第5話

「えっ何これ……どうしたの……?」


 約束の九時に少し遅れてしまい軍服を着替える暇が無かったサザが駆け足に食堂のドアを開けると、カズラとアンゼリカが空の杯を手にしたままテーブルに突っ伏していた。


 その向かいに、葡萄酒の杯を手に困惑した様子のユタカが座っている。

 テーブルの上には空の葡萄酒の瓶が十二本。三人で飲み切ったならかなりの量だ。サザは焦ってカズラとアンゼリカに近づいてみる。二人は完全に酔い潰れていた。


「サザ、遅かったな。何かあったのか?」


 ユタカはサザを見て心底安堵したような表情を見せた。


「え? 飲み会九時からって聞いてたんだけど」 


「そうなのか? おれは七時からって聞いてて、二人も来てたよ」


「……おっかしいなあ。私が聞き間違えたのかな? 確かに九時って聞いたと思うんだけどなあ」


 サザは不可解に感じながら後頭部をぽりぽり掻いた。


「それでさ、二人がすごいハイペースで酒飲むから合わせてたんだけど、先に潰れちゃったんだ」


「そうなの? 二人は結構お酒は強い筈なんだけど」


 その話ならユタカもだいぶ飲んでいるのだろうが全く顔に出ていない。素面と言われても分からない。


「というか、ユタカってお酒飲めないんじゃなかったっけ?」


「ああ……本当は飲めないじゃなくて、飲まないなんだよな。少しでも酒が入ると剣を握った時の感覚が鈍って嫌だから飲みたくなくて。でも、酒が強いって言うとどうしても飲まされそうになるから、陛下に便乗して飲めないことにしてたんだ。その方が断るのが楽だから。おれは母親似なんだと思う。母……女王陛下は酒が強すぎて『イスパハルの肝臓』と呼ばれてたらしいからな」


「そ、それは大層な……」


「でも明日は、リエリの結婚式に出るだろ? そんな場でおれが帯剣して警戒したら逆に失礼だからな。だから今夜なら少しは酒飲んでもいいかなと思ったんだ。カズラとアンゼリカがせっかく誘ってくれたし。でも、この事は黙っててくれないか? 酒が強いとばれると断るのが面倒になるから」


「あはは……そうだったんだね、分かった。それはそうとこの二人はどうしよう」


 サザはテーブルに突っ伏すカズラとアンゼリカにおーい、と声をかけながらぺちぺちと頬を叩いてみたが、むにゃむにゃ言うばかりで埒があかなかった。


「とりあえず、そこのベッドに寝かせておいてあげたらいいんじゃないか? 二人は恋人いる? おれが運んでも大丈夫か?」


「いないと思うし、いてもユタカは王子だし大丈夫なんじゃないかな……」


「そんなことないって。酒飲んでるし。おれが変なことしてないかどうか、サザはちゃんと見張ってて」


「はは……分かった」


 ユタカはそう言って笑うとカズラとアンゼリカを一人ずつ横抱きに抱き上げて部屋の傍の大きなベッドに運び、サザが布団をかけてやった。二人は何か寝言を言っていたが全く起きる様子もなく、そのまま眠り続けている。


 明日、目を覚まして驚いた二人の顔を想像してサザとユタカは静かに微笑みあった。


 —


 カズラとアンゼリカを寝かせたサザとユタカは自分達の寝室へと戻ってくると、一息つく様に並んでベッドに腰掛けた。ユタカが軍服、しかも王族用の白いものを着ているのはすごく珍しい。今日は確か他国からの使者に対応していたからだ。夫ながらよく似合いすぎていサザはそれだけで少しどきどきした。


