09#プロローグ

 真っ赤なとうの最上階で、季節外れの桜がいていた。

 黄金の花びらを散らして、あわく光るじゅつじんめている。

 あまりにもれいで、こんなにも絶望を教えるものがあるだろうか。

 

 イノリはゆかひざをつく。息が整わないまま、黄金の桜を見上げる。

 幹は太く、枝がびた様子はまるでりゅうの化石のようだった。

 いつの間にか手からじょぼうが消えていた。かばんも同様。けれどそんなことはどうでもよかった。

 

「……クロ」

 

 名前を呼んでも、返事はない。木の皮につぶされた衣服は、古ぼけた服のれ。

 外のけんそうは聞こえない。地上とのきょはなれすぎていて、なにが起きているかも不明だ。

 今のイノリにわかるのは――自分の力では家族を助けられない事実だけ。

 

「……っ、ぁ……」

 

 地上に、その泣き声は届かない。

 一人の少年が腹のおくそこから声を張り上げても、じょうきょうは変わらない。

 桜の花びらはまるで竜のうろこのようで、生命力を吸い上げられているように少しずつしおれ始めていた。

 

 

 

 エスカレーター付近でたおれているゴンゾーを見下ろし、おこる気にもなれないジェーンはいきく。

 母親が出ていった原因の大半は父親だが、その一部として「りゃくだつあつかいされるのが気に食わない」とあった。

 告白どころが気持ちをかくしていた男からのじんしっおとこまさりな母親からしてみれば、いらちで気がくるいそうだったのだろう。

 

「パパの親友だからのがしてあげる」

 

 裏切ったことに関しては、今までお世話になったという理由で不問。

 なんだかんだでゴンゾーはやさしかった。ジェーンのわがままにも付き合い、まるで叔父おじのような距離感だった。

 少しかわいたどろまないように、男の体をえて最上階へ。

 

 背後から忠実についてくる鋼鉄の大型犬は、背中にぼろぼろになった鞄と魔女帽子を乗せている。

 片方はこうかん条件として利用するために拾い、もう片方は大事にかかえていたのを見てしまったがゆえの気まぐれ。

 外見は小学生だが、中身は青春さかりな十七さいの少女。一日であっという間に変化した感情に、少しばかりまどう。

 

 ゴンゾーがけた結界もいつまで保つかわからない。

 だれかが最上階へ辿たどく前に、父親の夢をかなえてしまおう。

 そう考えながらも、ジェーンののうには必死なイノリの表情がかんでいた。

 

 止まったエスカレーターに、月光が届きにくいとうない部。転ばないように歩きながら、少女はもんもんなやむ。

 父親のためにここまでやってきた。その他のせいなど度外視するつもりだった。

 けれど決意がらぐ。鹿ぢからと条件付きのがんじょうさだけで、しゅうげきとっしてきた少年が頭から離れない。

 

 決められないまま、最上階へと足をれた。

 黄金の花がカーペットのようにめられており、その上に倒れている少年をもくげきする。

 うつせなかれの背中にも花びらが積もっており、姿が消えそうな勢いだ。

 

「ちょっ!? なにやって……っ!」

 

 ろうとして、不意にくつ裏がすべった。

 花びらの下にはみがかれたタイル床。それが血にれており、少し乾く前のゲル状に似たかんしょくへと変化している。

 血のあとは少年へと続いており、学ランの下に着ている白シャツも赤茶のみがにじんでいた。

 

「ば、ばかっ!」

 

 単純なとうしかせず、黄金の花びらを踏みながら少年のもとへ。

 顔は青白いが、呼吸はあった。今すぐ死ぬような状況ではないが、油断はできない出血量。

 少女の気配に気づいたイノリが、うっすらとまぶたを上げた。

 

「ジェーン?」

「待ってなさい! ジョンにはきんきゅうりょう機能が……」

 

 鋼鉄の大型犬にれようとしたが、その手を力強くにぎられる。

 体格が小さいジェーンにしてみれば、イノリの手は大きかった。しかし体温が低く、かすかなふるえも感じ取る。

 それでも痛みを覚えるあくりょくに、動きが止まってしまう。

 

「間に合わなかった」

 

