ひとそれぞれのかたち

金石みずき

ひとそれぞれのかたち

「はぁ~……課長のやつ、終業直前に仕事押し付けてくるなよなー……。しかも自分はさっさと帰っちゃうし……」


 今日も激務を終えた私――夏井なついそらは電車に乗って帰宅中だ。

 周りには同じく残業上がりのサラリーマンたちが死んだ魚みたいな目でつり革につかまりながら揺れていた。なんか海藻みたいで笑える。きっと私はもずくだ。ワカメみたいにしっかりしてないし。いや、どうでもいいか。相当疲れてるな、本当に。


 大学進学を機に上京し、そのままこちらで就職した。

 就職を地元でしようとは思わなかった。だって親と仲悪いし、気まずいだけ。きっとあっちだって私が出てってせいせいしてる。連絡一つ寄越さないのがその証拠だ。


 やがて自宅近辺の駅につき、電車を降りた。

 ここ数年仕事人間として生きてきた私は、無駄に増えていく貯金を有効活用する時間がなく、せめて家にいる間くらいは癒されたい思いで、ついに昨年、少しお高めのマンションを購入してしまった。勢いで。ちょっとテンションが壊れていた気がする。

 まぁ今となってはそれが正解だったと言えるわけだけど――


「ただいまー」


 ドアを開け、挨拶をする。

 するとリビングから一人の男がこちらに向かって歩いてきた。


「おかえり、空さん。今日も疲れてるね~」


 仕事でくたくたになった私を出迎えてくれたのは、春が咲いたみたいな笑顔だ。

 私もついつい表情と顔が緩んでしまう。


「うん、疲れたー。それより……ねぇ、良い匂いがするけど、今日のご飯はなに?」

「今日はね、筑前煮だよ。空さん、好きだったよね?」

「やったーっ! 裕人ひろとの筑前煮、美味しいから大好き!」

「ささ、入って入って。あ、でも先に手洗いとうがいちゃんとしてきてね。風邪引いちゃうから」

「はぁい」


 裕人は少し前に私が男だ。

 近所の公園のベンチでお腹を空かせて死にそうな顔をしていたからコンビニのおにぎりをあげたら、なんやかんやあって一緒に住むようになった。


 別に付き合ってるわけじゃないし、変だなとも思うけど、私はこの生活を案外気に入っている。

 だって家に帰って「ただいま」を言うと「おかえり」と返ってくる。暖かいご飯が出てきて、一緒に話しながら食事をする。食後はのんびりと二人でソファに座って映画なんかをだらだら見る。夜が更けたら並んでベッドに入って「おやすみ」して、朝食の良い匂いで目が覚めれば「おはよう」と出迎えてくれる。こんな幸せがあるだろうか。


「んー! おいし~! この鶏肉、しっとり柔らかくて最高。ねぇ、どうやったらこうなるの? 私がやるとパサパサなんだけど」

「空さんはせっかちだからねぇ。ちゃんとレシピ通り作ればこの味になるよ。全部まとめて入れちゃうから」

「えー。だって面倒くさいじゃん。私、裕人みたいに気が長くないもん」


 そんな私に裕人は「しょうがないなぁ」みたいな顔でへにゃっと笑う。この笑顔、すごい癒されるんだよなぁ。なんかずるい。



「え、まだあのヒモ飼ってたの?」

「飼ってるってゆーな」


 今日は大学で同期だった遥と久しぶりに会っている。こうして会うのは久しぶりだ。大学時代は毎日のように一緒だったのに、いつの間にかときどきLIMEメッセージアプリで連絡を取り合う程度となってしまった。


「ヒモなんて将来ないよ。私らもう27なんだし、さっさと追い出して彼氏見つけなよ」

「これでいいの、私は。それにヒモって言うけど、ご飯はちゃんと毎日作ってくれるし、他の家事だってちゃんとやってくれてるよ?」

「それは捨てられないように媚び売ってるだけ。まさかそのまま結婚とかする気じゃないよね?」


 あまり考えたことはなかったが、ふと想像してみる。

 今の生活が今後もずっと続いていくってことだよね。……うん、悪くないんじゃない?


