第3話:推理
コンビニで買い物を済ませ並木道の公園へと向かう。藤堂は新作をご所望だったので新商品と宣伝されていたパンをいくつか買っていた。
公園のベンチには既に藤堂が座っていた。前に会った時と変わらない黒のパーカーに身を包んだ彼女はパンを渡すと大いに喜び、ラベルを見ることすらせずパンにかじりついた。
藤堂がパンを食べている間、僕は先日撮ったスケジュール帳の写真を眺めていた。
幸雄:十九時よりS社の佐々木氏と会食
二十一時に帰宅―追記
雅也:二十時半に来訪し自室の荷物を持ち出す(部屋の鍵を渡す)
二十三時半に帰宅(部屋の鍵を預かった)―追記
和毅:予定なし(来客あり?)
来客予定キャンセル―追記
美南:終日外泊
「何か分かった?」
藤堂がパンを食べながら僕に問いかける。既に彼女にはスケジュール帳の写真は共有済みだ。
「分かる気がしないですね。アリバイどころか幸雄が何時まで生きていたか曖昧ですし、和毅に至っては何をしていたかも分からない」
考えてみれば当然だ。清長が記載するのは日常行動以外の予定だけであり、例えば誰が何時に部屋を出たと言う情報なんかはスケジュール帳にわざわざ記載しない。
「私の知りたい情報はあったよ。これで犯人も大体分かったつもり」
「こんな情報だけで?」
「成瀬君にとって足りない情報をいくつか捕捉すると、当時雅也は家には住んでおらず妻と子の三人暮らしだった。部屋の鍵は基本的に清長さんに預けていて、用事があって家を訪ねた時だけ借りていたみたい。実家暮らしの和毅はその日予定がなく一日中家にいたんだろうね」
藤堂の情報収集能力にはいたく感動した。ここまで知ることの出来る彼女がスケジュール帳ひとつ手に入れられなかったのは甚だ疑問ではあるが。
よし、と彼女は僕を指さすと、パンを食べ終わるまでに密室を解く答えを提示するように求めてきた。
僕は押し黙って考え込んでしまった。何も思い浮かばないのではなく、思い浮かびすぎて絞り込めないのだ。情報が足りなすぎてあらゆるトリックを否定する根拠がない。それでもひとつ濃厚と思えるものがあった。
「鍵のすり替えトリックはどうでしょうか。実物の鍵を見ていないので可能かもわからないですが、マスターキーを持っている清長さんと雅也さんは鍵をやり取りしています。何かしらの方法で清長さんに鍵を誤認させることが出来れば、雅也さんは幸雄さんを殺害後にマスターキーを使って部屋の鍵を閉めて返却までを行うことが出来たはずです」
喋りながらも自分の話すトリックの穴に気づく。
「在り得たかも知れないけど、その線は薄いかな」
「そうですね。清長さんは翌日にマスターキーを使用し幸雄さんの部屋の鍵を開けています。仮にアクセサリーや札を取り換えて誤認させていたとしたら、翌日にその鍵で部屋を開けることは出来ません」
しかし、持っている情報だけで答えに辿り着くことは出来るのだろうか。現段階では全ての鍵がマスターキーだったと言う極論すらも否定することは出来ない。
藤堂を見ると既にパンを食べ終えていた。全ての鍵がマスターキーと言う解を示そうかとも思ったが、さすがに気恥ずかしさが勝り言うことが出来なかった。
「じゃあ、私の辿り着いた結論を話そう」
彼女はコホンと咳をすると語り始める。
「スケジュール帳通りに当日全員が行動したのなら、普通に考えて和毅が犯人以外ありえないでしょ」
ごもっともな意見ではある。使用人の清長が二十三時まで室外で雑事をこなしていたとすると、雅也は邸宅内を動き回る清長と和毅の見ていない隙に殺人と密室トリックを完遂したことになる。仮に清長が二十三時に部屋に戻ることが分かっていたとしても、成人男性が就寝するには早い二十三時では和毅との遭遇があり得てしまう。
「そもそも、雅也さんと和毅さんの二人が共犯と言う可能性はないでしょうか」
