非常に細く軽いが、集団全体を生かす為の意思と覚悟は凄まじいものがある。

 我々の常識から大きく外れた概念と思考回路と特性を持っている事が多い為、非常に危険な魔物達と言えよう。

 もちろん、人間のように感情豊かな者もいる。

 


 【水棲魔アクア】。

 水中に棲む生物が魔物化した種だ。

 川や池などの淡水に棲む者と海に棲む者とに別れている。

 イルカやアザラシなどは生物学上は哺乳類だが、彼らは基本的はこちらのグループに属する。

 亜人の人魚族マーメイドとは非常に友好的な関係にあり、一緒に暮らしていたりするのは最早当たり前だ。

 


 【鳥魔バード】。

 鳥の魔物達だ。

 全体的に素早く風魔法が得意な者が多い。

 意外な事に恐竜と遺伝的に近い為か、棲む地域によっては恐竜魔ディノと共存している者もいる。

 そして、人間に対して攻撃性を見せない個体の出現確率が高い。

 特に幼少期から人間に優しく育てられた者は、良き相棒として共に闘ってくれる事も多い。

 ま、これははっきり言って鳥の習性を利用した刷り込みに他ならないから、私はその行為があまり好きでは無い。

 

 【恐竜魔ディノ】。

 恐竜の魔物たちだ。

 その生命力と戦闘力は他の魔物に比べて明らかに一線を画している。

 肉食種、草食種、共に身体能力及び戦闘力は卓越しており、噴火後に現れた魔物の中では最強の種と言えるだろう。

 ちなみに、一部の水棲魔アクアには恐竜魔ディノと非常によく似た性質を持つ者がいる。

   

 

 【不死魔アンデッド】。

 大噴火の後、死体やミイラ、土に埋まっていた骸骨なども魔物化して人々を襲い始めた。

 元々その身体に入っていた魂が再び宿って動き始めたとされている。

 そんな魔物たちがこの種だ。

 生物というのは通常、生命を維持する為の内臓器官が破壊されると死ぬよな。

 だが、こいつらの身体は既に死んでいる為、肉体を破壊するといった攻撃は通用しない事が多い。

 例え身体を粉々にしてもある程度まで再生して動き出す者もいる。

 だが。

 精神を揺さぶると活動を停止する傾向にある。

 生前の望みを叶えてあげたり、治癒魔法を掛けてあげたり、供養したりするだけで成仏し普通の死体に戻ったりする。

  

 

 【物質魔マテリア】。 

 非常に特殊な魔物たちだ。

 古来から、人形や土偶など人の形をかたどった物には魂が宿ると言われていたが。

 驚いた事にあの大噴火は、そのような物にまで生命を吹き込んでしまったのだ。

 人形、土偶、案山子かかし、石像、銅像、甲冑までもが、ひとりでに動き出して人々を襲い始めたのだよ。

 それはもう不気味だよ。

 だが。

 この魔物達は鳥魔バード以上に人間の味方をする者達が多い。

 持ち主に愛情深く大事にされてきた物が魔物化した場合、とにかくその持ち主を守ろうとする。

 そうなった場合は非常に心強い味方となる。

 

 更に。

 この物質魔マテリアには、上位種とも言うべき者達が存在する。

 古代遺跡などで、極めて精巧に作られた機械のようなものが稀に見つかる事がある。

 あえて【機械のようなもの】と呼んでいるのだが、その理由は、その物体が我々が機械と呼ぶものとはあまりにもかけ離れているからだ。

 我々が言う機械というのは、時計や水車、揚重装置、気球の浮力機構、又は蒸気機関などを指すだろう。

 だが、古代遺跡でたまに見つかる金属の物体の複雑さはこの世界に住むどの種族の理解をも超えている。

 その精密さや素材、数学的な発想など、世界中の学者が束になっても思いつかないものばかりだ。

 ドワーフの発明家やエルフの学者でも全くのお手上げ状態だ。

 

