06#物騒幼女

 幼女を守るように、鋼鉄の大型犬が前に出る。

 額に赤いセンサーライト、顔にはひとみや鼻はない。口はトラバサミの作りで、それ以外は銀色の体。まわしっは、くさりむち

 じゃらっ、と音を鳴らした尻尾が、勢いよくおそいかかってきた。

 

 走り出してすぐ、イノリは足を止めた。

 つまさきの数センチ先のゆかえぐられ、境界線を示す。

 一歩えたら鋼鉄の鎖鞭がもうるう。風を切る音が耳に届き、目前で尻尾が動き回っている。

 

 半径二メートルの間合い。工事中とはいえ、ビルの内部では分が悪い。

 背後から照らしてくるネオンの光はたよりなく、街灯のかがやきも幼女までは届かない。

 

「あれ? 止まるの? やっぱり雑魚ざこじゃん」

 

 あおってくるジェーンの声は楽しそうで、自らけようとしない。

 おくはない。それでもイノリの体を止めたのは、小さな予感だった。

 包帯男が投げた石つぶてで額に傷ができた。化け物のようなじゅつと戦った時はほぼ無傷。

 

 先ほどの幼女が試みた首折りも、イノリは平気だった。

 あまりにも落差がひどい。細かなちがいを探そうとした少年は、小さなうめごえを聞く。

 背後で床にかしつけているクロート。そちらへゆうはなかった。

 

 一歩、線をえた。

 目にも止まらぬ速さで鎖鞭がしなり、シャツの左袖が破けた。

 はだの表面もかすめ、うすがれた。血がにじみ、痛みに顔がゆがむ。

 

「やっぱり。無機物に対してはやわくなるのね」

 

 正解がわかった幼女は、ひだりうでさえるイノリに笑いかける。

 

「柔くなる……?」

「生物からの肉体的こうげきに対しては、ぼうぎょ反応みたいに体をかたくするでしょ?」

 

 自覚はない。けれど心当たりはあった。

 鋼鉄の大型犬は尻尾がつかまらないように、振り回し続けている。

 いつでも遠心力がふくまれたするどい攻撃がせる状態。主人である幼女を守るだ。

 

「あと意識的に硬くなることも可能。まあそれは鹿ぢからを発揮する時とかね」

 

 トラックしょうとつを思い出す。確かに大型車は生物ではない。

 けれど十六号を守るためにも、がむしゃらで止めた気がする。その後は運転席部分を引き千切った。

 無意識と意識的に、体ががんじょうになるタイミング。それを幼女はいた。

 

「つまり武器を使っての攻撃は有効。じゅつ師フィガロはいい仕事をしたわ」

「グルだったのか?」

「違うわよ。ジェーンはらいぬし。アンタの記憶からおうコレクションの弱点をつかむだけだったはずなのに、勝手に魔術師が暴走したの」

 

 熱としびれ、痛みにんできた。もう一歩そうかと考えるイノリの耳に、引きずる音が聞こえた。

 金属バットで床をりながら、ジェーンは前に出た。鋼鉄の大型犬とかたを並べる。

 

「じゃあ説明終わり。ここからはいじめてあげる」

 

 幼女が口角を上げればとがったが見える。ももいろの瞳は虫をもてあそぶ子供と同じ輝きを宿していた。

 鎖鞭の尻尾がうなりを上げ、頭上からせまってくる。床を転がってけたイノリの頭を、金属バットはのがさない。

 目の前が真っ暗になり、星や火花のような光が散る。きょうれつな痛みに、声も出なかった。

 

 よろけながらも立ち上がる前に、鎖鞭が足首にまとわりついた。

 体が引っ張られ、てんじょう近くをゆう。思考をはさひまもなく、背中が柱にぶつかった。

 くの字に折れ曲がった柱からはなれようと起き上がれば、げられた金属バットが見える。

 

「ざぁこ」

 

 心底鹿にした言葉をき、幼女はがおでバットをろす。

 めぎょぉ、という音がつぶれたことを証明した。

 

「……」

 

 うでが動かない。ただ足がふるえた。

 金属バットが丸めた新聞紙のようににぎつぶされている。

 

「人の頭はボールじゃねぇんだぞ」

 

 右手の五指、それだけでバットを幼女の手からうばって投げ捨てた。

 血が流れる左腕で足首の鎖鞭を掴み、つなきの要領で引っ張り上げる。

 軽く百キロはえる鋼鉄の大型犬が風船のようにき、天井に大きな音を立ててぶつかった。

 

 頭にほこりが落ちてくる。少年の左手には千切れた鎖鞭。

 天井に穴を開けた鋼鉄の大型犬は、落下した勢いで床にもう一つの穴を作った。

 ビル全体が軽くれる。階下からしんどうひびき、小さなしんが計測機に記録された。

 

 武器攻撃は有効。無機物であるロボットなどは、少年の天敵と言える。

 それも全ては「少年がはんげきしない」前提で成り立つ。痛みを覚えれば、それをはいじょしようとするのは当たり前だ。

 

「さて、と……」

「な、なによ!? 乱暴する気!? 変態!」

 

 身の危険を覚えたジェーンは、自分の体を守るようにりょううできしめる。

 うちまたの角度やひざの曲げ方、瞳のうるみ具合など。かんぺきな弱者のポーズだ。

 見た目は小学生中学年くらいの女の子。着ている服装がポップなデザインのシャツにフリルスカートなど、幼さを強調する。

 

として金属バットを振るってたくせに、それはきょうじゃないか?」

 

 がいしゃであるイノリには通じないが、外聞だけならばかれが不利なじょうきょう

 頭はまだぐらつき、左腕はまた少し血が流れている。何点かめたいイノリは、小さな息を吐く。

 

