世界の果ての漆狼

 そんな訓練漬けの毎日が一ヶ月も過ぎた頃。


「――機属小隊に、ですか?」


 艦長室のテーブルの向こうで、ティーカップを傾けるサティに、あたしは首を傾げた。


「そうだ。おまえはいずれ、わたしの補佐になる。そのおまえが前線を知らなくては、話にならないからな。

 ――機属の扱いはシュミレーターで訓練済みだな?」


「はい。問題ないはずです」


 あたしの返事に、サティは苦笑を漏らす。


「どれだけ鍛えても、おまえのその自信なさげなところは治らないもんだな」


「そりゃあ、元々あたしはただの邑娘なもので……」


 そんな事を話していた時、不意に頭上の照明が赤く明滅し始めた。


 テーブルの上で丸くなっていたクロが飛び起きて、サティの肩に留まる。


『カンチョウ。標的が警戒ラインを越えました。襲撃と判断してよろしいかと』


 クロの言葉に、サティの目があたしを捉えた。


「よろこべ、アリサ。初日から初陣だ!」


 有無を言わせぬ迫力の籠もったその笑みに、あたしは思わず背筋を伸ばす。


「一月前からおまえ用に特別機を用意させていた。すでにハンガーで建造済みだ。

 ――試運転が実戦。なあ、アリサ。燃える展開だと思わないか?」


 犬歯を向いて野性的に笑うサティに、あたしは「ああ、さすが先輩達のトップだけあるなぁ」なんて、どうでも良い事を考えてしまった。


「さあ、出陣だ! 急げ急げ!」


「――ハイ、艦長!」


 あたしは敬礼して部屋を飛び出し、手近なエレベーターに飛び乗った。


 向かう先はロジカルスフィアのコミュニケーターが教えてくれる。


 第六ハンガーだ。


 この艦の最下部にあるハンガー郡の内、あのスキンヘッド先輩が隊長を務める小隊の機属が格納されたハンガーだ。


 全高三五〇メートルある巨大人型兵器――機属が尻をついて着座して居並ぶそこに辿りつき、あたしはペコリと頭を下げる。


「――先輩方! よろしくお願いします!」


「挨拶なんて良いから、乗れ乗れ! 敵は待っちゃくれねえぞ!」


 アゴヒゲ先輩に急かされて、あたしは先輩が指差す機属に向かう。


 他の機属同様に、尻をついた着座姿勢で待ち受けるあたしの機属は、先輩達の青い玉をはめ込んだような顔と違って、紅い目をした狼のような頭部をしていた。


 機体の色も、先輩達が黒色なのに対して、あたしの機属はきらめきを帯びた漆銀。


 開かれた口の部分から、先輩達の機属にもある青い玉が覗く。


 ――本当に特別機なんだ……


 そんな事を考えながら、あたしは専用のエレベーターに乗り、胸部にある操縦室に向かう。


 整備員が開いてくれたハッチの中は、あたしが身を収めるための窪みが造られたシートになっている。シュミレーターと一緒だった。


「――おいおい、なんでスーツ着けてねーんだよ!」


 整備主任があたしに怒鳴る。


「ええっ!? だって、艦長室から直行だったんですよ?」


 今、そんな事で怒られても困る。


「クソっ。伝導率が落ちるが仕方ねえ。ホレ、同調器だ。

 ――おまえさん、本当に使えるんだよな?」


「シュミレーターではサティに褒められましたよ?」


「おまえらが死ぬのは構わねえが、機属はお前ら生き返らせる以上に、直すのに手間がかかるんだ。なるべく壊すんじゃねえぞ!」


 またこの価値観だ。ここは本当に人の死が軽い。


 この感覚には、いつまで経っても馴染めそうにはなかった。


 整備主任が差し出した同調器は、狼の顔をしたヘルメット。


 あたしはそれを受け取って被ると、シートに身体を横たえた。


 ハッチが閉まり、あたしは静かに目を閉じる。


 ――ロジカルスフィア……リンク開始。


 ――身体感覚転送……良好


 ――リングリアクター……稼働開始


 ――事象干渉……開始……成功


 ――各関節部、ロック解除


 目の前に文様が浮かぶ。


 サティに教わった勉強によって、いまではそれが文字であるとわかるし、ロジカルスフィアによって、表示されている内容も理解できる。


 機属の稼働準備が整った事を示すそれらを確認し、あたしはゆっくり目を開いた。


 あたしの視点は機属の視点になっていた。


 機体を固定していた懸架台が動いて、あたしを外に運んでいく。


 機属はその全高が艦より高い為、内部で立ち上がれないのだ。


 それを考えずに、シュミレーターでいきなり立ち上がろうとした時は、サティにめちゃくちゃ怒られた。本当に怖かった。


 開かれた外部ハッチまで移動した懸架台は、まるで放り出すように機属を解放する。


 手を突いて受け身を取り、四つん這いからゆっくりと立ち上がる。


