このようなことは、あるのだ。

 走れメロスを基として、王というもの、王政というものが必然として持つ糜爛の定めを実によく描いた小説だと思う。

 卑近な例を取れば、三国志の時代周りだけとっても、後漢末期が如何ともし難い腐敗に包まれていたのは有名であるが、儒家≒名士勢力と対立していた節のある曹操は、結局の所儒家に敗れ、次代で九品中正法を採用し、名士・名族優位となり、曹操が掲げた唯才主義は影も形もなく消えた。その果てに曹一族は司馬一族との政争に敗れ、曹魏は滅んだ。

 その魏を滅ぼした司馬一族の普も、この小説の如き壮絶な一族の内輪もめの末、それが極まって『八王の乱』と呼ばれる乱を招き、その末の皇帝は奴隷として皿洗いや宴会の始末をさせられ、豪族や民の笑いものとして屈辱を舐めることとなった。

 西洋では外敵を喪失したローマが長き内紛に陥り、ローマ人同士が血で血を洗う政争を繰り広げることとなった。以後この種の内紛はヨーロッパの伝統となったふしすらある。

 あの第一次世界大戦の王族も、皆血族であったという事実を思えば、この物語の主人公たる老王の孤独が、けしてフィクションどまりではないことに思いを馳せていただけるだろう。

 賢王なれば破滅を免れうるとはならぬ。かのカエサルは暗殺で死んだ。賢いがゆえにままにならぬ、目障りであるからと才覚もろとも命を摘まれた事例は、世界に山とあることだろう。
 
 愚かな王であったほうがどれほど幸せであったかわからぬ、という事例は、案外多いものかも知れぬ。才がないほうが却って王位安泰、ということは、あるのだ。才あるがゆえに腐敗を捨て置けず、腐敗を棲家とする虫に刺され、蛇に噛まれ、命を失うこともあろう。

 まつりごととは、必ずしも善のみで押し通れぬ魔窟であり、だからこそかの僭主は己の心魂に逆らうが如き所業に手を染めねばならなかったのかも知れぬ。

 実に良い小説でした。ありがとうございます。