 その気持ちを誤魔化し気味にふう、とサザは大きく伸びをする。軍服はリラックスするのには向いていないので伸びをすると肩飾りがごわつく。


「あの二人が急に言い出す時って絶対何かを企んでるから、私、かなり疑ってたんだよね。でも今回は本当に楽しく飲み会したかっただけだったみたいだから疑って悪かったな」


「楽しい会だったよ、またやりたいな。サザが来る前に終わっちゃって残念だった。サザの話も沢山したし」


「えっ? どんな話?」


「色々」


 そう言ってユタカはにこりと微笑んだ。


「怖いなあ……」


 サザは苦笑いすると、ベッドから立ち上がった。ユタカは見た目には変化無いが葡萄酒を浴びるくらい飲んでいるのだ。水を飲んでおいた方が良い筈だ。


「サザ? どこ行くの?」


「お水もらってくるよ。飲んだほうがいいでしょ?」


「いいよ、そんなの。行かないで」


「え?」


 そう言うとユタカは立ち上がったサザの手を手繰り寄せるように引っ張りサザを膝に座らせると、背中からサザをぎゅうと強く抱きしめた。ユタカの心臓の鼓動が伝わってくる。それは、自分の鼓動もユタカに伝わっているということだ。急激に早くなったのがばれているだろうか。


「わ……あっつい」


 ユタカの身体がまるで熱でもあるようにびっくりするくらい温かい。顔に出ていなくてもやはり深酒しているのは本当のようだ。


「サザはこうされるのが好きだってカズラとアンゼリカが言ってたんだ」


 ユタカが頬を寄せる様にして、サザの耳元に口を近づけて言った。


「へ?!」


「違った? 二人ともかなり酔ってたから言ったこと覚えてないと思うけど」


 サザはあまりの恥ずかしさに思わず否定しそうになったが、そう言えば真面目なユタカはもうやってくれなくなってしまうかもしれない。それは嫌なのでサザは素直に白状することにした。


「……違わないです……」


「良かった」


 ユタカはサザの身体の前に回した腕を更に巻き付けるようにして、サザの肩に顎を乗せるようにして頬を寄せた。


「恥ずかしいよ……二人とも何でユタカに喋っちゃうの……?」


 サザは一気に火照った顔を両手で覆った。素面なのにこれではサザの方が酔っ払っているみたいだ。


「じゃあ、代わりにおれが好きなのも教えようか?」


「ふぇっ?!」


 予期しなかったユタカの言葉に思わず変な声が出てしまった。サザの反応にユタカが笑いながら、サザの首筋に唇を押し当てた。


「っわ……」


 思わず身体がぴくりと反応した。そこから身体中に熱が広がっていく感覚に思わずもぞもぞと身じろぎするも、ユタカに後ろから強く抱きしめられているので身動きが取れない。緊張とも羞恥ともよく分からない感情に、サザは身体がぷるぷる震えた。我ながら小動物みたいだ。


 しばらくそうしているとユタカは不意にサザの首筋から唇を離すと膝の上で小さく震えているサザを抱きしめたまま、押し倒すようにしてベッドに倒れ込んだ。


「ちょっ……!」


 サザが上げた抗議の声はあっけなく無視された。ユタカはそのままベッドに仰向けになったサザに覆いかぶさるように寝転んで、サザの両手を握る。ユタカの顔がサザの目の前にぐっと近づく。体重をかけてのし掛かられてしまったので相変わらず、サザは身動きは出来ない。

 ユタカは顔色には変化がないが、酒のせいで少し潤んだ真っ黒の瞳が妙に色っぽい。サザは思わずごくりと唾を飲んだ。


「何かいつもと、雰囲気違うね……」


「おれ、酔ってるからさ」


 そう言ってユタカはサザの癖毛を指で解かすようにして優しく撫でた。


「わ、私は素面なんだけどな」


 サザは思わず目を逸らし、半笑いで答える。


「でも、酒を飲んでベッドのある部屋に好きな人といたら、そういう気持ちになるだろ?」


「そ、そっかあ……」


 色気の無さすぎる返答をしている自覚はあるが、ここで「正解」と言われるような答えはサザには一生出来ないと断言できる。

 こんなことをカズラとアンゼリカに話せるわけがない。恥ずかしすぎる。


(でも、(自主規制)のことを二人に話せば、こういう時にどうしたらいいかアドバイスもらえたのかも……)


 サザは心の中で密かに後悔したがもう遅い。


「嫌か?」


 サザの答えに、ユタカは眉尻を下げてしょんぼりした表情でそう言い、親指でサザの頬をそっと撫でた。

 ユタカは優しいのでサザが煮え切らない返事をすると絶対にこう聞いてくる。

 正直、嫌ではないのだが、サザの気持ちを察してはくれない。いつもこちらに答えさせるのはずるいと思うが、ユタカはただ真面目にサザを想って聞いているだけだろう。サザは鼻で大きく深呼吸をすると意を決して口を開いた。