「……ありかも」

「は? マジで言ってんの? もし子供とか出来たらどうするわけ?」

「しばらくは育休とったり時短勤務したりすることになるだろうけど、大丈夫じゃない? 今までの蓄えもあるし。私、結構稼いでるから」

「え、子供生まれてからもずっと今のまま働く気なの? 私は無理だわー。会社辞めて専業主婦になりたいし。――あ、そうそう。この前私、彼氏出来たんだよね。ほら、この人! 慶早大出のエリートで今は商社に勤めてるんだー」


 遥はスマホの画面を見せてくる。そこには如何にもエリート然とした男が写っていた。仕事できそうだし、顔も整っている。所謂、優良物件ってやつ?


「へぇ。出来そうな人だ。よかったね、遥」

「でしょー?! この前もすっごいお洒落なフレンチのお店連れてってくれたんだよ。いやー、私あんまりそういうところ慣れてないから緊張しちゃって。何着てけばいいかわかんなかったから、彼に聞いたらさーー」


 遥は彼氏の惚気話を続けていく。正直、内容にはあまり興味はなかったが、遥が幸せそうなので私もほっこりとした気分で聞いていた。うん、うんと相槌を打っているだけなのに話は淀みなく続いていく。


「幸せそうじゃん」

「うん、幸せー! あ、そうだ! この前、彼の同期で彼女募集中の人いるって言ってたし、せっかくだから空に紹介してあげるよ。ヒモなんかよりそっちの方が絶対いいって!」


 その瞬間、私の中の温度が急激に冷えた。冷や水を浴びせられた気分だ。

 なんでそんなに裕人を否定したがるんだ。私は充分幸せだって言うのに。きっと私のことを思ってのことだろうけど、余計なお世話だ。


「いいって。新しい男にかまってる暇なんてないし。それに私は今のままで充分――」

「いいから、いいから。今日帰ったら彼に聞いとくね」

「いや、だから私は――」

「いっそ四人で遊びに行ってもいいね! もうすぐ夏だから……BBQとか? 彼、アウトドア趣味もあるからきっとうまいこと準備してくれるし」

「ちょっと人の話を――」

「あ、LIME返ってきた。まだ彼女いないってさ。よかったね!」

「……ごめん、今日はもう帰るね。お金は私が払っとくから」


 私は伝票片手に席を立って会計へと向かった。こんな子だったっけ? それとも彼氏が出来てテンションがおかしくなってるだけ?


「え、あれ? なんか怒った? ねぇ、空ってば――」


 今日はもういいや。これ以上話聞いてられないし。……せっかく楽しかったのになぁ。



「……空さん、機嫌悪い?」

「べっつにー」


 家に帰った私を出迎えてくれたのは裕人の美味しいご飯だった。焼鮭にピリ辛の香味ソースがかかっている。小麦粉を塗して焼いた鮭は外はカリッとしているけれど、身はほくほくで、そこに唐辛子のピリリとした辛さがいいアクセントになっていた。いっぱい入った薬味ネギもまた私好み。

 だんだんと機嫌が戻ってくる。やっぱり私には高級フレンチより裕人の和食がいい。――いや、もちろん特別な日にそういうのも悪くはないけどね。


「食後にプリンもあるからね。空さんの好きな、固めでカラメルソースがかかったやつ」

「本当?! やったー! ――いつもありがとね、裕人」

「俺、働いてないし、このくらいはね。それに料理するの好きだから、全然苦じゃないよ」


 ああ、やっぱり心地良い。私にはこれがいいんだ。



「あれ? 空じゃない? 偶然!」

「遥――」

 

 数日後の週末。裕人と出かけていると、ばったり遥とその彼氏に出くわした。

 遥はこの前のことなど露ほども気にかけていない様子で話しかけてくる。


「あ、この人がこの前言った彼氏の湊くん」


 紹介された湊さんが軽く頭を下げるのに倣って、「ども」と軽くお辞儀しておく。


「湊くん、こっちの女の子がこの前言ってた大学の同期の空ね。それでこっちの男の人は…………えーっと……」


 遥が「なんて言えばいい?」みたいな目でこちらを見てくる。私は面倒だなと思いながらも、


「空です。そしてこっちは今、一緒に住んでる裕人です」


 と紹介しておく。裕人は軽い調子で「どーも」と笑顔を見せた。


「ねね、これからみんなでご飯食べに行かない? せっかく会ったわけだしさ」

「うーん、せっかくだけど、私たち予定あるから……」

「そんなこと言わずに、ご飯だけ!」

「湊さんとせっかくのデートなんでしょ? 二人で楽しみなよ」

「そんなこと気にしなくていいよ? 湊くんも一緒でいいよね?」


 湊さんは苦笑しつつ「俺は一緒でもいいけど、向こうにも予定があるみたいだから無理強いはよくないんじゃない?」と窘めてくれている。だが遥はそんな雰囲気には気づいてもいないようで――


