最終話:名前のない処刑人

 肌を刺すような寒さの中、藤堂は真っ白なパーカーに身を包みいつものベンチに腰かけていた。

 彼女は僕の存在に気づくなり「殺しに来たの?」と無邪気な笑顔を見せながら問いかけてきた。

 僕は黙って首を横に振ったが、ここまで来て止めるつもりは無い。

「警察は和毅の死を自殺って判断したみたいだね。もともとあの兄弟は何かと嫌疑の目を向けられていたわけだし、遺書もあるとなればそうなるよね」

 藤堂は僕を見つめると「でもさ」と呟く。その顔はまるでよくやったと言わんばかりに上機嫌に見えた。

「死体が見つかったのは書斎。キミの話しでは天井はずいぶん高かったみたいだけど、首を吊る準備をするのはさぞ大変だっただろうなあ」

 続けて藤堂は首を吊って自殺をするなら大階段使うとかいくらでも他に楽な方法があると話した。

「衝動的な自殺にしては手間がかかりすぎているし、清長や雅也の家族に向けての配慮をしたいなら鍵のかかる自室にするよね」

「計画的な自殺だとしたらどうですか。それなら準備の手間を惜しんでも、父が死んだ部屋で自殺する理由になりますよね」

 家から出るところを見られている以上、反論をする必要なんてなかった。

「あー、もうじれったいな」

 藤堂はスマホを操作すると、僕と和毅が会話をしている録音を流す。

「ごめんね、私の盗聴器、実はまだあの家にあるんだ」

 この女は殺すしかない、僕の決意は固まった。

 ポケットからバタフライナイフを取り出し、刃を剥き出しにする。しかし藤堂は表情を変えすらしなかった。僕はそのことに無性に腹が立ち、何とか彼女の表情を歪ませたいと思い口を切った。

「ひとつ言っておきますけど、僕は捕まるのが嫌なわけではありません。僕の病気も刑務所なら少しは矯正できるかもって期待もしてますし」

 へえ、と彼女は興味なそうにつぶやくと「それで?」と続きを促す。

「あなたの本当の名前は高坂美南ですよね?」


 

 *

 

 僕が疑問をぶつけると、彼女の顔から笑みが消えた。

「あなたは数ヶ月前に邸宅に忍び込んでドアの擦り傷に気づいたと言いましたよね。でも、邸宅は幸雄さんの自殺の直後にリフォームが行われ、ドアはドア枠ごと影も形もなくなっていました。それは三年も前のことです。つまり、あなたは幸雄さんの死後、リフォームが行われる前にドアを見ることの出来た人物と言うことになる。警察の捜査が続いていた以上、その条件を満たすことが出来るのはリフォーム業者か邸宅内に住んでいる人間しかあり得ない」

 藤堂は再び顔に笑みを見せたが、その表情は先ほどとは異なり不敵さが見える。これが彼女の素の笑顔なのだろう。

 彼女は僕の殺意を感じ取っているはずなのに、恐怖心を欠片も見せなかった。

「あなたと会った時のことをすべて思い返してみると、たくさんの違和感がありました」

 僕はコンビニで買ったパンを取り出す。

「公園で推理を聞かせてもらった日に、僕はあなたに新商品のパンを買っていきましたよね。あなたはとても喜んで包装をろくに見ずに口にしました。でも、重度のアレルギーを持つと言っていたあなたが、新商品の何が入っているかも分からないパンをアレルギー欄すら確認せずに口にするなんてことがあるんでしょうか」

「でもキミには実際に発疹を見せたはずだけど?」

「じゃあ、もう一度良く見せてください」

 彼女は笑みを崩さなかったが、パーカーの袖を改めてめくることも無かった。

 特殊メイクの知識さえあれば発疹の肌を再現することは出来る。まじまじと観察すれば違和感も出るだろうが女性の発疹ともなると静止するのは失礼だと感じてしまい、あの時は目を逸らしてしまった。

 考えてみれば、彼女の行動や発言は始めから不自然だった。

 僕が高坂家の邸宅周りをうろついていることを知っていたにも関わらず、彼女は高坂和毅の印象を意図的に貶めていた。彼女が本当に敏い人間であるならば僕が高坂家に好印象を持って近づいている人間でないことや記者ではないことは容易に想像ができたはずだ。

 彼女が高坂家にアレルギー症状にまつわる強い恨みを持つと信じていたからこそ彼女の言動を不自然には思わなかったが、その前提が崩された以上、別の目的を考えざるを得ない。