 それらの機械のようなものの中で、人間や動物にそっくりな外見をしている物が見つかる事がある。

 見た目は人間と全く変わらないのだが、皮膚を引っ剥がすと超精巧な機械が身体を構成しているのだ。

 あの大噴火の後、なんとそのような遺物が動き出してしまった。

 【超精密機械魔エクスマキナ】と呼ばれる者たちだ。

 その身体には魔力やオーラは流れていないが、我々には理解不能の原理でエネルギーを生じさせているらしく、極めて破壊力のある攻撃能力を持つ。

 個体数は非常に少ない。

  

 

 【魔人まじん

 最早説明するまでも無いだろう。

 そう。

 魔物化した人間だ。

 最も個体数が少ない魔物だが、一体一体が極めて強大な戦闘力を有している。

 その容姿はほとんど人間と変わらず体色や髪の色なども統一されていないが、瞳の形で識別出来る。

 魔人の瞳は、猫化の動物のように縦長だ。

 まぁ、この瞳の形に関してはほとんどの魔物がそういう形をしているが。

 少し小耳に挟んだんだが、最近魔物達の間で噂になっている魔人の男がいるらしい。

 なんでも生まれた時から魔物や魔族に対して異常な程の攻撃本能を持っているとの事だ。

 人間に対してはどうなのだろうか。

 そういう男が、人間側の味方になってくれると非常に心強いのだがね。


 ざっとではあるが、噴火後に現れた魔物に関してはまぁこんな感じだ。 

 ん?

 分かってる分かってる。

 君が気になっているのはヒミコの事だろう。

 そう。

 ヒミコ、つまり八岐大蛇(やまたのおろち)は噴火前から存在していた魔族だ。

 だがしかし。 

 魔族の中でも、更に特殊な連中がいる事は君も知っているだろう。

 そう。

 【往古エンシェント】だ。

 太古の昔から同一個体で生き続けている神の如き生命力を持つ存在だ。

 往古エンシェント達は各地の守り神として崇められていたり破壊神として恐れられていたりする。

 古代の壁画や古文書にも描かれている事もある。

 そう。

 その通り。

 八岐大蛇は遥か太古からこの地に同一個体で存在していた、往古エンシェントだよ。

 

 ヒミコの心の深奥には、我々が想像すら出来ないような悠久の刻を生きた記憶が眠っているのかも知れないな。

 え?

 ヒミコの人格が、元の八岐大蛇に戻る可能性はあるのかだって?

 シンゲンよ。

 君は、ヒミコを見てどう思う?

 あの子の澄んだ瞳、純粋な心、優しさ、誠実さに肌で触れて、ほんの僅かにでも邪気を感じたか?

 ヒミコが再び魔族となるのかどうか。

 それは、今この場で、君や私が魔邪羅化するかどうかという問いに等しい。

 心配するな。

 八岐大蛇の命は、君のお父さんが倒したあの日にリセットされたんだ。

 ヒミコは人間として完全に生まれ変わったのさ。

 君がいる限り大丈夫だ。

 ヒミコはヒミコだよ。

 信じようでは無いか。

 あの子を。

 なぁ。

 シンゲンよ。

 

 

ーーーーー

 

 「ヒミコ……」

 

 自分の声で、オランは眼を覚ました。

 見知らぬ天井が見えた。

 視線を動かす。

 どこか建物の中のようだった。

 朝だろうか。

 早朝特有の、ひんやりと引き締まった空気の気配に小鳥達のさえずりが混ざっている。

 その空気の中で、コトコトと、何かが煮えるような音が聞こえた。

 

 それらの音を聞きながら、オランはぼーっと中空を眺めた。

 自分の身体を包んでいる毛布の感触が、とても心地良い事に気付いた。

 先程まで話していたスムクリ=ムーンウォーカーはどこにいるのかと思った。

 直後、はっ、と気付いた。

 違う。

 あれは夢だったんだ。

 がばっ、とオランは飛び起きた。

 

 「ここは……!?」

 

 オランはきょろきょろと周りを見回した。

 知らない家の中の様であった。

 床に敷かれた絨毯の上で、自分は寝ていたらしかった。

 なぜ、こんなところにいるのかと思った。

 

