第4話:殺人

 高坂家に侵入するのは他愛のないことだった。

 書斎のエアコンの修理の際に、用意していた盗聴器を脚立を使わなければ目の届かないエアコン付近に設置しておいたのだ。エアコンの動作音の問題はあるものの、書斎にドアがないからか邸宅内の音はかなりが拾える。

 高坂家のセキュリティに関する意識はかなり低いものと言えた。日中は誰かしらが家の中にいるためか基本的に玄関には鍵はかかっていないようで、開錠音なしで玄関のドアが開閉する音が邸宅内に響いている。

 僕は邸宅内の会話から高坂雅也が妻と子を連れ旅行に出かける日に狙いを定めていた。

 もともと美南はほとんど家には寄り付かないようで、盗聴器を仕掛けてから一度もその声を聞いていない。さらにこの日は清長も雅也一家がいないことで自宅へと戻っており、邸宅内には和毅一人になることが分かっていた。

 僕は高坂家の付近まで人目を避け接近し、盗聴器の拾う音に耳を澄ませた。夕方に清長が邸宅を出る際には施錠をすることが想像できたので、侵入するなら昼間しかない。

 仮に近隣住民に目撃されても問題のない電気屋の服を着て、侵入のタイミングを待ち続ける。自分で否定した外部からの侵入を行うのはやや滑稽ではあったが、背に腹は代えられない。

 意外にもその時は簡単に訪れ、清長と和毅が自室に戻ったと思わしきタイミングで玄関を静かに開けて邸宅内へと侵入することが出来た。清長の部屋が一階の左端、和毅が二階の階段横であることは把握していたため、部屋の付近を通る際は気配を消すよう努める。

 僕はドアのない書斎へと侵入し、音を立てないように気を付けながら本棚の上へと登った。

 本棚の上で横になっていれば下からは気づかれる心配はない。離れた位置からこちらを見れば違和感を覚えるであろうが和毅が本を読まないことは確認済みである。

 こうして、僕は本棚の上で時が経つのをただただ待ち続けた。

 

 *

 

 夜になり、清長が邸宅を去っていく。

 和毅が夜飯を食べるため一階へ向かった隙に本棚を降り和毅の部屋へと侵入し、大きなベッドの下に身体を滑り込ませる。

 十数分後、部屋に戻ってきた和毅は風呂へと向かっていった。

 隠れる場所を探すのに必死で部屋の観察が出来ていなかったが、この邸宅では各自の部屋がホテルのような構造になっており、トイレも風呂も部屋内にある。

 シャワーの音が聞こえ、部屋に和毅がいないことを確かめた僕はベッドの下を出てストレッチをする。

 リュックからあらかじめもやい結びにしておいたロープを取り出す。待ち望んでいた瞬間が迫り僕の興奮は最大まで高まっていた。自分でも分かるほどの鼓動の高鳴りと手の震え。絶対にミスを犯してはならないのに呼吸が荒くなっていく。

 部屋の扉にチャイルド用のロックをかける。簡単に開けられるものとはいえ逃走防止になる。

 シャワーの音が止み、次に更衣室からドライヤーの音が聞こえる。無限にも思えるこの待ち時間は、自分の人生における待ち時間の中で最も長く感じた。

 更衣室から真っ白なガウンに身を包み現れた和毅は僕の姿を捉えるなり情けない声を出し腰を抜かす。

 部屋で失禁されては偽装工作が面倒だったが、幸いにも和毅はそこまで茫然自失とはなっていなかった。

「なぜ殺した?」

 何かをわめく和毅の言葉に重ねて聞く。和毅が何を口にしようとも淡々と同じ質問を繰り返した。

「金なんか誰が持ってたって同じだろ。それなら困ってる俺が貰うべきだ、息子なんだから」

 ようやく和毅から発せられた答えに僕は満足した。

 暴力団との繋がりが本当であるならば拳銃も持っているかもしれない。非武装に持ち込むため風呂上りを狙ったが油断は出来ない。

 こちらが武器らしい武器を持っていないことに気づいたのか、和毅は周りの物を手当たり次第に投げながら立ち上がり隣室へと走り出す。クローゼットに駆け寄った和毅は急いでクローゼット内の金庫の開けようとするがその手はおぼつかなかった。

 金庫の扉を開け手を中に入れる和毅の首にロープの輪を通し、背負い投げの要領で一気に締め上げる。

 金庫の中に拳銃があったようだが、幸いにもその手に拳銃は握られてはおらず、しばらくして和毅は事切れた。

 大きなため息が出る。

 満足感よりも先に脱力感がやってきて、ひどく後悔した気持ちになった。

 僕がしたことは間違っていたのだろうか。いや、考えるまでもなく間違っている。

 意味のない自問自答に辟易する。今は後悔しているがきっと時間が経てばまたあの恐ろしい欲求が出てくるに決まっているのだ。

 次にすべき行動は全て頭に叩き込んでいた。和毅の死体を書斎に運び、天井に走る梁にロープを通し、和毅の身体を引っ張り上げる。梁の強度は気になったが、三年前に和毅が同じ偽装工作を行っているわけだから大丈夫なのだろうと言う確信があった。

 ロープの端を手早く棚の脚部分に結び付け、和毅が自殺したように見せかけるため足元に椅子を倒しておいた。

 エアコン付近から盗聴器を回収し、リュックから印刷しておいた遺書を取り出し近くの机に置く。あとは和毅の部屋を片付けるだけだ。

 金庫やクローゼット、そして荒れている部分を一通り直すと偽装工作の概ねが終わった。

 僕の痕跡を完全に消せたわけではないだろうが、自殺と判断されなかった時のことはある程度あきらめもついている。他殺と判定した際の日本の警察は世界でも屈指の有能さだ。

 どこから邸宅を出るかと言う難問は残っていた。どのような脱出経路をとってもそこの施錠は空いたままになってしまう。

 しかし、僕はこの問題にあまり真剣に取り組むことはなかった。自殺と判断されるのに際し施錠の有無はそこまで大きな問題にはならないと踏んだからだ。

 自殺と断定させるために密室トリックは用いられることが多いが、下手な小細工は逆に疑惑の種となってしまう。

 さすがに玄関から邸宅を出ることは避け、食堂の窓から外に出て通行人がいないことを入念にチェックし玄関方面から敷地を出た。

 こうして、僕の初めての殺人の夜が終わった。

 

 *

 

 翌日、和毅の死は大々的ではないもののニュースになり、そのニュースの中で「警察は自殺とみて捜査を進めている」と言う僕にとって重要な一言が話され胸をなでおろした。

 昨日の興奮が嘘みたいに去り、冷静になってくると途端に何か重大なことを見落としていたのではないかと不安が襲い来る。

 自身のミスに気づくことほど嫌なことはなかったが、次第に大きくなるその不安を無視することも出来ず、もう一度さまざまなことを思い出してみた。

 一抹の不安はやがて僕の中である結論へと結びついていった。

 その時、いくら連絡を取ろうとしても反応のなかった藤堂からメッセージで複数の画像が届いた。その画像には和毅を殺した夜に高坂家の邸宅の窓から外へと出る僕が映されていた。

「警察に持ち込まれたくなければいつもの公園に来てね」

 結論は確信に変わった。

 心の底から湧き上がってくる感情はいつもの欲求とは違う純粋な怒りだった。

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