「殺させたかったんですよね、僕に高坂和毅を」

 簡単な話だ。彼女は初めから僕が危ない人間であることを見抜いていて、そのことを利用し和毅の殺害を企てた。

 和毅以外に被害が向かわないためのコントロールとして幸雄の事件を持ち出し、僕を納得させればいいだけの推理劇を演じたのだ。

「あなたが高坂美南であるならば、家に再度潜入しなかった理由も、異様に内部事情に詳しかった理由も、全てに合点がいきます」

 すると彼女は驚くほど盛大に笑い始める。爆笑と言う言葉が似合うその笑いに僕は呆気にとられてしまう。

 思い直し彼女に刃を向ける。彼女も僕と会う時は常に気を払っていたのかもしれないがこのベンチは人通りが少なく、監視カメラも存在しない。彼女を刺し殺して通り魔に偽装することだって出来る。

 しかし、口を開いた彼女からは意外な一言が出てきた。

「まあ、半分かな。正解は」

 彼女は少し残念そうな顔をした。

「そもそも、私が高坂美南って言うのは出来すぎでしょ。確かに彼女は一度もキミの前に姿を現さなかったのかもしれないけど、このご時世、ご令嬢ならSNSとかにいくらでも写真が載ってそうだし、私が美南を偽装するのはリスキーすぎるよ」

 彼女の口調は変わることなく、よどみなく言葉が流れる。

「私が美南かどうかは調べれば簡単に分かるとして、キミが当てたのはアレルギーの嘘と、私がキミに和毅を殺害させたってことくらいかな。あ、キミにとっては一番重要か」

 その部分が合っているのなら充分なはずだった。しかし、そうは思いながらも間違っていた部分が気になって仕方がない。

「あなたが美南と言うのは確かにご都合主義すぎたかもしれません。でも、他はどの部分が間違っていたんですか?」

「間違っていた、と言うよりは、至らなかったって感じかな」

 彼女は人差し指を立て僕に向ける。

「キミの推理の出発点はドア枠の擦り傷を私が知っていたことだった。でもその点をもっと掘り下げて、って言うかイメージしながら考えるべきだったね」

 ドア枠の擦り傷をイメージする?

ドアごと外したトリックが実際に行われたとするなら、その際に付いた傷の想像は容易いが、そこまで重要なものなのだろうか。

「私は擦り傷が蝶番の部分にあるって言ったよね。でも、それっておかしいでしょ。ドア枠の蝶番部分にある傷は、ドアが設置されている状態では見ることなんて出来ないんだから」

 身体から力が抜ける。そうだ、ドア枠の蝶番部分の傷など確認できるはずがないのだ。そこには蝶番が設置されているのだから。

 擦り傷がドア枠に存在することが事実であったのなら、それを知っていた彼女はドアが外されていた時にその場に居た人間となる。彼女の正体がリフォーム業者でないとするのなら、それはつまりトリックを実行した人間……それって。

 藤堂に視線を向けると「気が付いた?」と言わんばかりに微笑む彼女と目が合う。

「そう、幸雄を殺したのは私」

 

 

 *

 

「そんなはずはない。だって、僕はしっかり和毅に確認したんだ。そうだ、音声だって持っているんでしょ、和毅自身も幸雄殺害を認めていた!」

 今にも嘔吐しそうな吐き気と眩暈に襲われる。手に持っていたナイフを無様にも落としてしまった。

 僕は父親殺しの金の亡者を殺した。間違っていたのか。間違えたのだろうか。

 ぐるぐると頭の中が回る感覚に襲われ、その場に這いつくばり胃液を吐き出してしまった。すると、僕に近づいてきた藤堂は背中を優しくさすり始める。

「間違ってないよ、幸雄殺しは和毅に依頼された。だから和毅は問いかけを否定しなかった。自分が殺したようなものだから」

 彼女は一呼吸置くと、何かを決心したように口を開く。

「私はさ、殺し屋なんだ。悪党専門の」

 徐々に僕は落ち着きを取り戻していった。ただ、彼女の放った「殺し屋」と言うワードは落ち着き始めた頭の中でさえも空回りを続ける。

 殺し屋なんて実在するのか、そんなこと真剣に考えたことも無かった。

 僕の推理は確かに至らなかったのかもしれない、だけど仮に蝶番の違和感に気づいてもやはり彼女の正体は美南と言う結論に落ち着いたはずだ。現に今も彼女の告白は事実から僕を遠ざけているようにすら感じてしまっている。本当に殺し屋なのだとしたら、初めから僕の常識では辿りつけるはずがなかった。

 いや、それよりも。

「悪党専門って、幸雄さんを殺してるじゃないですか」

「幸雄もクズだよ。企業を作り上げ成長させた手腕は凄いけど、アレルギー問題が発覚してから、彼は企業を売り全ての金を救済基金に集め、その金ごと海外に消える算段だった。その動きに気づいた和毅は知り合いのツテを辿って私に幸雄の殺害を依頼してきたってワケ」