 オランの視線が、部屋に置いてあったソファに止まった。

 そのソファの上に、毛布に包まれて、目を閉じているヒミコがいた。

 

 「ヒミコ!」

 

 オランは名前を呼びながら駆け寄った。

 そして思い出した。

 上空から落下した事を。

 ヒミコは無事だろうか。

 顔を覗き込む。

 苦しそうな表情を浮かべており、呼吸が荒い。

 額にタオルが乗せられていた。

 

 「ヒミコ……!」

 

 もう一度、オランは名を呼んだ。

 その時。

 

 「よう。起きたか」

 

 背後から、声が聞こえた。

 びくりとして、オランは振り向いた。

 

 豊かな灰色の髭を蓄えた男が、湯気の立ち昇る鍋を持って立っていた。

 

 「あ……」

 

 オランは口を開きかけた。

 鉱工族ドワーフだ、とオランは直感した。

 初めて見る種族だが、オランにはすぐに認識する事が出来た。

 オランの中に宿るシンゲン達の魂の記憶を共有したのかも知れなかった。

 

 ドワーフの男は、手に持った鍋を丸いテーブルの上に置いた。

 置いてから、オランの方に歩いて来た。

 オランの隣に立って、ヒミコの顔を見た。

 

 「こっちの嬢ちゃんは昨日の晩から熱にうなされてるみてぇでな。治癒魔法も何度か掛けたんだが、良くならねぇ。何やら普通の熱って感じじゃねぇ。何かの呪いか?」

 

 ドワーフが、独り言のように言いながら、ヒミコの額に乗せられたタオルを手に取った。

 タオルを掴んだ手が、ぽわっと青く光った。

 直後、タオルから水が滴り落ちた。

 水魔法であった。

 ドワーフは、水魔法で濡らしたそのタオルを再びヒミコの額の上に乗せた。

 その様子を、オランはじっと見つめていた。

 

 「あ、あの……」

 

 オランは自分の頭の中をまだ整理出来ずにいた。

 だが、とりあえず声を掛けた。

 

 「なんじゃい」

 

 ドワーフの男がオランを見下ろした。

 

 「おじさんが、助けてくれたんですか……?」

 

 「そりゃあ、な。自分の家の敷地内に魔物と人間が降って来たんだ。死んでるならまだしも、息があるのにポイと捨てておくのも気分が悪いだろう」

 

 「ありがとう、ございます」

 

 「お前さんも随分眠っていたぜ。降って来たのが昨日の昼過ぎぐらいだったからな」

 

 「そんなに……!」

 

 そんなに寝てたのか、とオランは思った。

 

 「まぁ朝飯でも食えや。ちょうど今出来たからよ」

 

 言いながら、ドワーフはテーブルに置かれた鍋を見た。

 ちらりと、オランもその鍋を見た。

 湯気がゆっくりと立ち昇っていた。

 

 ドワーフの男がテーブルの方に向かって歩き、そして椅子に座った。

 オランは再びヒミコの顔を見た。

 相変わらず、荒い呼吸をしていた。

 

 「おい、お前さんがそうやって見てりゃあ、その嬢ちゃんは良くなるんかい」

 

 後ろから言われて、オランは椅子に座っているドワーフを見た。

 

 「い、いや……」

 

 「なら、早く来て食わんかい。せっかく作ったシチューが冷めちまうだろうが」

 

 「は、はい」

 

 もう一度ヒミコの顔を見てから、オランはテーブルの方に駆け寄った。

 椅子に座ると、具沢山のシチューが盛られた器とスプーンが目の前にあった。

 

 「はよ食え」

 

 「はい。頂きます」

 

 オランは、スプーンで暖かいシチューを救った。

 初めて見る食べ物だった。

 立ち昇って来る匂いを嗅ぐだけで、口の中が潤って来るのが分かった。

 オランは、恐る恐るスプーンを口に入れた。

 

 (なんだ……これ!)