「嫌、ではないよ……」


 恥ずかしくて恥ずかしくて、自分で思ったよりずっと消え入りそうな声になってしまった。サザは目の前の真っ直ぐなユタカの瞳を直視できず、ぷいと横に顔を逸らした。正常な顔色が消失して真っ赤になっているのが自分でもよく分かる。


「……ぷ」


 その時、真顔だったユタカが急に吹き出して笑い出した。


「えっ? 何?」


「おれは、質問するたびにどんどん赤くなってくサザを見てるのが好きだな」


「じゃあ、わざとそういう質問してたの?!」


「うん」


「ば、ばか……!」


 サザはユタカの手を振り解いて上半身を何とか起こすと、ユタカをぺしぺし叩いた。ユタカは笑いながら、叩いてくるサザの両手を難なく捕まえるとそのままもう一度ベッドに押し倒してのしかかり、サザの唇に自分の唇を強く押し当てて口づけた。サザは目を見開いた。


 呼吸の存在を忘れるその時間を、ユタカの唇の柔らかな感触と、高鳴った自分の心音だけが支配する。長いのか短いのかちっとも分からないその時間はいつも、「こういう時は目を閉じてなきゃいけなかったのに」というサザの後悔で終わるのだ。ユタカはいつもちゃんと目を閉じていて、その黒くて長い睫毛がとてもきれいなのをサザはしっかり覚えている。

 ユタカは唇を離して、サザの頭を撫でながら一点の曇りもない笑顔で言った。


「あとはサザが軍服着てるのを脱がす時が好きかな」


「は? はい……?」


 ユタカはあはは、と笑う。酒のせいか、ユタカがあまりにしれっとしすぎていて冗談なのか本気なのかがサザには全然分からなかった。


(あっでも私今、軍服着てるなあ)


 改めてそのことに気がついたサザは、狼の目の前で為す術の無いうさぎの様に、首をすくめて縮こまった。


(軍服脱がすのが好きって何……? あ、興奮するってこと……?)


 そう考えたとき、サザは顔から火が出たような熱さでぼん、と赤くなった。両手を抑え込まれているので赤い顔を隠すことが出来ない。


「はっ……恥ずかしいこと言わないでよ……」


 サザが途切れそうになりながらも何とかそう口に出すと、目の前で微笑んでいたユタカは急に笑顔から真顔になった。サザの返事のせいで何かのスイッチが入ってしまったららしい。サザの両手を握るユタカの手に一層力が込められた。


「先に謝っとく。ごめん。おれ、もう我慢出来なくなった」


「ひぇ」


 少し前から正常な言葉を発せなくなっているサザにユタカはきっぱりとそう告げると、サザの上着の襟元に手を入れて軍服の上着からサザの肩を外した。そのままサザのブラウスのボタンに手を掛けながら、サザの首筋にユタカの噛み付くような口づけが落とされる。


「わっ……」


 サザがその舌の熱さに驚いてびくりと身体を跳ねさせると、首筋に花びらのような鬱血の跡が残された。ユタカは顔を上げて再度ぷるぷるし始めたサザを真っ直ぐに見ながら口を開いた。


「今夜寝れないかも」


「え、ええ……?」


 ユタカはそう言うと自分の軍服の上着を脱ぎ捨て、サザの小さな身体が壊れそうな位強く抱きしめた。


 そこから先の出来事を、サザはよく覚えていない。サザは素面なのに記憶が飛んだのはそれが初めてだった。


 サザはいつも通り、どうしたら良いのかちっとも分からなかった。


 変な声を出したなと思って恥ずかしくなったり、何回触れられても触られ慣れない場所にごく優しく触れるユタカの指先に震えたり、そんなサザを見ているユタカが妙に色っぽい顔をしていて心臓がどうにかなりそうになったり、そんなのばっかりなのだ。


 ただ、濃密な夜の時間の中に残る朧げな記憶の隅の方で、覚えてることだけでもカズラとアンゼリカに話したら、もう少しは上手くできるようになるのかな?と考えなくも無いサザだった。


(了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【暗殺者の結婚 3万PV感謝SS】暗殺者の女子会 萌木野めい @fussafusa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