07#大混乱ラッシュ

 なにが起きた。

 混乱する頭はぐるぐると思考を動かしているのに、体は冷たいゆかからはなれることができない。

 せまい視界に映るのはうすよごれたズボンにかわぐつ。鼻をかすめたのは苦味がいた煙草たばこにおい。

 覚えがあった。警察署で事情ちょうしゅしていた警官の上司らしき男。それと同じ臭いと服装だ。

 

「ゴン、ゾ……アンタ……」

 

 ジェーンの声が聞こえた。舌がしびれているのか、れつあやしい。

 

「悪いな。けれどおれを信じたお前がおろかだったんだよ」

 

 あやまっているように聞こえない口調は軽く、いんが残ることもない。

 そして足が去っていく。手をばそうにも、体全体が正座した後の痺れにおそわれているような感覚。

 視界のはしで長いきんぱつの三つ編みがれた。遠ざかっていくのを、見送ることしかできない。

 

 そこから数分ったころ、イノリよりも早くジェーンが立ち上がる。

 

「ジョン、再起動! ゴンゾーを追いかけるわよ!」

 

 カタカタ、とキーボードを乱暴に打つ音がひびいた。

 そしてしょうげきが床を揺らし、幼女の気配も消えてしまう。

 残された少年は指先から少しずつ動かす。だいうでや足にも力が入るようになった。

 

 思考がうずいて、全部してしまえば真っ黒な色をしているだろう。

 しょうそう感と不安で気持ち悪く、心だけがしたくて胸をたたいている気分だ。

 上体を起こした頃、周囲は人に囲まれていた。人種は様々だが、全員が白のスーツで統一されている。

 

「貴様がラグーンの弱みだな?」

「ボス……標的はタワーにとうちゃく済みだとか」

「取り引き材料は必要だろう。手足を折って、歯でもけ」

 

 ぶっそうな会話がい、みするような視線にさらされる。

 情報がさくそうしているらしく、部下の報告にボス格の男はけんしわを深くしていた。

 街全体がさわがしくなっているのか、ネオンが光る店からも小さな悲鳴がほとばしっている。

 

 自分の体を見下ろせば、黒い学生服のせいかよごれが目立っていた。

 大半は土やほこりだが、ひだりうで付近には血の飛沫しぶきが付着している。一げつ前には新品だったのに、見るかげもない。

 入学して二週間。ここまで汚れてしまうとは、入学式の時には思っていなかった。

 

「とりあえずぞうを連れて……?」

 

 腕をげる。くやしくて、八つ当たりのように床にこぶしを当てる。

 元からベニヤ板のようなやわらかさだった。しかし少年のいちげきで、床に大きなヒビが生まれる。

 きょうがくする白スーツの男たちを無視し、イノリはもう一度床をなぐる。

 

 れきいっしょに下の階へ落下し、腕を伸ばしてくすんだ赤色のじょぼうつかむ。

 男達が悲鳴を上げ、立ち上がろうとやっになる中を走り出す。ボス格の男がじゅうを構えても、かない。

 支柱の中でもど真ん中の柱を拳で折る。まるで積み木がくずれるように、工事中のビルがほうかいし始めた。

 

 つちぼこりに背中をされて、そうぞうしい街にむ。

 見上げれば街のしょうちょうである赤いとうが、夜に合わせてライトアップされていた。

 走る速度は運動部には負ける程度。それでもつかれを感じさせずに、イノリは塔都の中心を目指す。

 

「……」

 

 おくは思い出した。街の地図や方角など、おぼろながらも掴んでいる。

 五年間住んだ街。人通りが少ない道や、簡単なみちも知っていた。

 帽子を胸にかかえる。いつもおびえたように、手で位置を直していたのを見ていた。

 

 狭い路地に積まれたびんケースをえ、ゴミ箱をたおしながら進む。

 不可解なけんいさめる警官の声が聞こえれば、それをけるように別の道へと足をれる。

 目の前を横切ったねこおどろき、アパートのかべかたをぶつけて立ち止まる。頭の頂点からあせが流れ、あごを伝ってコンクリートへ落ちていった。

 

「……っ、はぁ……ぜぇ……」

 

 息をく。どんなに吸っても、満足することができない。

 頭の中は混乱が続いていて、解決策など一つも思いつかないままだ。

 言葉にできない感情が毛玉のように胸に引っかかり、こうかいに似たものが頭を殴っている。

 

「どけ、雑魚ざこ!」

「うっせぇ! 夢をかなえるのは俺達だ!」

 