 

 今まで、体験した事の無い味だった。

 ガララパゴス諸島では、虫や、きのこや果物、木の実などをそのまま食べていただけだった。

 たまに焼いたり塩を振ったりしたが、基本的には食材をそのままの形で食べていた。

 そんなオランにとって、このシチューは衝撃的だった。

 何なんだこれは、とオランは思った。

 暖かい。

 そして、美味しい。

 

 オランはがっつくように食べ始めた。


 「うめぇか」

 

 オランの様子を眺めていたドワーフが聞いた。

 

 「はい」

 

 「お前、名は?」

 

 「オランっていいます」

 

 「で、あっちの嬢ちゃんはヒミコっていうんか?」

 

 「はい」

 

 「ふぅん。俺はクロム=ライムストンという」

 

 「……クロムさんは……ドワーフなんですか?」

 

 「おう、そうだ。ここで気ままに馬のウマコと山羊のヤギエと暮らしている。馬小屋は昨日、お前達が潰しちまったけどな」

 

 「僕たちが潰した……?」

 

 「ああ。お前さん達、昨日馬小屋に落ちて来たんだよ。干し草の山があったとはいえ、よく生きてたもんだ」

 

 そうだったのか、とオランは思った。

 馬と山羊は大丈夫だったのだろうか。

 

 「あの、馬と山羊は無事だったんですか?」

 

 「ああ。奇跡的にな。落ちて来た直後はびっくりして逃げてたが、また戻って来たよ」

 

 「……良かった。あと、ごめんなさい」

 

 「まぁよいわ。それよりお前たちは何者だ? なぜ、空から降って来たんだ?」

 

 「……」

 

 オランは、下を向いて押し黙ってしまった。

 なんと答えたら良いのか分からなかった。

 どのように説明すれば良いのか分からなかった。

 考えている内に、何気なく、今日は6日目の朝なのか、と思った。

 衝撃だった。

 自分がガララパゴス諸島を飛び出してから、まだ5日しか経っていないのか。

 この数日が、あまりにもいろいろな事があり過ぎた。

 ガララパゴス諸島での日々が、もう随分昔のように感じられた。

 母の顔を思い出した。

 ジョースの顔も。

 カメジと、アミダの顔も。

 もう、会えないかも知れない。

 魔物達にとって、黄龍というものが、そして勇者というものがどういう存在なのか分かった以上、もう島には戻れないと思った。

 自分の両眼に、涙が浮かんで来たのが分かった。

 

 「まぁ、話したくなきゃ話さんでいい」

 

 そんなオランの様子を見て、クロムが呟いた。

 

 「ごめんなさい。何から話せば良いのか分からなくて……」

 

 「そうか」

 

 クロムは、オランを見つめた。

 オランも、クロムを見つめた。

 皺の刻まれたクロムの眼を見て、オランはなんとなくカメジに似ている眼だな、と思った。

 眼の中に、長年生きてきた経験値と、暖かく優しい光がある。

 

 「あの」

 

 オランがふいに声を出した。

 頭の中は整理出来なくても、これだけは言っておかなくてはならないと感じている事がいくつかあった。

 隠していたら、自分達を助けてくれたこの優しいおじさんに危険が及ぶかも知れない。

 だから、オランは話した。

 

 「あの、僕には、500年前の勇者達の魂が宿っているんです。だから、雷跳も使える時があるんです。黄龍も呼べるかも知れません。あと、どうやら僕は、強い殺気を受けたりすると、魔邪羅のような状態になるらしいです」

 

 「……な」

 

 クロムは、眼を丸く見開いて口を開けた。

 何を言ってるんだこいつはと思った。

 聞き間違えたのかと思った。

 

 「あと、ヒミコは人間ではないんです」

 

 言いながら、オランは後ろを振り向いて、寝ているヒミコを見た。

 そして、またクロムに向き直って言った。

 

 「ヒミコは、八岐大蛇やまたのおろちなんです。レックスの仲間達をいっぱい食べちゃったから、今、恐竜の魔物達に追われているんです」

 

 「……」

 

 クロムは口を半開きにしてしばらく硬直していた。

 

 「ここは、ジュラシック大陸なんですか?」

 

 オランの質問が、クロムの耳には入っても頭には届いて来なかった。

 クロムは頭の中を整理するのに必死だった。

 なんだ。

 なにを言っているんだこの小僧は。

 勇者の魂が宿っている?