 しぼされた声は、くやしさと苦しみに満ちていた。

 泣きすぎて目元は真っ赤にれており、のどから出る音もかすれている。

 

「だから」

 

 報復か。それとも正当ないかりをぶつけられるのだろうか。

 悪事をした自覚はある。だからこそ少女は、少年の言葉を待つ。

 

「ジェーンの夢を叶えなよ」

 

 あきらめた少年の言葉は、予想外の優しさと思考のほうを感じさせた。

 言葉が出てこないジェーンは、怒られなかったあんよりもせいぎょできない怒りががってくる。

 

「家族なんでしょ!!」

 

 もしも父親や母親が同じ目にったら、ジェーンは絶対に諦めない。

 どんな手を使ってももどし、必要ならば自分の手足をもぎ取るかくもある。

 れつあらわにした少女を前に、おぼろだった意識がかくせいへとうながされた。

 

「もういい! 二人の願いを同時に叶えてやるわよ!」

「は?」

「パパの夢は『認めてもらう』こと。この魔術陣が見事に発動すれば、なんとかなるはずなんだから!」

「……」

「そしてアンタの家族を助ける! 文句は!?」

 

 を言わせぬ問いかけに、イノリは苦笑いを浮かべた。

 震えるうでに力を入れて、上体を起こす。膝をつきながら桜を見上げ、絶望と美しさを内包した姿をにらみつける。

 

「ない!」

「よし! じゃあ願いなさい!」

 

 桜の花びらを手ではらけ、床にえがかれた魔術陣に向かってさんさんななびょうを左手、右手とこうに行う。

 最後にかしわを一度。空気をはじくようなつうれつな音が最上階にひびき、足元が揺れたようなさっかく

 その音を聞きながらイノリは一心不乱にいのる。大おうでも、神様でも、どんな存在でもいい。

 

 あらゆるだいしょうはらったとしても、家族クロを助ける。

 

 変化はゆるやかに、確実なものとして起こった。

 黄金の花びらがふわりとがり、たつまきまれるような形でがっていく。

 それは少しずつ勢いを増し、桜の木から花びら全てをむしる風力にまで発展した。

 

 みしみしときしむ大木に視線を送るが、風を止めることはできない。

 あまりの強風に瞼を閉じてしまう。ごうごううなる音が耳を痛めつけるが、構わずに両手を握る。

 願いを叶えてくれるなら、誰でもいい。たとえそれが――。

 

 “それは困るな”

 

 言葉なのか、音だったのか。意味はわかるのに、あくできない。

 しゃらら、とがられ合う音。ほおたたく風がとつじょとして消えて、おそるおそる瞼を上げる。

 桜の木は完全に花びらを散らしてしまい、竜の骨組みに似た枝と幹だけが残っていた。

 

 その前に『なにか』がいた。

 

 教会にあるらしいステンドグラスを割って、かけを人の形に組み立てたようないびつさ。

 硝子の欠片は常に動いており、人の形を保ちながらも安定しない。

 多種多様な種族がいるが、硝子の体をしたものなどかい。しかし眼前のはそういう『ヒト』だった。

 

 “あやうく小人が呼ばれてしまうところだったじゃないか”

 

 口がないからか。言葉は音にならず、けれど耳に意味を届けてくる。

 小人――その意味がわからない二人は、ぼうぜんながめ続ける。

 

 “初めまして。――はたいかん者”

 

 いちにんしょうだけが聞き取れなかった。ぼくや私、あらゆる単語をかき混ぜてゆがんでいた。

 しかし戴冠者という名乗りに、ジェーンは目を丸くした。イノリは「聞いたことあるような……」というあいまいな反応である。

 

 “もしくは安全装置。人を守る存在だ”

 

 義務を語る戴冠者は、くるくると動く硝子の欠片に二人を映す。

 こんわくし、問いかけるべき言葉が見つからないジェーン。それとは対照的に、前のめりで見つめてくるイノリ。

 体幹者の体から複数の欠片が離れ、イノリの周囲を眺めるようにくるくると回転する。

 

 “星の残骸レリックか。ああ、でもおくは消去済み。竜達セカイはこれだからむくわれない”

 

 それは独り言で、たいていの人にとって意味のない発言。

 けれどイノリにとっては少しちがう。記憶がない理由は知っている。けれど自分が「どこの誰か」の手がかり。

 単語の意味は理解できないものだったが、問いかければ答えが返ってくるのではないか。

 

 今にも落ちそうな意識の中、口を開きかけた時だ。

 

 “君の願いは?”