 喧嘩の声。その中に聞き覚えのある単語。

 無視して進もうと思い、アパートの裏手から走り出そうとする。

 

「ふざけんな! あのじゅつじんはパパが作ったの!」

 

 悲鳴にも似た、せっまった声。

 

「なのに裏切られて、利用されて……」

「知らねぇよ!!」

 

 あざわらう男の武器が鋼鉄の大型犬を殴ったのか、すさまじいおう音が響いた。

 続けて小さな体が転び、それをる音。けれど言葉は終わらない。

 

「ジェーンがパパの夢を叶えるの! 世間に、パパはすごいって認めてもらうんだからぁっ!!」

 

 さけびと共に幼女の頭がゴルフクラブで殴られた。金髪のツインテールが、赤で汚れていく。

 路地にたおふくしたジェーンは、ガラの悪い男に頭をまれる。鋼鉄の大型犬は、電気ショックでオーバーヒートしてよこだおしだ。

 ヤクザの三下達に見下されながらも、いもむしのようにいずって前に進もうとする。

 

あきらめろよ。夢が叶えられるのはひとにぎりだけなんだ」

「お前さんのパパは、運が悪かったのさ。またチャレンジすればいい」

「そうそう。いつか運命のがみほほむさ」

 

 悪あがきを続ける幼女に、男達は笑いながらさとす。

 それでも手を伸ばして進もうとするが、小さな手のこうを血に汚れた革靴が踏む。

 

「やめとけって。これ以上はにだ」

 

 男達の中でもリーダー格の中年が、煙草を吸いながら最終通告をわたす。

 革靴で幼女の手をにじり、のどからしぼされる悲鳴を味わう。

 

「っ、ぐぅ……マ、マと……同じこと……ないで、っづぅ」

 

 父親を信じてくれなかった母親が、家を出た日。

 その時から成長しなくなった体のまま、ジェーンは父親を支え続けた。

 苦節十年の大作を横取りされ、運が悪かったから諦めろと言われて――。

 

「いつかじゃない! 今、パパの夢を叶えなきゃいけないの!」

 

 なっとくできないと叫んだ幼女の目前で、リーダー格の中年がんだ。

 手の甲から足がいて、あっぱく感が消える。驚く男二人の頭を掴んだ手が、シンバルのように男達の顔をぶつける。

 銃を取り出そうと構えた男は腹を殴られ、体がくの字になって電柱へとぶつかる。

 

 一分もしない内に男達が倒され、立っていたのは一人の少年。

 

「……なんで?」

 

 顔をらした幼女は、不可解な気持ちを抱えて問いかける。

 助けてもらう義理すらない。むしろいい気味だと笑われてもおかしくない。

 それだけのことをした自覚がある。なのに少年はジェーンへと手を伸ばした。

 

「思い出したから。困ってる人は助けるもんだって」

 

 ぼうぜんとする幼女の手を取り、無理やり立ち上がらせる。

 

「なにそれ? 鹿じゃん」

「まあ最初は無視するつもりだったんだけど」

 

 あっさりと見捨てようとしたことを告げながら、イノリはしょうする。

 

「家族が大事な気持ちは一緒だなって」

「……」

「だから助けた。それだけ」

 

 少年の馬鹿さ加減にあきれて、幼女はとうしようと口を動かそうとした。

 けれどとうな言葉が思いつかず、何度も閉じては開いてのかえしになってしまう。

 

 家族をうばおうとしたのは、ジェーンの方が先なのわかっていないの?

 ジェーンの気持ちを勝手に重ねないで。うすわるい。

 どれだけ苦労したかも知らないで、ふざけたこと言わないでよ。

 

 その全部が口の中で消えてしまって、目元が熱くなっていく。

 理解されないどころが、聞いてすらもらえなかったこと。

 夢を追っているのだから、好き勝手遊んで楽しいだろうと馬鹿にされた日々。

 

 実の家族――母親すら呆れて、離れていくような父親の夢。

 ろくでなしだとわかっていても、ジェーンにとってはゆいいつの『パパ』には変わりない。

 そんな父親なんて捨てろと言われても、かたくなに否定しては罵倒で身を守ってきたのは……。

 

「じゃあ俺はクロを助けにいくから」

 

 幼女の手をあっさりと離し、そのまま走り出そうとする少年。

 しかし背後から学ランのすそを強く掴まれてしまい、背中がのけ反る形で止まる。

 

「待ちなさい、馬鹿雑魚! アンタの走行速度じゃおそすぎる!」

「でも車は……」

 

