世界の果ての漆狼【「世界の果ての漆壁」、SF週ラン50位突破、お礼短編です】
前森コウセイ
死者の国の女主人
――あっ!?
と、思った時には、もう遅かった。
――主人確保獲完了
――身体形成開始……完了
――記憶転写……完了
――神経接続開始……良好
――ロジカルスフィア接続……完了――感度良好
――意識を活性化
目の前に浮かぶ文様が、意味を持って理解できる違和感に、あたしは目を見開いた。
途端、目に飛び込んでくるのは青みがかった銀色の髪をした、小柄な少女。そして、その肩に留まって、その大きな目をくりくりさせている、五〇センチほどの竜型インターフェイスロイドだ。
――五〇センチ? 竜型インターフェイスロイド?
知らない言葉が脳裏を過り、それを知識として受け入れている自分に、ひどく違和感を覚える。
「おはよう。無事、起動できたようだな」
そう告げる少女は、そのツリ目がちな目元を緩めて、小さな唇を笑みの形にする。子供のような高い声だった。
「……あなたは? ここはどこ?」
直前のあたしの記憶では、あたしは山菜採りに森に入って、岩場で足を滑らせて。
そこまで思い至って、あたしは頭に触れてみた。どこにも怪我はない。
上体を起こして身体を見てみれば、やはりどこにも怪我はないのだが。
「――は、裸っ!? なんで!?」
あたしは思わず身を縮こませた。
「――動作不良もないようだ。
わたしはサティリア・ノーツ。艦長とも呼ばれているが、おまえは久々にわたしが直接喚んだ者だ。サティと呼んでもいいぞ」
「喚んだ? 艦長?」
理解が追いつかず、首を傾げるあたしに、サティは再び微笑む。
「ああ。ここはおまえ達が言うところの『死者の国』だ。そしてわたしはそこの女主人」
邑のおじいから聞いた事があった。
遥か北の果て。世界の果てには、黒く巨大な壁があり、死者はそこに赴くのだという。
「あたし……死んだの?」
「ここに居るという事はそうなるな。
――さて、おまえの名前だが……」
言われて、あたしは自分の名前が思い出せない事に気づく。他の事は思い出せるのに、名前だけがなぜか思い出せない。
『名前が思い出せないのは仕様ですから、ご心配なさらず。生者と死者を分けるもの。それが名前の有無です。
――ああ、申し遅れました。本機はクロという固有名称を与えられております』
サティの肩に留まったクロが、柔らかな女声であたしの疑問に応える。まるであたしの考えを読んだようなタイミングで気持ち悪い。
「よし、おまえはアリサだ。どうだ?」
そう言って、サティはあたしとクロを交互に見た。
『――カンチョウにしては、まともな命名かと』
「おまえは本当に、いつも一言余計だな?」
頬を膨らませるサティに、あたしは思わず吹き出した。
死の国の女主人という割には、彼女はあまりにも子供っぽい。
まだ自分の置かれた状況は理解できない事ばかりだったけれど、少なくともただ死んで終わりというよりは、今の状況は救いがあるような気がした。
それから一週間、あたしはサティに言われるがままに、訓練をさせられた。
サティはあたしを自分の側近にするつもりなのだそうだ。
よくわからないコードを付けて、ひたすら走ったり泳いだり。時には兵器を扱う為の訓練もさせられた。
そのたびにあたしは限界を訴えるのだけれど。
「――限界のその先にこそ、成長はあるんだ。そうだろう? アリサぁ」
とても良い笑顔でそう言って、サティは――あの小柄な悪魔は、時にはさらに苛烈な訓練を課してきた。
『カンチョウ、完全に育成ゲーム感覚ですよね?』
という、クロの言葉が印象的だった。
その日もあたしはサティの訓練を終え、なんとか課せられた食事――食べすぎとも思える量なのだけれど、必ず食べきる切るよう、サティに言われているのだ――を食べ終えて、こみ上げる満腹感と戦いながら、食堂の長テーブルで突っ伏していた。
邑に居た時は、こんなにお腹いっぱいになるくらい、食べた事はない。
どちらかといえば、いつもお腹をきゅうきゅう鳴らしていたようにも思える。
「食べすぎて苦しいなんて、幸せな悩みなのかも知れないけど……」
プラスチック張りの表面が食事で火照った身体に心地よい。
このまま一眠りしてしまおうか。
そんな事を考えていたら、誰かがあたしの肩を叩いた。
「よう、新入り。おまえ、今日も艦長のシゴキか?」
顔を上げると、そこには日に焼けた肌でスキンヘッドにした、筋骨隆々なタンクトップの男。その背後には、彼と同じような格好で、同じように筋肉の発達した男達が三人並んでいた。
「あ~、先輩方。そうなんですよ~。もうホント、死んじゃいますって~」
力ないあたしのぼやきに、先輩達が苦笑。
「おいおい、ここは死者の国だぜ。ここで死んでも、またここで生き返るだけだ」
「え? そうなんですか?」
「おうよ。むしろ、いっぺん死んでこそ、真の戦士の始まり。死亡回数は戦士の勲章だぜ?」
スキンヘッド先輩の後ろで、角刈り先輩が腕のバツ印を見せながら言う。全部で九つ並んでいた。
まさかそれ、死亡回数なの?