 

 欠片たちが再び体にもどり、戴冠者の一部として光をかえしている。

 そのかがやきの中には、床を埋める黄金の花びら。そして今にもれてくずれそうなきょぼく

 二たくであると、直感した。叶えられるのは片方だけ。

 

「ま、待ってよ……パパの魔術陣であなたを呼べたってことは、パパにおうかんがもらえるの!?」

 

 ジェーンのももいろひとみが、はなやかにきらめく。

 イノリにもう少しゆうがあれば、かのじょが今まで見たことないようなかんの表情を浮かべているのがわかっただろう。

 あせもしてきた少年は、二択が頭の中でけんしている最中である。

 

「そうしたら……パパは魔王になれるの?」

 “資格がない”

 

 少女の淡い期待と喜びを、戴冠者はあっさりと否定する。

 

 “王冠はさわしき頭上に。五代目魔王なんて、人の保存にぴったりだったのに”

 

 しむような、そうでないような口調。しかしジェーンはうすさむさを感じた。

 五代目魔王の悪評はらいえいごうかたがれる類だ。魔王コレクションと呼ばれる、人々の石化。

 戴冠者はそれをこうていしているくちり。いや、むしろ――すいしょうしているようだった。

 

 “――がこの場で叶えるのは一つだけ。どちらでもいい。願いは? ”

「どうせなら二人の願いを叶えなさいよ!!」

 

 魔術陣を作るための構想、制作、かかった費用。その他もろもろの規模を正確に把握しているジェーンは、とうとうブチギレた。

 相手がどんなにすごい相手だとしても、きんちょうまんの限界である。

 彼女自身、父親のために必死だったのだ。少しくらいほうしゅうがあってもいいだろうと、大声でうったえる。

 

「アタシ達の願いくらい簡単でしょ!?」

 “いいや。難しい”

 

 それは予想外になおな一言で、だからこそ意外だった。

 戴冠者は歴史の中に必ず出てくる。公式に王として認められ、首都をあたえられる前提条件にその存在はいた。

 おとぎ話のほう使つかいの如く、ばんのうな力を持っているとジェーンはこのしゅんかんまでとらえていた。

 

 “この借りた体の機能的に、難しい”

「は? わけわからない……」

 “だから叶えるのは一つだけ。そのために必要な代償をもらう”

 

 欠片の一つが空中を横切り、ジェーンの目の前で赤い面を見せる。

 

 “君の願いの代償は感情。誰かを好きになる心”

 

 それはジェーンにとってきょうの一言だった。父親が大好きでがんってきたのに、父親のためにそれを失う。

 努力の根底、原因がうばわれてしまう。あまりにも無情で、しかし代償として申し分のない内容。

 欠片が横にスライド移動し、今にも倒れそうな少年の前で停止する。彼に見せるのは黄色の面。

 

 “君は記憶。願いの対象全てを忘れる”

 

 両手と膝で体を支えるイノリは、ぼやけた視界に欠片を映す。

 きらきらと輝く硝子の欠片は星のようで、手を伸ばしても届くかわからない。

 戴冠者が告げた内容は、頭にしっかり残っている。その内容も、理解するのに苦心はしなかった。

 

 “願いを叶えないなら、――は去る”

「ら、ラグーンのりょくを全て使ったのよ!? なんで代償が必要なの!?」

 “それはただの呼び水。通行料。往復きっ

 

 様々な例え方をされて、ジェーンはどうにかとっこうがないかと考える。

 しかし良案が浮かばないまま、硝子の欠片が二人から遠ざかろうと浮かぶ。

 

 “チャンスはあげた。のがしたのは、っ?”

