震える心の見た夢
甲斐央一
不思議な夢
――実際に見た不思議な夢の話――
亡くなった人の夢をアナタは見た事が有るのでしょうか?有るよ、いくらでも。という人はまれに居ますが、実際のところ少ないのではないでしょうか。
私は、亡くなった人の夢は見た事が有りませんでした。ついでに、夢に色は付いているか否か?それも人それぞれだと思います。私の見る夢はシロクロではなく、いつもフルカラーの鮮明な色付です。見た夢は、中々覚えてなくて、すぐに忘れてしまう事も多いですが。それでもしっかりと覚えている事もあります。
これから話す事は、私自身にとっては不思議な話です。他の方はどうかと?
――2016年夏に父が「
闘病の甲斐も無く、2017年1月に永眠。
同年5月に父が不在の中、母の認知症が進行し、熱中症にて家で倒れ入院。要介護5に認定されました。認知症が進んでいた為、父の永眠も分からず仕舞い。
同年6月・妻が「
同年7月初旬・義父が「
同年7月下旬・息子が他県で自転車事故に遭い「
同年10月・母が「テンカン発作」にて長期入院。
同年12月・母が入院している病院先で「
――今まで生きた中で最悪が凝縮された1年でした――
事ある如く、会社を休み、家の家事を行い。入院患者の着替えを取りに行ったり来たり。疲れも溜まる日々が続いたのです。
呪いでも掛けられたのか?と疑う様な不幸事が次々と起こったのです。
心が折れそうな瞬間とはこの事かと、何度も感じさせられました。ええ、そりゃもう、一人になるとよく泣いておりました。
そしてついに、母が長期入院となり、実家が空き家になってしまいました。私は、実家から車で30分位の所に家を建てています。今更、田舎の実家生活は出来るはずもありません。いや、実家生活など考えようとはしませんでした。そうです、実家から仕事先まで片道45分は軽く掛かるのです。朝の渋滞時間に掛かれば1時間は掛かった事も有ります。今住んでいる家から仕事先まで、10分もあれば余裕で着くのです。夜勤の仕事柄、実家からの通勤時間はハッキリいって苦痛でした。夜勤明けで眠い目を擦りながら、居眠り運転をして何度・事故に遭いそうになった事やら。
せめてもの償いでは有りませんが、1~2週間に一度、休みの日には家の換気をする為に実家に今も訪れています。
家は空き家になると途端に傷みが増すようです。家の住人が居なくなると、その家の守り神も居なくなるような気がするのでしょうか。だから、実家が傷まないように、各部屋の掃除と全ての窓を全開にして1日を過ごすのです。
同年の10月。母の「テンカン発作」が落ち着いた頃、私は庭が荒れている事に気を病んでおりました。
父が生前良く世話をしていた庭。日本庭園と言えば大げさかも知れませんが、大きな石が幾つも積み上がられ、数本の松や楓が形よく伸びていました。ええ、それは立派な庭でした。素人目にみても軽く4~500万円ぐらいは掛かっていたのではないかと思います。
自分で庭の木の剪定をやろうと思ったのですが、生憎不器用な事と、脚立に乗っての作業故、業者にお願いする事となりました。
やはり、業者は素早く丁寧に剪定を無事に終わらせて頂きました。ええ、それはもう、本当に綺麗に見事に仕上げて頂きました。
そして、12月・再び母に不幸が訪れたのでした。庭の剪定で、実家のミソギが
「テンカン発作」で入院先から「
「血圧も物凄く高く、脈が200有り、今夜が山かと………」病院の看護師に告げられました。
母が眠るベッドの足元で、畳1畳分ぐらいの簡易ベッドを貸してもらい。身長が180cm位有る私にとって、足が出る為、膝を丸め自宅から持ってきた毛布を掛けて、12月の寒く眠れぬ一夜を過ごしたのです。
ええ、母は祈りが通じたのか、何とか峠を越しました。
そんな矢先の事でした。生活の為、仕事もしなければなりません。仕事が終わり、入院先の母親の見舞いを終え、自宅に戻り床に就きました。
◇ ◇ ◇ ◇
【ここから先は、夢の中での話】
いつもの様に夜勤明けで、実家に寄ろうとして旧道から車一台分しか走れ無い、狭い私道に車を走らせておりました。
車で庭の駐車スペースに入ろうとすると、車を邪魔するかのように人が立っていました。
“邪魔だな、どいてもらえないじゃろうか?”と思い、軽くクラクションを2度鳴らしました。
何処かで見たような後ろ姿。朝日の逆光で此方からは全く、その人の姿を見る事が出来ません。
しかし、何故かとても懐かしい思いが、その後ろ姿から感じたのです。誰だろう?