価値観の違いに、あたしは顔をひくつかせてしまった。
あたしもいずれ、こんな風に考えるようになってしまうのだろうか。
「そもそもの話、ここで死んだ事ねえのなんて、おまえと艦長くらいじゃねえか?」
バンダナを額に巻いた先輩が言う。
「言われてみりゃそうだな。古株整備兵の爺さんらでも艦長が死んだトコは見た事がねえって言うしな」
バンダナ先輩の言葉を受けて、整えたアゴヒゲを生やした先輩が、そのヒゲを撫でながらうなずく。
「まあ、あの女の皮を被った鬼が死ぬトコなんて想像できねえけどなっ!」
スキンヘッド先輩のその言葉に、あたし達は声をあげて笑った。
「――ほう。アリサ。ずいぶんと余裕があるようだな?」
と、不意に背後からかけられた声に、あたし達は凍りつく。
先輩達は食事を載せたトレイを持って、速やかに撤退してしまった。
「こっちを向け。アリサぁ」
いやだ。向きたくない。
「ア~リサぁ、聞こえないのかぁ?」
「ハイ、艦長っ! なんでしょうか!」
覚悟を決めて振り返ったあたしに、サティは天使のような笑顔で、悪魔のような事を告げた。
「おまえ、第一甲板から第五甲板までダッシュな」
「ええっ!? 一〇キロありますよっ!?」
「聞こえなかったか?」
「――すぐかかりますっ!」
もちろん、サティは厳しいだけではなかった。
朝食後には一緒にお茶で談笑し、その後には甲板で散歩したりもする。
これは彼女の日課のようで、雨の日以外は毎朝、散歩に出かけた。
よく晴れた日に、遠目に見える虹色の大樹を見つけたりすると、子供のように目をきらめかせて喜び、年相応に見えて可愛らしかった。
「――果ての樹、ですか?」
黒い胸壁の向こう。
眼下に広がる樹氷の海のさらに向こうにそびえる、巨大な樹を指して告げられたその名に、あたしは小首を傾げる。
「そう。見えたり見えなかったりするんだけどね。見えた日は幸運の日って、わたしは勝手に決めてるの。だから、今日は運が良い日だわ」
そう言って笑うサティの声音は、普段より柔らかく感じる。
地面から遥かにそびえる、この甲板の上に居てさえ見上げるほどの巨樹。
ゆらゆらと揺らめきながら、七色にきらめくそれを、あたしはサティと一緒にぼんやりと見上げる。
支給されている白い軍服とタイトスカートは、温度調節機能が備わっているそうで、冷風吹きすさぶ甲板の上でも、まるで寒さを感じない。
だからだろうか。あの大樹をいつまでもずっと見つめていたいと、あたしはそんな気持ちになった。
「さて、それじゃあアリサ。運が良い日という事で、今日の訓練を始めようか」
どうやら、訓練から逃げたいという気持ちだったようだ。
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