 拳銃を手に出来るほど闇社会との繋がりがあった和毅なら、殺し屋と言う存在に辿り着くことができたのかもしれない。いや、あるいはそもそも幸雄の段階で闇社会との繋がりはあったのだろうか。

「殺し屋って存在がまだ正直ちゃんと飲み込めてないですが、それなら何で依頼人であるはずの和毅を僕に殺させたんですか」

「幸雄の海外逃亡が私の調査でもはっきりと分かったから完全に油断していた。まさか和毅が親の金を食い潰す目的で父親を殺害させる人間だとは思わなかったし、あろうことか私のことも脅迫してきた。殺すことはすぐに決めたけど、和毅は私の存在を知っているから下準備のために邸宅の中に入ることも出来ないし、頭を悩ませていたところに」

 彼女は僕を指さし「キミが来た」と笑う。

「近所の電気屋で働いていることは尾行すればすぐに分かった。キミを上手く使って調査でも出来ればって最初は思っていたんだけど、そもそも電気屋の青年が要もないのに高坂家の邸宅周りをウロウロしていることに疑問があった。それでふと思った。コイツは何かと話題になっている高坂家を使って有名になりたいだけのやつなんじゃないかってね」

 尾行はもとより人の目は限界まで気にしていたつもりだった。

 住宅街であるがゆえに、不審な人間はすぐに噂になるが、逆に毎日同じ時間に歩く人間に警戒心はほとんど抱かない。僕は近隣の電気屋で働くと言うメリットを活かし、バイト終わりに遠回りして帰っていただけだと言うのに彼女には見抜かれていたらしい。

「ひとつだけ、聞きたいことがあるんですけど」

 僕がそう聞くとベンチに座り直した彼女は優しそうな笑顔を僕に向ける。

「何で今日、僕と会うことにしたんですか」

 最初に会った時、彼女が僕を脅迫したのは僕の反応を見るためと、ちょっとした協力関係を築き上げるためのものだったのだろう。

 しかし、今日、彼女が僕に対し脅迫のような文章を送るメリットは全く無い。

 仮に僕が彼女の計画に気づいたところで、連絡手段を断たれ雲隠れされていれば彼女の本名も素性も知らず、果てには高坂美南と勘違いしている僕には何もすることはできなかったのだ。

 僕は彼女が僕を利用し高坂和毅を殺させ、脅迫を行うつもりだと思っていたからここに来た。だが、僕の予想とは大きく離れた方向に進む今日の物語の終着点はいったいどこなのか。

「キミが功名心の塊のような人間や、単なる殺人狂なら警察に突き出すつもりだったよ。私は邪魔者が消せてキミは目的が果たせる、ウィンウィンの関係になれたわけだ。あ、私がちょっと得するかな。でも、キミの幸雄殺しの犯人を追う姿勢を見て、迷いが生まれた」

 すると彼女は僕が和毅を殺害した際の音声を再生した。

「キミはさ、しっかりと和毅に幸雄殺しの犯人かを尋ね、和毅の答えを待った。間違いのないように」

 あの時、僕は和毅が殺害を認めていなかったらどうしていたのだろうか。今考えれば、幸雄を殺したのは目の前にいる彼女なのだから、そう答える可能性は充分にあった。

「今日もさ、キミは私の答えを待った。襲う気ならわざわざ前から現れる意味はないし、確認せずにはいられなかったんだよね」

 僕はただうつむくしかなかった。

 自分自身何がしたいのか、もう分からなくなっていた。

 殺人の欲望はきっと僕の中にまた出てくる。でも間違えまいと努力した今回ですら多くを間違えた。

「ねえ、私と一緒にやらない?」

 えっ、と気の抜けた声を出す。

「悪党退治だよ。もちろん世間から見れば私たちも充分に気が狂っているけど、狂っているなりに世間のためにできることがある」

 彼女は僕に向けて手を伸ばした。

 闇の道へと続く手。

 彼女の甘い言葉とは裏腹に、そこには一切の希望もなく光は見えない未来になる。

 手を取るな。そもそも僕は彼女の名前すら知らないのだ。

 でも僕は、抑えることのできない衝動に駆られ彼女の手を取ってしまう。

 肌を刺すような冬の寒さの中、彼女の手は暖かい。

「まだ、私を殺したい?」

 冗談そうに問いかける彼女に対し僕はただ「保留中です」とだけ答えた。

 僕はこの時決意した。彼女が道を逸れたのなら絶対に僕が殺してやるのだと。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

名前のない処刑人 いと @ito_shotgun

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