父の知り合いかも知れない。大きい声は出せない。ここは穏やかにしなければ。しかし、邪魔だ……
その場から動こうとはしない、その人に私は車から降りて、声を掛ける事にしたのです。
「あの~車入れるんが、邪魔なんじゃけど……」
と、庭先で佇んでいる男の人に声を掛けました。
私の声に振り向いた人物を見た瞬間に私は凍り付いたのです。
「――な…父さん……な、なんで、ここに居るん? 父さん、死んだんで……」
「…………」
「——ど、ど、どうして、なんで?……どうして……」
「分からん……気が付いたら、ここに居った……」
「幽霊じゃないじゃろうな?ってか、今・朝だし、足も二本有るし……」
目の前の人物は、明らかに亡くなった父でした。穏やかに、そしてにこやかに話す姿は生前と全く同じでした。
不意に、松や楓を植えている庭に歩き出しました。朝日が庭を眩しく照らしていました。
「おぉ、松を剪定してくれたんか?綺麗になったのぅ。スマン、スマン……」
「そんな事はええよ。出来る事はせんと、いけんじゃろう……それより、事務所に入らんか、僕は、夜勤明けで足がシンドイんじゃけど……」
「あ、あぁ……」
駐車スペースの横に8畳位の事務所が在る。無言のままその事務所に人り、父は自分の定位置であるソファに自ら座りました。
「寒いけん、お茶を入れようか。飲むじゃろ?」
「ああ、スマン、スマン……」
急須に「かりがね」という茶葉を入れ、湯沸かし器のポットから熱い湯を急須へと注ぐ。
生前父はこのお茶を好んで飲んでいました。
急須から湯飲み茶碗へお茶を注ぐ。父は湯飲み茶わんを手にして飲み始めました。
「ところで、
「ああ、母さんか?……母さんは、今、入院しとるけん……心配せんで、大丈夫じゃ……大丈夫、大丈夫……」
「そうか、無事ならええんじゃ……」
「そういや、父さん、いつまで、ここに居れるん?……」
「――ワシには分からん……」
「〇×のオッちゃんに電話してみようか?あのオッちゃん、父さん亡くなって、エライ落胆しとったから、電話するわ」
「…………」
ズボンのポケットに入れてある、スマホを取り出して、連絡先を探していると“ガチャン”と音がしました。
目の前を見ると、先程父が座っていた場所には、誰も居なかったのです。
つい、先程までソファに座ってお茶を飲んでいた父は、消えるように姿を隠していました。
飲みかけの湯飲みが横に倒れて、少し残ったお茶がテーブルを濡らしていました。
「かりがね」のお茶の香りが微かにしたようでした。
「――父さん……何処へ?――」
私は、つい先ほどまで居た父を探し、事務所から外に出てみました。当然、誰も居ない。いいえ、居る筈がないのです。なぜなら父は亡くなっているから、居るはずなどは決してないのです。
「父さんー……」
◇ ◇ ◇ ◇
「――うわっ~……」
ふと、ここで体が高い所から地に落ちるような気がして目が覚めました。両目から涙が止めどなく流れていました。枕も涙で濡れていました。
枕元のスマホを見ると、午前六時。これから起きて、会社へ行く準備をするにはまだ少し早い時間でした。
父が亡くなった日は、私の誕生日1月1日と同じ日。
そしてこの日、父が枕元に立った日は、12月7日。父の誕生日でした。
父は、入院している母を想い私の枕元に現れたのでしょうか?
父の最期は入院先の病院で母と私と妻の3人で看取りました。母は認知症が進み、父の死も分かりませんでした。父の葬儀も49日も納骨も、初盆も母はまるで抜け殻のように茫然としているだけでした。
「
と、母の口癖は父が入院して亡くなってから、自分自身が喋れなくなるまで続いていました。
生前とても仲が良かった両親。どこに行くのも、二人一緒でした。愛情深い二人でした。やはり、父は母を想って私の枕元に現れたのだと思います。
まるで、残された母を頼む。と言いたかったと思います。
その私が見た夢はとても鮮明に色が付いていて、まるで昨日の事のように今も忘れません。
あれが、夢とは信じがたい事でした。
その後、亡くなった父やその他の亡くなった人の夢は、今も二度と見る事は有りませんでした。
親孝行も碌に出来ない息子でしたが、夢でも逢えて良かった……とても嬉しかったのです。
父さん、今まで、ありがとう。
了
震える心の見た夢 甲斐央一 @kaiami358
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