 

 それは初めて浮かべた困惑の色。ほんのわずかな疑問。

 触れればが切れるようなするどい硝子の欠片を、少年はつかっていた。

 星に手を伸ばして、逃さないように。手の平を傷つけ、血まみれにしながら。

 

 イノリはいろあざやかな硝子に自分の願いを告げる。

 

「クロを助けて」

 

 元から記憶はない。五年間の記憶も、つい先ほどまで奪われていた。

 それでもだいじょうだった。記憶そうしつの間も、クロートといつものように話すことができた。

 もう一度、記憶がだっしゅされても平気。そんなものより、家族の方が大事。

 

 むなもとに引き寄せて、強く願う。

 忘れるよりも、失うことの方がこわい。

 だから五年間の記憶を全てささげる覚悟で告げる。

 

おれゆいいつの家族を奪わないで」

 

 祈りがめられた言葉に、硝子の欠片が反応する。

 まばゆせんこうが手の平からあふし、少年の瞳から色を奪っていく。

 あらゆる色に記憶が宿り、クロート・ジェコに関する記憶全てが消失。

 

 瞳に残ったのは緑色だけ。

 どうこうの色が変化したことに気づかず、床に倒れていく最中で少年は意味だけが頭に響く感覚を味わう。

 

 “小人が叶えられなかった願いを、君は実現した”

 “がたおろかさを――はかんげいしよう”

 “人はそうあるべきだ”

 

 

 

 その後のてんまつは、激動ではあったが簡単なものだ。

 えっきょう軍部が大勢の暴徒をしずめたこと、主犯格であるジェーンの父親たいをきっかけにむすめも投降。警察関係者もばくされたとニュースに流れた。

 そしてラグーンの生き残りは保護され、塔都から遠く離れたせつへ輸送されるための準備が始まった。越境軍部はいそがしさで目が回る勢いだ。

 

 そしてヒイロ研究所のはいぶつとして、イノリも越境軍部に回収された。

 赤い塔の最上階にあった魔術陣はあとかたもなく消去され、塔都は日常を取り戻していく。

 

 ただ一人、記憶を奪取された少年はぼんやりと空を見上げていた。

 越境軍部の人間に事情ちょうしゅされている間、ずっと同じ言葉をかえしていたのでつかれている。

 しかし相手もなんとも言えない表情で、再度問いかける。

 

「それは本当か?」

「だから」

 

 シドウ・イノリ。十五歳の高校一年生。

 緑色の瞳をしているが、容姿はへいぼん。ヒューマンタイプはスタンダード。

 ぞうされた経歴に目立ったものは存在せず、日常から外れつつある彼は覚えのある言葉を吐く。

 

「記憶がないんだって!」

 

 三度目の記憶喪失。

 それはプロローグの終わり。

 ようやく運命が動き出したことも気づかず、少年は頭を抱える。

 

「入学して一げつもしない内に退学手続きなんて、いやだぁああああああ!!」

 

 

 

 硝子歴二千二十年。小人が消えて、人が歴史を重ねた年数。

 大半の人はその事実を知らないけれど、誰かは覚えている真実。

 

 小人が、怒れる星の竜に願ったこと。

 

 ――彼女を助けて。奪わないで。

 

 叶えられなかった。だから小人は六つの硝子びんに祈りを込める。

 

 ――愛は彼女にあげたから、君達には希望を。

 ――星の寿じゅみょうを『君達がぜつめつするまで』に設定しておいたから。

 ――君達が全て消えたら、星も終わる。だから安心してね。

 

 祝福はのろいとなって星をむしばみ、今もしばりつけている。

 魔王にして神様。小人は最後まで『人』のためにくした。

 その終末をかいする役目として呼ばれた安全装置は、独り言をぼやく。

 

 “愛で星をこわしかけた存在が、希望で星の絶望を生み出す”

 “あれも『人』なのだから、本当に竜達セカイは報われない”

 

 だから生まれた戴冠者ヴィトライユ。王が人々を守り続けるように。

 それは資格ある者に硝子の王冠をわたす。方法は問わずに、求める。

 人々の存続。星の延命。どんな手段を使っても、生き残らせるために。

 

 “あの愚かな少年にも、いつか渡す日がくるかもしれない”

 

 緑の瞳に似合うような、硝子の王冠を。

 歴史で初めての「王」が誕生するまで、あと……。

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だからヴィトライユ 文丸くじら @kujiramaru000

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