 これもシュミレーターで覚えた事だ。この巨大な兵器は、四肢を動かすだけで突風を巻き起こす。人の近くでの急な動作は、サティに怒られてしまう。


 恐ろしく高くなった視点に、あたしは状況もわきまえず、なんともいえない高揚を感じた。


 後ろを向けば、いつも走らされていた黒色の甲板があり、その向こうには青々とした森林が見えた。


 その森林に埋もれるようにして、石造りの城が見える。


「――生者の世界……」


 あたしがもう帰る事ができず、けれど守る事はできる世界だ。


「おう、新入り」


 スキンヘッド先輩が北――樹氷の海の向こうを指差す。


「見えるか? あれが目標だ」


 機属の目は、恐ろしく視力が良い。


 いつもは陰影で揺らいで見えた『果ての樹』が、その水晶のような枝ぶりまではっきりと見えた。


 ――その向こう。


 青空に空いた黒々とした亀裂のようなところから、銀色をした巨大な生物が見えた。


 カマキリの上体に芋虫のような腹をしたそれは、樹氷をなぎ倒して一直線にこちらへ向かってくる。


「先陣を切らせてやる。やって見せろ!」


 スキンヘッド先輩の言葉に、あたしがうなずきを返したところで。


「――アリサァッ!」


 背後からサティの声がかかった。


 甲板の上で、その青みがかった銀髪を風になびかせた彼女は、親指を立てて告げる。


「さあ、初陣だ! 高らかに名乗り、突き進め!」


 その言葉に、機属と同調している為、本体の表情は動かないはずなのに、あたしは頬が緩むのを感じた。


 この機属の名前はもう、ロジカルスフィアで知っている。


 だから、あたしは声の限りに叫んだ。


「――<漆狼>、先陣切らせて頂きます!」





 樹氷をなぎ倒して突き進み、あたしはその勢いのままに敵に肩からぶつかった。


 ただそれだけで、周囲の樹氷が吹き飛び、激突面から水蒸気の輪が広がる。


 降り積もった雪が舞い上げられて、柱となって天高く舞い上がった。


 敵は激突の衝撃で仰け反ったものの、倒すまでには至らない。


 見た目同様、表皮が硬い甲殻になっているらしい。


「――ならっ!」


 右の拳がガードに覆われ、その周囲が球状に揺らぎを帯びるのを感じる。


 機属に搭載された武装のひとつ。


 現実を、思い通りに書き換える領域を展開する兵装だ。


 どんなに硬い甲殻だろうと、その硬さ自体をないものとする。


 あたしが右の拳を繰り出そうとしたその時――

「――新入り、避けろ!」

 敵の鎌のような腕が伸びて、<漆狼>の腕を斬りつけた。


 ――右腕をもがれた。


 そう思った時には身体は動いていて、

「――ECナックルッ!」

 左の拳を叩き込む。


 サティの鬼訓練の賜物だろう。


 拳は水蒸気の輪をいくつも貫き、余波で周囲の樹氷の海さえ薙ぎ飛ばして。


 あたしが痛みを感じるより早く、<漆狼>の左拳は敵の頭部を吹き飛ばしていた。


 紫色の鮮血を噴き上げて、樹氷の海に崩れ落ちる敵。


 念入りにその腹も踏み潰し、完全に動かなくなった時になって、先輩達の歓声が耳に届いた。


「すげえぞ、新入り!」


 先輩達はゲラゲラ笑いながら、口々にあたしを褒める。


「シュ、シュミレーター通りにやっただけですよ……」


「ちっげえよバーカ。おまえ、誰もできなかった事、なしとげやがったんだよ!」


「ああ、すげえよ。おめえこそエースだ!」


 謙遜するあたしに、バンダナ先輩と角刈り先輩が腹を抱えて笑いながら、否定の言葉を発した。


「――見ろ、新入りっ!」


 アゴヒゲ先輩が笑いで声をヒクつかせながら、艦の方を指差す。


 そこには斬り飛ばされた<漆狼>の右腕が、胸壁を抉って落ちていて。


「ナイスキル! 初陣で大将首とは、やるなぁ。おまえ」


 スキンヘッド先輩が親指を立てて笑う。


 <漆狼>の良すぎる視力は、右腕の下に広がっていく血と、わずかに覗く青みがかった銀髪をはっきりと捉えていた。


「……いくら生き返るって言っても……」


 あたしはここの価値観には、いつまでも馴染めそうにない。


 笑い続ける先輩達をよそに、あたしは生き返った後のサティを想像して、思わず身を震わせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

世界の果ての漆狼【「世界の果ての漆壁」、SF週ラン50位突破、お礼短編です】 前森コウセイ @fuji_aki1010

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