 魔邪羅のような状態になる?

 そこで寝ているのは人間ではなく八岐大蛇?

 そして恐竜の魔物に追われているだと?

 おい。

 待て。

 ちょっと待て。

 

 「それとも、ここは別の大陸なんですか?」

 

 「おい。ちょっと待て。ちょっと待てやい!」

 

 「?」

 

 「なんだ? 500年前の勇者ってシンゲン=モチダの事か?」

 

 「はい。あと、マイケとヨモギとレッドの魂も宿っているみたいで」

 

 「ちょいちょいちょい! 待たんかいこら!」

 

 「?」

 

 「分かった。ゆっくりで良い。ゆっくりで良いから最初から話せ。分かるように説明してくれねぇかい。時間掛かって良いから、最初から話せ。お前がどこで生まれて、どのようにそこの嬢ちゃんと出会って、どうやってここに来たのかを、ゆっくりで良いから話せ」

 

 「……わ、わかりました」

 

 そして、オランは全てを話した。

 ガララパゴス諸島に生まれていかに過ごし、そしてここにやって来た経緯を隠さずに話した。

 

 オランが話し終わった時。

 鍋の中の料理は、もうすっかり冷えていた。

 

ーーーー

 

 「……あ〜。なんてこった」

 

 オランが話し終えた時、クロムは椅子の背もたれに体重を預けて、右手で額を覆って天井を向いた。

 そして溜息が出た。

 なんてこった。

 なんちゅう奴らを介抱しちまったんだ。

 勇者に魔邪羅に、二重人格の八岐大蛇ってなんじゃそりゃ。

 レックス軍団にも追われてると来たもんだ。

 参ったな、こりゃ。

 

 「なんか、すみません」

 

 クロムが困っているという事をオランは感じ取った。

 本当に申し訳ないと思った。

 今すぐに、ここから離れるべきだと思った。

 だが。

 オランはまた、ヒミコを見た。

 相変わらず、荒い呼吸をしながら目を閉じている。

 自分の身体が大きければ良かったのにと思った。

 それなら、ヒミコを背負ってどこかへ行けるのに。

 

 「……とりあえずは、だな」

 

 クロムが、オランに視線を移した。

 

 「ここはジュラシック大陸じゃねぇ。ヨウロピ大陸だ。どうやらお前さんが嬢ちゃんに捕まって空を移動している時、海を超えたらしいな」

 

 「そうなんですね。じゃあ、ひとまずは恐竜の魔物達の心配はしなくて良いんですね」

 

 「まぁ、油断は出来ねぇがな。レックスは仲間想いの王として有名だ。仲間が喰われたとなりゃ、報復を果たすまで奴の怒りは収まらねぇぞ」

 

 「……やっぱり、海を越えてやって来ますか?」

 

 「いずれはやって来ると思っていた方が良いだろうな」

 

 レックス率いる恐竜達の強く逞ましい姿を、オランは思い浮かべた。

 あの屈強な軍団に、追いつかれたりしたら。

 無理だ。

 ヒミコを守りきれない。

 

 オランがちらりとヒミコを見た。

 それに釣られるように、クロムもヒミコを見た。

 そして、言った。

 

 「お前さんの話を聞いて思ったんだが、その嬢ちゃんは今、せめぎ合いの最中なんじゃねぇかな」

 

 「せめぎ合い?」

 

 「おう。ヒミコとしての人格と、オロチの人格が、今精神の中で闘っている最中なんだろう。多分」

 

 「……そうか……もし、ヒミコが負けたら」

 

 「その場合は、完全にオロチの人格が身体を支配するんじゃねぇか?」

 

 「あの、なんとかならないですか?」

 

 何の悪気も無くオランが言った。

 クロムは若干苛つきを覚えた。

 

 「ならねぇよ。甘えんな小僧」

 

 「どうしたらヒミコを救えますか?」

 

 「知らん」

 