「ないとは言えない。ただ、雅也が救済基金に賛成の立場を取っていたと言う話しが確かなら、彼が協力をするとは思えないかな」
その話しが確かなら共犯はあり得ない。
「では、お待ちかねの密室トリックですが」
藤堂は居ずまいを直して一瞬だけ妙に礼儀正しくなった。僕はその様子がなんだかおかしく感じ思わずにやけてしまう。
「前にも言ったけどさ、私は一度あの家に侵入した時にドア枠に出来た奇妙な擦り傷を見た。それが幸雄の事件よりも前にあったかどうかが分からないのが私の説の弱いところだけど、普通の開閉ではよほどドアが歪んでいない限り、擦り傷が蝶番側につくことはないと思う」
確かに通常の開閉でドア枠に擦り傷がつくとしたら、ハンドルの回転で出入りするラッチと呼ばれる部分のはずだ。
「事件の際に蝶番付近に擦り傷が付いたとなると、どういうことになると思う?」
「蝶番ごと、ドアを入れ替えた?」
その通り、とほほ笑むと藤堂は見てわかるほどに上機嫌になる。
和毅は雅也の帰宅後、幸雄の部屋を訪ね殺害し首を吊る偽装を行った後、ドアを蝶番ごと外し自分の部屋のドアと入れ替えた。あの邸宅のドアは全て同系統であり恐らくは寸法も同じはずだ。
「ドアを入れ替えれば和毅は自分の持っている鍵で幸雄の部屋を施錠できた。翌日、部屋の鍵はマスターキーで開けられ室内から鍵が見つかったわけだけど、まさか警察はその鍵をわざわざ鍵穴に差し込んで確認したとも思えないし、キーホルダーか何かをすり替えるだけで問題なかっただろうね。現場検証が終わって自殺と判断されれば詳しくは調べられないし、鍵のキーホルダーをすり替えるチャンスはいくらでもあったはず」
「そういえば、清長さんが和毅さんの進言でドアを撤去したと言っていました」
「えっ、じゃあ、もうドアはないんだ」
藤堂は驚いた様子を見せる。
「はい、ドア枠ごと」
和毅の事件後の行動も証拠隠滅として捉えることが出来る以上、藤堂の論理は穴だらけではあるものの、今の自分たちが持つ情報で紡ぎ出せる説としてはこれ以上ないものに思えた。
「動機は財産、でしょうか」
それしか考えられないと藤堂はうなずく。
「動機なんて実際は本人に確認する以外にないけどね」
人の心の底など他人に理解できるはずもない。僕は僕自身がなぜ人を殺したいのかも分かっていないのだから。
「でも、犯人やトリックが分かったところでどうするんですか、状況証拠と言えるものですら僕たちにはないですよ」
ここまで分かったのなら、出来れば藤堂には手を引いて欲しかった。彼女が何を考え犯人を明らかにしたかったのかは分からないが、自分自身の恨みを晴らすために利用するであろうことは想像がつく。
その恨みは僕が晴らしてやりたいのだ。
「そうだねえ、こんな論を警察にぶつけたところで意味もないし、ネットにアップしても陰謀論って一笑されるのは目に見えてる」
諦めたように藤堂はつぶやく。
「でも、やれることはやってみるつもり。週刊誌とかならこのネタで記事を書いてくれるかもしれないし」
藤堂はそう言うとベンチから立ち上がる。僕は彼女を止める言葉を探してみたが、彼女が立ち去ろうとする方が早かった。
「ここまでつきあってくれてありがとね、成瀬くん。キミの目的が一緒だったかは分からないけど結果はきっと報告するから」
可愛いらしい笑みと手を振る動作に見惚れた僕は、彼女が去っていく姿をただ見つめることしかできなかった。
*
あれから一月が経ったが、どの週刊誌にも高坂幸雄の自殺についての記事は載らなかった。
藤堂に連絡を取りたい気持ちはあった。でも僕はもう自分自身に抑えが効かなくなっていた。
獲物も狩り場も既に分かっている。
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