08#真っ赤な嘘も吐けない心

 いっしゅんで展望台の外側までばされた。

 かろうじて望遠鏡が背中にぶつかったおかげで止まったが、そうでなければまどわくえていた。

 酸素も全部胸からされ、目の前がめいめつかえす。視界が赤いのは、ふんじんのせいだ。

 

「ゲホッ、やっぱりこれは酸素を使いすぎるな」

 

 火が消えた煙草たばこゆかに落とし、うすよごれたかわぐつつぶす。

 床の上にうっすらとくつあとが残る。灰色の床に積もった赤い粉塵は、あわい粉雪のようだ。

 望遠鏡に寄りかかって動かないイノリとのきょは縮めず、ゴンゾーはしょうひげが生えたあごでる。

 

「深呼吸しちまうよなぁ。自然な反応だから安心しろよ」

 

 他人事のように言葉を吐き出し、せきすらできない少年の様子をながめる。

 のどさえ、指を口内に入れている。どんなにげきしても、体内に入った粉塵はえきのせいで張りついていた。

 エスカレーターの段差にこしをかけ、ゴンゾーは割れた窓向こうの月を眺める。

 

 どんなに地上がさわがしくても、我関せずとかがやき続ける。

 それを美しいと呼ぶか、さびしそうと同情するかは――眺めている側の問題だ。

 

じゅつってのは自分のために習得するもんだ」

 

 新しい煙草を取り出し、使い古したライターで火をける。

 非常灯さえもてんめつする室内で、一つだけ確かな光は真っ赤に燃えていた。

 

「けれどおれは友が学んでいたから、という理よしちゅうはんでな」

 

 いきと同時に大量のはくえんを吐き出す。独特の苦いにおいが外へと流れていった。

 赤い粉塵だけは床に残り、指令を待つぼくのように動かない。

 靴裏でめばざらりとしたかんしょく。イノリはよだれを垂らしながら、顔を上げる。

 

 呼吸もままならない状態で、視線を各所にめぐらせる。

 最上階に向かうエスカレーターはゴンゾーがじんり、エレベーターは停止したまま。

 やげものばくふうしょうげきで商品が散乱しており、レジ内の備品も転がっている有様だ。

 

「風と土、そんで火の色記号で補助とか……まあ俺自身もよくわかってねぇんだ」

 

 独り言を続けるゴンゾーは、顎に生えた無精髭を撫でる。

 そこもざらりとした感触を指先に伝え、粉塵がぱらぱらと落ちていた。

 くたびれたコートについた粉塵を手ではらけ、だしなみを軽く整える。

 

「だから手加減できねぇんだよな。死んだら存分にうらんでく……れ?」

 

 イノリへと視線を向けたが、望遠鏡を支えにしていた体が動いている。

 息もまともにできない状態を気にかけず、ぐ売店の方へと走っていた。

 一心不乱に走る少年へとおそいかかるように、粉塵がぶわりと動き出す。

 

 かすみかいぶつのような、不定形の動きはうすいベールのかべに似ていた。

 周囲をおおわれ、もう一度爆風が発生する。がる足が、割れた窓の外側へとまれる。

 粉塵の向こう側で逆立ちのシルエットが浮かび上がる。そのまま吹き飛ばされるだろうと、ゴンゾーは冷めた目で眺める。

 

 べきっ。

 

 割れた音だが、あまり聞き慣れないひびきだった。

 こうしつの板が折れ曲がったような、体がすくむ衝撃もともなっている。

 それが断続的に続き、音に合わせて逆立ちのシルエットが前進する。

 

「……は?」

 

 息もできない状態で、爆風にあおられながらも。

 逆立ちのまま床にこぶしみ、飛ばされないようにあらがう少年。

 赤いたつまきていこうする姿に、ゴンゾーは底知れないきょうを感じた。

 

 ジェーンからはヒイロ研究所関係かもしれないとは聞いていた。

 しかしヒイロ研究所は、機密性の高い単語。いっかいの警察所属者でさえ、うわさ程度しか知らない。

 ちょうじん育成機関とか、必要悪の組織だとか、えいゆう作成せつなど。推測するのも鹿らしい内容ばかりだ。

 

 必要なのはおうコレクションのラグーンのみ。

 それが育てている少年など、障害にもならないと考えていた。

 ここまで来たのもジェーンの能力のおかげで、鹿ぢからだけがだとしかとらえていなかった。

 

 粉塵のりょくが弱まる。元々りょくは少ない方だ。

 だからこそしゅんかんてきばくはつりょくを優先し、持続的な効果など度外視していた。

 爆風に煽られても吹き飛ばない存在など、自分で勝てる相手ではないと線引きができる。

 

 ゴンゾーの顎に向かって、あせが流れ落ちていく。

 勝てないとは思わない。だが負けるかもしれないという不安はよぎる。

 別の手段へと変えようと、爆風を消したしゅんかん

 

 少年の体が床へとたおれた。ぴくりと動かず、月光に照らされている。

 左の拳は床に埋め込まれたままで、それがされる様子もない。

 あと一歩で売店へと辿たどく寸前。右手だけが散らばった商品に向かってびている。

 