「うーん……あ、そうだ。湊くん、この前行ったお店、近くだったよね? いい感じだったからきっと空も気に入るはずだし、あそこにしちゃお!」


 と、勝手に段取りを整えてく。私が念押しで「だから私たち予定あるって」と告げるがおかまいなしだ。だんだんとイライラしてくる。なんでこんなに頑ななんだと思っていたら、次の瞬間、とんでもないことを言いだした。


「でもさ、今日逃すと空ってなかなか捕まらないしさ。ほら、この前の話。今湊くんもいるからちょうどいいじゃん。別に二人は付き合ってないんだよね?」

「……その話、断ったよね? ごめん、もう本当に行かなきゃいけないから」


 とうとう我慢ならなくなった私は、裕人の腕を「ほら、行くよ」と掴んで立ち去った。裕人は「いいの?」と聞いてきたが、「いいの!」と答えるとそれっきり黙った。



「今日本当に良かったの?」

「いいって。家にいるときまで思い出させないでよ」


 あの後少しぶらつこうとしたが、イライラが先だって楽しめずに帰ってきてしまった。


「でもさぁ、大学の同期なんでしょ? いつも一緒だったっていう」

「昔は昔だよ。なんか環境が変わると話合わなくなっちゃうね」

「寂しいね~。でも何かボタンの掛け違いを直せば仲直り出来そうだけどなぁ」

「無理だよ。だって遥、裕人のこと悪く言うんだよ? そんなのもう仲良く出来ないよ」


 ついつい零してしまった瞬間、裕人の動きが止まった。

 しまった――と思ったが、もう後の祭りだ。


「そっか~。俺が原因だったか。ごめんね、空さん」

「いや……違くて……」

「でも俺、働いてないし、付き合ってもないのにずっと居候してるのは間違いないしね」

「そんなの私が働くから。私は裕人が家にいてくれればそれで――」

「ん、ありがとう。空さん。あ、ご飯終わった? ちゃっちゃと片づけちゃうからテレビでも見て待っててよ」


 それっきり裕人の態度は普段通りに戻った。

 それは安心できることのはずなのに、しかし私にはそれがかえって不安だった。



 不安が的中したとわかったのは翌朝のことだ。

 目が覚めると、いつも通り裕人は隣にはいなかった。僅かに開いたドアから朝食の良い匂いが漂ってきており、寝ぼけ眼のままリビングへと向かった。


「おはよ~裕人……ってあれ? 裕人?」


 いつもならすぐに「おはよう」と返ってくるところだが、返事がない。トイレかな? と思ったが、家全体がしんと静まり返っているようで、何か様子がおかしい。

 胸に騒めきを感じながらテーブルに目を落とすと、そこにはメモが一枚置かれていた。


『空さんへ。今までありがとう』


 一気に血の気が引いた。

 私はスウェット姿なのも厭わず、そのまま外に飛び出した。


 朝食はまだ温かい。なら、それほど時間は経ってないはず。じゃあ……どこ?


 勘を頼りに駅へと向かう。すると……いた! たった今切符を片手に改札へと入ろうとしている。

 追いつこうとするが、とても間に合わない。私は注目を集めてしまうのもかまわずに大声を張り上げた。

 

「裕人、待って! 行かないで!」


 声を聞いた裕人が立ち止まって振り返る。チャンスだ。

 私は走ってきた勢いそのままに裕人の胸に飛び込んだ。


「うわっ!」

「バカ! バカバカバカバカバカ! ほんっとバカ! なんで勝手に行っちゃうの?」

「……空さん?」

「私には裕人が必要なの! 他の誰が何言ったって関係ない! 全部縁切ったっていい! でも……裕人はそばにいてよぉ……。やっと手に入れた私の居場所なんだから……」


 後半はもう懇願のようになってしまっていた。見えてないだろうけど、声が震えて、泣いてしまっている。

 裕人はそんな私を抱きしめると、ぽん、ぽんと背中を優しく叩いてくれた。


「そっか。ごめんね、勝手に決めて。――わかった、帰ろう」

「うん……」



 あれから一年。裕人はやはり働いていない。

 でも家に帰ると必ず笑顔で「おかえり」って言ってくれる。それだけで私は満たされる。頑張ろうって思える。

 他人にどう思われようと、裕人は私の王子様だ。

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ひとそれぞれのかたち 金石みずき @mizuki_kanaiwa

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