第95話 NEXT

 奈美が浩一を捜して駆けていく。


「奈美」


 呼び止める声がした。振り向くと赤いウェアの妃美香が立っている。奈美は静かな目で妃美香を見ていた。


「奈美。セイントレアにもどらなくて。いえ、奈美に帰って来てほしい」

 

 そう奈美に言葉を向ける妃美香の姿は、さっきまでの女王としての威勢はかけらもなかった。そこにあるのは、奈美という少女と向き合うまた1人の少女の姿であった。


 奈美は妃美香の言葉を受けた後、緩やかでそれでいて迷いのないハッキリとした声で答える。


「私は戻る気持ちはありません」


 奈美はそのまま背を向けようとしたが、思いとどまり再び妃美香を見つめた。


「次は、私も走ります」


 奈美はそう言い残し駆けていった。


(わたくしも奈美と走ってみたい)

 

 その背中を見送る妃美香の目は、憧れの人を待ちわびる少女の瞳であった。




 

「メグー!コーチが探してたよ。大会の後、ミーティングするんだって」

 

 チームメイトが芽久美に声をかける。芽久美はアメリカンドッグを咥えたまま、手を振った。


「私もメグも今年でチーム卒業だね。ねえ、メグはどこ受験するの?やっぱり東第一かな。有紀姉さんもいるし。マウンテンバイクも有力選手多いよね」

「うーん。どこかなあ。朝見校もいいんだよね」

「そうかあ。朝見なら美樹雄兄さんがいるもんね。昨日の活躍すごかったね」


「セイントレアはどう?」


 会話に割り込んできた声に芽久美は振り向いた。


「かわいい~」


 「605」が目を輝かせてスマホを構えるとパシパシと写真を撮っていた。芽久美はアメリカンドッグを咥えたまま呆気にとられている。


「わー、メグ。セイントレアの選手だ。カッコいい。そうかあ、セイントレアもあるかあ。妃美香姉さんがいるもんね。いいよね~」


 芽久美はチームメイトの言葉に思わずプルっと身体を震わせた。その姿を「605」はスマホを構えて眺めていた。



 

 有紀が焼きそばの屋台の前に立っている。


「あっ、有紀ちゃん。さっきのレースは惜しかったね」


 大会で顔なじみのおじさんが慣れた手つきでそばを焼く。素早いコテさばきは見ていても楽しく、カツカツという小気味よい音とソースの香りが食欲を刺激した。有紀にとって、この屋台の焼きそばを食べるのが大会に出場したときの楽しみの一つであった。


「そうだ。さっき、お姉ちゃんが来てたよ。もう、高校2年生なんだねえ。てっきり走るのかと思ってたけど、有紀ちゃんを応援に来てたんだ」

「えっ!・・・・・・お姉ちゃんが」


 有紀は目を丸くして驚くと、無言のままそばを焼く様子を眺めていた。


「あれ?会わなかったのかな。ハハハ。そうそう、2人そろってそこから目だけを出して今みたいな顔で出来上がるのを眺めている姿が可愛かったなあ」

 

 そばを焼きながら、鉄板の先をコテで示して楽しそうに話す。屋台の鉄板は今の有紀にはへそ上くらいの高さだ。大会にくる度に姉と並んで背伸びしながら焼きそばが出来上がるのを眺めるのは、楽しい記憶として残っている。


「お姉ちゃん、相変わらずのべっぴんさんだね。はい、お姉ちゃんと同じで大盛りおまけ!」


 おじさんは笑いながらパックからはみ出るほどの山盛り焼きそばを有紀に手渡した。

 

 有紀はズッシリとした焼きそばを受け取ると、思わずお姉ちゃんの姿を探してあたりを見渡した。

 



 1台のマウンテンバイクが林道を駆け抜けていく。


「瀬成様!」


 インカム越しの声に瀬成が止まる。前に広がる木々の影が瀬成を包む。


「どうした?もう、限界か?」

「違います。瀬成様が飛ばし過ぎです」

 

 追いついてきたシローが横に並ぶ。


「MTBがこれほど面白いとは思わなかったからな。それより、このインカムなんとかならないか。岩場では邪魔でならない」

「なりません。ロードバイクでさえ転倒されたのです。MTBならなおさら危険です」

「それを言うか」

 

 瀬成はため息をつき、笑った。


「そうです。気をつけてください。それと、転校の手続きが整いました。いまの学園では不満なのですか」

「そうだ。今すぐにでも会いたい人がいるからね。シローは残りたいのなら、私だけでもいく」


 瀬成は木漏れ日に導かれるように再びMTBを走らせた。


「そうはいきません。一緒に付いていきます!」


 シローは慌てて追いかけていった。





 大会を終え、マウンテンバイクを積み込んだ車が走る。


 エアコンが利いた室内はシーンとしている。瞬がパックのカフェオレを吸いながら、賞状をぺらぺらと眺めていた。美樹雄と瞬はクロスカントリーBに出場した。瞬は3位になり、美樹雄は5位であった。


「先生、今後の大会出場予定はありますか」


 瞬が声をかけた。


「そのことについて明日、話をしたいと思います。今日の疲れもあることでしょうから、明日は練習を休みます。その代わりにミーティングをしますので集まって下さい。まあ、今は後ろでお休み中の選手もいますから」


 浩一がチラリとミラーを確認する。美樹雄も後部座席に顔を向けた。瞬が最後部の座席から顔を出して恵を見た。


「あらら、いい気なもんだな」


 瞬が声を上げて見た先には、恵と奈美が仲良く手を繋ぎスヤスヤと寝息をたてている姿があった。





              放課後


 空き教室で浩一と恵は補習授業をしていた。


「水城さん、いいですか。この構文は、テストに出てきますのでしっかり覚えて下さい。あと、このテキストの5~10ページのどこかを和訳問題で出題します。今日はここまでです」

「はい。分かりました。あのー・・・・・・」


 恵が遠慮がちに手をあげた。


「なんでしょう。どこが試験に出るかは答えられませんよ」


 浩一はニッコリと笑っている。


「いえ、そういう事じゃないです。あのう・・・・・・次はいつ走れますか?その、大会は来年までないのでしょうか?」


 恵の詰め寄るような質問に、浩一は目を大きくして驚いた表情をした。


「入部前とは随分、顔つきが違いますね。走りたいのですか?」

「はい。今はムチャクチャ走りたい気分です。なんだか分からないのですが、あのままでは終わりたくないです」


 浩一はそれ以上は突っ込むことなく、微笑んだ。


「そうですか。実はそのことについて、今から話があります。部室にいるはずなので、他の部員を呼んできてくれますか」

「分かりました」


 恵はテキストを鞄にしまうと、美樹雄たちを呼びに部室へと向かった。


 浩一は1人になると楽しそうにクククっと笑っていた。


「本当に面白くなってきましたよ」


 そう呟き、浩一は笑顔で黒板に大きく書き出していく。 



  『 5 + 1   対抗戦 』




     (紅の表彰台   了)

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英語が苦手だからしかたなくMTBやります!でも、意外とハマるかもしれない‼ 水野 文 @ein4611

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