「息絶えたか」

 

 爆風の中では呼吸することも存分にはできない。

 喉に張りついた粉塵が、呼吸をがいしていたことも要因だろう。

 

「……人殺しって後味悪りぃな」

 

 顔をうつむかせ、煙草の煙を大量に吸い込む。火が導火線のように、勢いよくくちびるへと近づいていく。

 少年に近づいて生死を確かめる気は起きなかった。事実としてにんしきしてしまえば、今以上にかたへと重くのしかかるだろう。

 ただでさえ親友のむすめを裏切って、独りよがりな願いをかなえようとしている。これ以上の罪悪感をかかえたくなかった。

 

 めぎょり。

 

 かんつぶれた音。鼻をしたのはガス特有のにおい。

 あわてて顔を上げれば、眼前にねじれて穴が空いた可燃性ガススプレーの缶が飛来していた。

 たガスが煙草の火に反応し、眼前で派手な火を伴ったばくはつが巻き起こる。

 

 熱さが痛みに似た感覚を呼び起こし、反射的に遠ざかろうとエスカレーターから転がってはなれる。

 てんじょう近くで爆発したせいか、頭上が燃える。火が建材を伝って走っていき、大きく広がった。

 ねんしょう感知器にまで火の手が伸び、警報音と同時にはだに痛いほどの水量が降りかかる。

 

 割れた窓からぼたぼたと水がこぼち、とうの下で争っていた声の質が変わった。

 真っ赤に染まったどろみずが降ってきたので、大量の血液だとかんちがいした者が悲鳴を上げる。

 しかし頭から下着までずぶれのゴンゾーにとって、そんなことは問題にならない。

 

 スプリンクラーの水を手の平に集め、喉の粉塵をうがいで吐き出す少年。

 赤い水がべちゃりと足元を濡らす。けれどゴンゾーをにらひとみには、るぎない力強さが宿っていた。

 

いたのか?」

 

 魔術にけたラグーンと生活していたならば、わかったのかもしれない。

 ゴンゾーが保険として残した弱点。かれが習得した魔術は「水」には弱いということ。

 ばんのうにする勇気もなくて、ものぐるいで手に入れようとするがいもなかった。

 

 彼の性格はそういうものだ。いつだって、最後の一歩でとどまって中途半端。

 れんあいも同じだった、だからうばわれた気持ちのまま、親友の外面でかくし続けている。

 

「別に。息苦しくて、気持ち悪かっただけ」

 

 ぜーはー、とせわしなく呼吸を繰り返す。まだ口の中がざらざらしている気分だ。

 つばいやな感触を舌先に集めて、もう一度吐き出す。赤いたんが出たが、血は混じっていない。

 

「なあ、アンタの願いは俺から大事な人を奪うほどなのか?」

 

 すぐには動かず、様子をうかがうように問いかける。

 相手はじゅつくずれであるが、同時に警部だったことを用心する。

 魔術よりも身近な問題が、今も体の動きをにぶらせていた。

 

「……俺はもどすんだ」

 

 役に立たなくなった煙草をて、靴裏でにじるゴンゾー。

 彼の瞳にはぞうしっ、解消できなかった感情がめられてにごっている。

 

おさなみがぽっと出のやつに奪われて、子供までこさえたんだ」

 

 なんで自分を選んでくれなかったのかとめることもできず、けっこんしきりゃくだつする型破りもあきらめた。

 幸せにと思っていたのに、他を選んだ幼馴染みは結局不幸になってしまった。

 どうしてもくやしくて、やりきれなくて。けれど関係を変えることもできずに、宙ぶらりんのまま。

 

ねんれいてきにこれが最後のチャンスなんだ。俺とあいつじゃ、寿じゅみょうちがいすぎる」

 

 種族間の寿命問題をえられる課題だ。しかし成功させるものは少ない。

 ゴンゾーは想像よりも長い人生を、受け入れられる度胸もなかった。

 

「あいつの願いを叶えて、俺を見直してもらうんだ」

 

 魔術を学ぶ時、自分のために習得するべきだと教えられた。

 しかしゴンゾーはほう体質を自覚しており、くす対象がいることでじゅうそく感を得る。

 だから目の前に提示されたチャンスさえも、だれかのために消費する。

 

「……だから?」

 

 冷ややかな声が、イノリの口から放たれた。

 自分ではわからない事情がゴンゾーを動かし、今回の事件のいったんとなった。

 

 そんなのはどうでもよかった。

 ジェーンの願いも、ゴンゾーの望みも、誰かの絶好の機会さえも。

 

「俺はクロと生活できるだけでよかった」

 

 五年間のおくは、おぼろなところも多い。

 赤子のような状態から育てられ、脳から消えたあらゆるものをんだ。

 明確なのは二年くらい前から。十三さいあたりでようやく、つうの子供に追いつけた。

 

 それでも寂しくなかったのは、いつもがおで楽しかったから。

 毎日がしんせんで、勉強は少し苦手だったけれど――クロートと過ごした日々はじゅうじつしていた。

 それがあっさりとこわされたこと。その理由がどうしてもなっとくできない。

 

