第94話 ラストスパート(21)
林道を触れ合うほどの距離で出てきた妃美香と恵。そのすぐ後ろから有紀が飛び出す。
妃美香を恵と有紀が挟む。
「いける!」
恵と有紀が同時に叫んだ。
ーーーーーーおーっと。これは凄い光景だ。飛び出した新川選手もトップに並んだ。ゴールまではこの直線のみ。3人がほぼ並んでいる。誰が1位になるか。やはり。神沢選手が1位かあ、それとも2人が阻止するかあーーーーーー
実況の叫ぶ中、3人が肩を並べて走る。ゴールまで150m程の直線を残すのみとなった。
「神沢!」
恵が叫ぶ。妃美香の右に並び追いすがっていく恵。そう叫ばないとたちまち置いて行かれるのではないかと思えるほど、妃美香の放つオーラは凄まじかった。対峙して初めて感じた妃美香という女王の姿。その奥に微かに見えた2人の影。1人は笑う声の人。もう1人が奈美だ。その2人が恵を導いていく。
妃美香、恵、有紀が横並びで走っていく。会場は応援の声で満たされた。
ゴールまで50m。3人が互いに肩を並べて激走するなか、妃美香がフッと笑う。
「楽しかったわ。でも、まだですわね」
「えっ!」
聞こえるはずはない妃美香の囁きが、恵の耳元に届く。それと同時に妃美香から感じていた2人の姿が光となり、弾け飛んでいった。
次の瞬間、妃美香は凄まじい加速で1台分のリードをひろげた。当然、有紀も恵も追撃しようとしたがあまりの速さに追いつくことができなかった。さらに、後方から2人を熱い紅い風が襲った。
「なっ!?」
「602」と「603」が一気に恵と有紀を抜き去ると妃美香の後ろにつき、そのままゴールに突入した。
2人は声を上げることもできず、一瞬のうちに取り残された。後方はノーマークだった。忘れていたのだ。セイントレアの5人がロードの選手であったことを。
会場は一瞬、シーンと静まると再び大きな歓声に包まれた。前代未聞の展開に実況も会場も沸き上がった。恵と有紀それに遅れてゴールした芽久美が呆然と妃美香を見つめ続けていた。
表彰式が行われる。表彰台の真ん中に妃美香が立つ。その両脇には「602」、「603」が妃美香に守るように立っている。5月の暖かくキラキラと輝く光が表彰台に降り注ぐ。赤いウェアの選手で占められた表彰台。それはまさに紅に輝く表彰台であった。
有紀、恵、芽久美は記念品と記録証を手に入賞者として紅に染まった表彰台の隣に立っていた。
「あーっ、妃美香ネエ、最後を決めちゃったね」
芽久美が口を尖らせている。
「でも、これで終わりじゃない。次回はAで走るから」
有紀が恵と芽久美に目配せをする。
恵は妃美香の方に目を向ける。それに応えるように妃美香も恵を表彰台という高みから望んだ。その顔は何かを語りかけるように、まだ満足していないという笑みを浮かべていた。
恵がテントに帰ってきた。うつむく恵に美樹雄、瞬、奈美が駆け寄る。どう声をかけようか思案する3人を前に恵は、プルプルと身体を震わせた。
「なあ、気持ちは分かる」
瞬が先に声をかけた。
「あの選手層で入賞は十分過ぎる成果です」
美樹雄が優しくそれでいて力強い言葉をかける。
「恵ちゃん・・・・・・わたし、恵ちゃんの走っている姿に感動してる・・・・・・」
奈美が言葉を詰まらせて恵の手を取る。恵は奈美の手を握ると顔を上に向けて叫んだ。
「おなかすいたあー」
三人は目が点になって固まったが、すぐにドッと笑い声を上げた。
「なんだあ。どっかで聞いたことのある台詞だな」
「あれだけ走ればエネルギーの消耗も激しいでしょう」
瞬が冷えたタオルを取り出して恵の頭に乗せると、美樹雄はドリンクを手渡した。
「恵ちゃん、これ楽しみにしてたもんね」
奈美はクーラーボックスからラップに包まれたおにぎりを取り出すと、恵に差し出した。その顔は戦いを終え帰還してきた騎士を迎える姫のように優しく、包み込む安らぎを与えた。
恵は両手におにぎりを持ち幸せそうに頬張っていた。
「あーっ、恵、それ俺が楽しみにしている炊き込みご飯じゃないか。全部食べるなよ」
「じゃあ、瞬も食べればいいんじゃない?」
「言われなくても食うよ。全部食われたら今日の楽しみがねえじゃん」
瞬が慌ててクーラーボックスを漁る。
「じゃあ、少し早いけどお昼にしませんか。なんだか僕もお腹が空きました」
「じゃあ私、先生呼んできます」
美樹雄の提案に奈美も駆け足でテントを出て行った。
テントの中を初夏を運ぶ風が駆け抜けていった。
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