 街の混乱のせいで、道路ではじゅうたいけんえつが行われている。

 バスや電車を使ったとしても、おおはばおくれるようなじょうきょうを様々な場所で見かけた。

 

「ジョンを再起動させるから! その背に乗れば速いわよ!」

「……なんで?」

 

 魔女帽子をにぎりしめたイノリが、不思議そうに問いかける。

 幼女の耳が赤くなっていることも気づかず、不信感からじゃっかんきょを取るくらいだ。

 

かんちがいすんじゃないわよ、雑魚! ジェーンの用心棒として利用するだけ!」

「えー……それだったら俺は先に走って……」

「あー、もう! 目的地に辿たどくまでの協力関係! いいわね!?」

「まあ別に、断る理由はないけど」

 

 よくわからない展開にイノリがまどうが、その間に鋼鉄の大型犬が動き出す。

 どうたいの腹部パネルから指示をんだおかげか、少年になつくように頭を下げる。

 くさりむちしっでぶん回された記憶のせいで少しためったが、背に腹は代えられないと背中に乗る。

 

 自転車くらいの大きさである鋼鉄の大型犬は、すわる部分が小さなベンチ並みのゆうがあった。

 少年が乗ったことをかくにんし、幼女がかれの腕の中に収まるように移動する。

 動物型遊具を二人乗りしているような構図。しゅうしんきかけたイノリに構わず、を動かした大型犬はビルの壁を走る。

 

「うわっ!?」

「ジェーンに掴まって! そうすれば落ちないから」

 

 ちゃっかりと耳型の握り手を掴んでいる幼女。ますます動物型遊具のように見えたが、文句は言っていられなかった。

 眼下に広がる街を見下ろす構図に、不安定なちょうやく。落ちることに怯えたイノリは、ジェーンの体を抱きしめる。

 

「びゃっあ!? ちょ、いたたたた!?」

 

 顔を赤らめたのもつかで、抱きしめる力の強さに悲鳴を上げる。

 うらけんで少年の顔面を殴る。しかし少年の肉体的こうげきに対するかたさと、靴で踏まれた手の甲を使ったせいで、ジェーンがなみだになる。

 

「せめてこしを掴んで! 腕を回す位置がいやらしいんだよ、雑魚!」

「お色気とか言って平たい胸を押しつけたくせに今さらじゃねぇ!?」

「忘れろぉおおおお! 後で覚えてろよ、ざぁあああこ!」

「どっちなんだよ……」

 

 赤面したりったりといそがしい幼女だが、かのじょのおかげで確かに車よりも早くトートタワーへ近づいていた。

 へそを曲げられて落とされたらかなわないイノリは、大人しく腹の横を掴む。

 

「あ、んっ……」

「どうした?」

「別にっ! わきばらとか弱くないし!!」

 

 風でツインテールが顔に当たるイノリがたずねるも、幼女は大声で強くす。

 右手でばたばたと動く魔女帽子を握りしめる少年は、次第大きくなっていく赤い塔を見上げる。

 夕方にはかみなりを落とされた場所だが、今はそれ以上の混乱でくるっていた。

 

「最上階に魔術陣がある。でもその起動方法を知っているのは、ジェーンとゴンゾーだけ」

「え? だれでも叶えられるんじゃ……」

「ネットのうたもんはね。でもパパはいざという時にむすめと親友に、って」

 

 塔の周囲は道路や広場が増え、ビルが減っていく。

 ビルの屋上や壁をけていた鋼鉄の大型犬も、地上の道路へと少しずつ高度を落としていった。

 そしてひとくせも二くせもありそうな人々が、魔術や武器を使ってのだいらんとうひろげていた。

 

「んだ、ごらぁっ!?」

「てめーもごうよくろうか!?」

 

 顔面まみれの男がコインを握る。銅貨にえがかれた貴婦人から、ほのおが吐き出される。

 りゅうぶきのようにせまる熱波に対して、ジェーンは片手を前に伸ばすだけ。

 熱も現象も、しゅんかんてきに消える。彼女の能力【無効化】が発動したのだと、少年は実感した。

 

「んがぁっ!?」

 

 どうようして手の中にある銅貨を見やる男だが、その顔面を鋼鉄の大型犬が踏む。

 人々の頭をえた矢先、腰をひとめぐりする光輪をかがやかせる大女が飛びかかってきた。

 

あまいよ!」

 

 きょだいおおつちが頭上から迫る。視界をおおう圧力に対し、少年が拳を伸ばした。

 足場のない空中に跳躍した大女は、かえってきた衝撃で頭と足の天地がひっくり返る。

 そのまま体がくるくると回転し、アスファルトの地面に頭から落ちてしまった。

 