 「もし、今オロチの人格で目覚めたらどうなりますか?」

 

 「そしたら多分、喰われるな、お前。そして俺も死ぬかも知れん。流石に八岐大蛇には勝てぬぞ、いくら俺が強くても」

 

 「……」

 

 「だから俺ぁ今悩んでんだよ。今すぐにでもお前達を放っぽりだしてぇが、それはそれでなんだか気分が悪い。かといってこのまま家に居てもらっても困る。なんとかして欲しいのはこっちの方だ馬鹿」

 

 「……すみません」


 「雷跳なら、ヒミコと一緒にどこかへ行けるんじゃねぇのかい」

 

 「そうなんですが、必ず発動出来るか分からないし、どこに行けばいいのか分かりません……」

 

 「なら、この大陸にあるエルフの里でも目指せ。とりあえずここから早く離れてくれ」

 

 「エルフの里?」

 

 「ああ。エルフ達が住む里だ。ちと遠いが、ここから北にずっと進め。いずれは着くと思う。多分」

 

 「エルフ達なら、ヒミコを何とか出来るんですか?」

 

 「分からねぇが、可能性はあるだろう。そしてオラン、お前だって魔物がたくさんいる所には行きたくねぇだろ? でかい街とかで意地悪な魔物と肩がぶつかってみろ。お前の中の力が暴れて大騒ぎになるぞ」

 

 「……」

 

 オランはジョースから聞いた話を思い出していた。

 魔物がたくさん住む街。

 いつか、ジョースと行こうと話していた。

 でも、無理そうだ。

 

 「お前の味方になってくれるとしたら、魔物以外の種族だ。俺は亜人だが、お前の面倒をこれ以上見る気はねぇ。だがエルフ達なら、親身にお前の話を聞いてくれると思う。お前の中にヨモギ=グリーンティの魂も宿っているんなら、尚更な」

 

 「……ヨモギ」

 

 そうか、とオランは思った。

 自分に宿っているヨモギはエルフ族なのだ。

 話を聞く限りでは、自分が生まれてから1番最初に発動した魔法が治癒魔法だったはずだ。

 ガララパゴス諸島を飛び出してからも、何度も治癒魔法を使った。

 ヒミコは、この治癒魔法をとても暖かい魔法だと言っていた。

 きっと、優しい人だったのだろうと思う。

 ヨモギ=グリーンティは。

 

 「エルフの里に着いたとして……僕の身体にヨモギの魂が宿っていると言ったら、エルフ達は僕をどうするでしょうか?」

 

 「分からねぇが、まぁ、悪い様にはしねぇだろう。奴らは聡い連中だ。常に状況を冷静に眺めている。まして奴らにとっても、ヨモギ=グリーンティは種全体の誇りのはずだ。お前の力になってくれるかもしれん」

  

 「力になる……?」

 

 「お前にとっては呪縛だろ? モチダ達の魂は。奴らならそういうのを解く術を知っているかもしれん。なんせ奴らは特殊魔法が得意だからな。ヒミコも何とか出来るかも知れない」

 

 クロムの話を聞いた時、オランの胸に暖かいものが湧き上がって来た。

 それは、希望だった。

 つい先程までは、なにをすれば良いのか、どこに向かえば良いのかも分からなかったのだ。

 クロムの話は、曇り空に差す陽光の様であった。

 

 「それじゃあ、エルフの里を目指します」

 

 少し明るくなった表情でオランは言った。

 もしかしたら、普通の魔物になれるのかもしれない。

 そしたら、また島に戻れるかもしれない!

 

 「ありがとうクロムさ」

 

 言い掛けたオランの身体がぴたりと止まった。

 クロムが、眼を丸く見開いて、自分の後ろを見つめていたからである。

 ぞくり、とオランの背中を一気に戦慄が疾った。

 オランは背後を振り向いた。

 

 タオルが、はらりと床に落ちる所だった。

 ヒミコが、上半身を起こしていたのである。

 顔は、下を向いていた。

 口が真一文字に引き結ばれていた。

 無言だった。

 前髪に隠れて、眼が見えなかった。

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