「返せよ」

 

 一歩、前に出る。黒い瞳に、殺意が宿った。

 

「俺の幸せを返せ!!」

 

 したのを合図に、ゴンゾーがふところからけんじゅうを取り出した。

 黒のじゅうこうねらいを足に定め、だんがんが右太腿に埋め込まれる。ズボンに穴が開き、そこから血が飛び散った。

 熱と痛みはおくめることでし、おおまたす。

 

 左足のこうをシューズしにやぶり、右二の腕はかんつうした。距離が近くなり、左脇腹に二発の弾丸が連続でまれた。

 それでもゆるまない速度に、ゴンゾーはおびえた。痛みはあるはず。少年のゆがんだ顔が物語っている。

 同時にうらやましかった。それだけの勇気とぼう、激痛さえものともしない感情に従う姿。

 

 眼前にせまる拳がほうがんのようで、ゴンゾーは拳銃をにぎっていた手をだらりと下げた。

 彼はいつだって中途半端に諦める。最後までやりげるということを知らず、げ続けてきた。

 関係が壊れることをおそれて、していくことにもつかれていたのに。変化を受け入れることができなかった。

 

「……」

 

 だからこそ死のうと考えたことはない。

 少年の背後でうごめく赤いどろが、なみのように覆いかぶさろうとしていた。

 水は弱点だ。爆風も、粉としての役目も果たせない。しかし動かすことは容易。

 

 激情にられた少年の頭からのしかかり、床へと額をげきとつさせる。常人ならば頭が割れて、中身が出る威力。

 フロア全体を揺らし、塔全体がわずかにきしむ。水分をふくんで重みを増した泥が、スライムのように少年の体を覆っていく。

 そのまま鋼鉄のかたさへと変わっていき、通気口のない箱へと整っていく。

 

「悪いな、少年。文句なら死んだ後に聞いてやるよ」

 

 背を向けてエスカレーターを登る。そろそろ結界も破られるころい。

 誰かが最上階に辿り着く前に、親友の願いを叶える。これだけはジェーンにもゆずれない。

 

「夢が叶えば、目が覚めるだろうしな」

 

 好きではない魔術を学んだのも、感情を隠して結婚式を祝ったのも。

 全ては幼馴染みのため。かけがえのない親友でジェーンの父親――ジョニィに尽くした結果。

 夢見がちな男が大好きで、どこかのどろぼうねこに奪われたことをきっかけに警察へと転職した。

 

 こんした後にたよってきてくれたのはうれしかったが、それでも感情に気づいてくれない鈍さ。

 それさえも好きなのだから仕方ない。これは治らない病気だと、ゴンゾーはとっくの昔に諦めている。

 さっさと夢を叶えて終わりにしよう。運がよければラグーンも生きているだろう、と楽観的に考える。

 

 ぱらっ。

 

 つちくれくずれる音。もしくはひび割れて、粉々になりかけている。

 ゆっくりとかえる。赤黒い泥がじょじょに壊れて、持ち上がっていた。

 額から血を流す少年の視線とかち合い、ぎょうてんのあまりしりもちをつく。

 

 トンを超える重さのはず。しかもフロアが揺れる衝撃は、肉体だけではなく脳にもダメージが届く。

 親友が夢を叶えたらさいこんしようとたくらんでいるのに、ここで立ち止まるわけにはいかない。

 しかし足がふるえて立ち上がれない。口元は引きつり、手からは拳銃がすべちた。

 

「夢を叶えるなら」

「ひっ!?」

「自分の命をけてやれ!!」

 

 投げられたかたまりの重みは百キロ近い。ゴンゾーは魔術師くずれの警部で、ただのスタンダードだ。

 潰れて死ぬことがわかり、魔術であやつることも忘れて気絶。エスカレーターの段差をまくら代わりにこんとう

 きょだいかげが彼の体をおおかくした瞬間、投げられた勢いにえきれなかった土塊が空中で分解する。

 

 手の平大の塊がぼとぼと落ちるが、ゴンゾーに当たったのは腹にちょくげきした一個だけ。

 それも中身がほぼかわいており、粉塵のように軽くなっていた。ただし意識のないゴンゾーは知る由もない。

 拳を握りしめたイノリがエスカレーターに近づき、倒れている男を見下ろす。

 

「……」

 

 口からあわいており、今ならばなぐり放題だ。

 外のけんそうも少しずつ迫っており、サイレンや警報が増えている。

 じゅうだんたれた場所は痛みが続いており、頭痛もかなづちたたかれたよりもひどい有様だ。

 

「命を奪うより、好きって伝える方が簡単じゃねぇか」

 

 男の体をまたいで、通り過ぎる。とどめをすつもりもなかった。

 ただ最上階を目指す。塔都に集まった者たちが、おのれの願いを叶えようとする場所。

 血がこぼれ、あしあとのように辿たどった道を教える。けれどイノリはかない。

 

「クロ……今、助けに行くから」

 

 五年前とは逆に。肉体の山頂から自分を見つけてくれたように。

 ゆいいつの家族を助けるために、少年は顔を上げて最上階へと進むのだった。

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