「やるじゃん、雑魚のくせに」

「その口の悪さ直せよ」

 

 魔術に対してはジェーンが、物理的な攻撃にはイノリが。

 鋼鉄の大型犬に乗った二人はそれぞれの得意分野で敵をはらい、鋼鉄の大型犬が塔の根元へと辿り着く。

 足を止めぬままに、きょうじんな四肢は赤い骨組みへとがる。

 

 がけを登っていくように、鋼鉄の大型犬は塔の頂上を目指す。

 がら張りの階が視界に入れば、そこでも激しいせんとうが起きていた。

 外側からめる機転に感心しながらも、頭にみょうな不快感がのしかかる。

 

「ゴンゾーのやつ、魔術しょうへき張ってやがる」

「無効化したら、他の奴らもむんじゃないか?」

 

 地上は夜という理由だけでなく、多種多様の人が集まったせいで黒くうごめいていた。

 それはありものに群がっているようにも見えて、甘いみつを求めてそくに移動しそうだ。

 

「ジェーン達だけを無効化すればいいのよ。能力はイメージ次第なんだから」

 

 少年ののうに浮かぶのは、クロートに教えてもらった簡単な説明だ。

 能力開発は、脳をげきして魔術とはちがう力を発揮させるということ。そして力をコントロールするのも脳であり、本人の想像力が重要だと。

 効果はんも、かいしゃくの仕方も。全てが個人次第。ばんのうではないが、科学的なちょうじょうだと言っていた。

 

 思い出していた矢先、体があわまくを通過したようなかんしょくがあった。

 柔らかい反発が体全体を覆ったが、すぐに消えてしまう。うすく伸ばしたガムを指でくのにも似ていた。

 そして赤い塔の最上部近くまで辿り着いたしゅんかん、横ぎのばくふうに襲われる。

 

 煙も熱もなかった。ただ体をながそうとする暴風に、あらがうこともできない。

 体が宙に浮き、手がジェーンの腰からも離れていく。無防備なゆうに、頭の中が真っ白になった。

 

「ジョン!」

 

 幼女の声に忠実な大型犬は、トラバサミのような口で学ランの裾をむ。

 首が千切れる勢いで頭をまわし、少年の体を赤い塔へと投げ飛ばす。耳型の握り手を掴んでいたジェーンが笑った。

 

「こんな高さ、雑魚じゃ死んじゃうもんね。本当……ざぁこ」

 

 幼女と大型犬が吹き飛ばされるのをにんしきできたのも束の間で、背中が硝子をやぶって床へと転がる。

 手の平を支えに起き上がれば、硝子のへんく。痛みを覚えながらも、靴の裏で硝子まみれの床を踏む。

 展望台のようだった。あちこちに固定された望遠鏡が置かれ、おくには上へと続くエスカレーターがあった。

 

 騒ぎのせいでやげものの店員や観客もなんしたのだろう。誰もいない展望台は暗く。非常灯だけがぼんやり光っている。

 止まったエスカレーターに腰をかけている人物がいた。うすぐらやみの中で、煙草の火だけが浮いている。

 いだ覚えのある臭いに、けいかいが強まる。血が流れる手の平を握りしめ、拳に変えた。

 

「あー、自己しょうかいは必要か?」

 

 闇のおくから問いかけてくる声は、状況にそぐわない軽さだった。

 ゆらゆらと揺れる煙が室内を満たすことはないが、確実に臭いを付着させていく。

 

「えー、塔都警察署のそう第四課の警部。アイザワ・ゴンゾーです」

 

 だるそうに立ち上がり、街灯の光も届かない場所からのあいさつ

 月光や星明かりで照らされる場所をいとい、影からりちに出てこない。

 

じゅつくずれだけど、夢を叶えるためにせいいっぱいがんります……なんて、どうよ?」

 

 ためすようにねばつく笑い声を放ち、少年の出方をうかがう。

 

「クロはどこだ?」

 

 いかりをころした声に背筋がふるえる。ヤクザの三下よりは上等。

 だんから暴力団関係の事件をあつかっているせいか、そんなことがわかるようになってしまった。

 ゴンゾーは煙草を口にくわえたまま、口角をがらせる。

 

「俺を倒して進んでみろよ、学生くん」

「わかった」

 

 都の中心地、真っ赤な塔で戦いが始まる。

 その狼煙のろしと言わんばかりに、赤いふんじんが火花を散らし、ばくはつが巻き起こった。

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