「これで百さい越えか……」

「はぁ!? ジェーンはまだ十七歳なんだけど!」

 

 幼女のじつねんれいが受け止めきれず、イノリは思考が停止した。

 もしもこれで頭から血が流れていたら、ひんけつたおれていたかもしれない。

 

おれより年上!? そんな外見で!?」

 

 百三十センチ程度の身長に、愛らしいきんぱつのツインテール。頭から生えた山羊やぎの角はねんれいの指標にはならない。

 服装もびをした女児小学生のもの。いろあざやかなランドセルと黄色のぼうがよく似合う背格好だ。

 

「大体なんでジェーンをババアと思ったのよ、雑魚!」

「クロートが『ぼくの魔術を破るなら』とかなんとか……」

「それはジェーンの能力が【無効化】だから……あ」

 

 両手で口元を押さえるが、飛び出た言葉はもどらない。

 しかし残念なことにイノリは記憶そうしつ。知識の欠落も酷かった。

 無言の空気が痛々しい。おたがいに次の出方をさぐりつつ、相手をにらむ。

 

「ジェーンは……夢をかなえるの」

 

 潤んだ瞳には消えない敵意。けれどしんけんな様子も伝わってきた。

 

「俺はクロートを守るよ」

 

 平行線どころが、会話のキャッチボールすら成り立っていない。

 皮膚がひりつくきんちょう感が二人の間に発生し、お互いに一歩も引く気がなかった。

 ジェーンは体を抱いていたみぎうでを少しずつ動かし、スカートのポケットに手を入れる。

 

 ポケットから取り出したものをイノリの眼前へと投げれば、ほぼ反射条件のようにされるこぶし

 八重歯をのぞかせながら、幼女は笑う。がらが割れて、色鮮やかなピンポン球がくだる。

 降ってくるステンドグラスのへん。それら全てがイノリの体にれた。

 

 

 

 ――真っ暗な夜。月や星が見えない、しっこくの空。

 息をしていた。呼吸をかえし、それが止まるのを待つだけ。

 山の上であおけになって、空を瞳に映していた。

 

 雪が降りそうなほど寒い日。肺をふくらませては、しぼませていた。

 朝にはからすが飛んできて、くちばしで体をむさぼる場所。げようという意思も、知識もない。

 泣かないあかぼう。頭の中は空っぽで、体だけが機能に従っている。

 

 白いいきが薄くなり、体も生きるのをあきらめかけたころ

 山を登ってくる人がいた。気持ち悪い柔らかさに足を取られながらも、頂上に辿たどく。

 すっかり冷たくなったほおに、温かい手が触れた。ゆっくりと指を動かして、ひび割れたくちびるからる気体にほほだれか。

 

「大きな拾い物だ」

 

 そう言って山の一部になりかけていたものを背負う。くうきょな瞳が、別の光景を映す。

 遠くの空が赤に染まっていた。地上のほのおが揺らめいて、上空をしんしょくしている。

 

「僕のわがままで君を生かそう。名前は……イノリがいいな」

 

 赤い空に背を向けて、わずかに一つだけ見えるあかりへと歩き出す。

 何度もてんめつして頼りないそれを標に、迷わず進む誰かはこう告げた。

 

「君が幸せをおぼえられるように、いのりをめて」

 

 気まぐれなやさしさが、最初の記憶だった――

 

 

 

 頭が痛い。金属バットでなぐられたからではない。

 とつじょとして復活した思い出が、体中にさって頭へとがってくる。

 硝子の破片が血管をやぶって移動しているようで、あまりの痛みに床へと膝をついて倒れた。

 

 階下から戻ってきた鋼鉄の大型犬が、重さをかしてイノリの上におおかぶさる。

 その間に幼女がクロートへと歩み寄っていく。止めようにも、指先一つすら満足に動かせない。

 痛みが増えるにつれて記憶が戻ってくる。欠けた知識も比例して、脳の中に収納された。

 

 しかし激痛で体がけいれんし始める。あせで床がれ、服が体に張り付いた。

 視界が半分ほど黒いもやおおわれて、にも襲われる。血を流すよりもつらい。

 そしてせまい視野でもはっきりと、ジェーンがクロートに手をばすのが見えた。

 

「……な」

 

 記憶喪失の時には出せなかった言葉が、のどを震わす。

 

「クロに手を出すな!」

 

 ものいしのようにっていた鋼鉄の大型犬が、小さな硝子玉のみずでっぽうばされた。

 硝子玉が転がってきた先は、ジェーンやイノリの背中側。起き上がった少年は、勢いよく振り向く。

 

「いつもの呼び方に戻って、僕も安心したよ」

 

 学ランを肩に羽織ったクロートが、不敵なみを浮かべていた。

 右腕から伸びた根は頬まで届いているせいか、背中を柱に預けている。

 

「は? いつの間に……」

 

 目の前で寝ているクロートに触れれば、ゆうれいのように消えてしまう。

 残されたのは硝子玉一つ。魔術でだまされたことに、ジェーンは舌打ちした。

 

「それでイノリ。能力については思い出した?」

「文字数が少ないほどやばい!」

「もう少し教えたはずなんだけど……まあいいや。かのじょの能力名とイメージが掴めたし」

 

 肩に羽織っていた学ランを投げ、イノリに返す。

 左腕の血が止まり、頭の痛みも消えた少年は上着を改めて着た。

 

「触れた魔術を消す程度。イメージが足りてないから、ムラもあるみたいだね」

「だから? げんえい魔術で騙したくらいで調子に乗ってんじゃねぇよ、雑魚が!」

 

 幼女を守るため、吹き飛ばされた鋼鉄の大型犬が戻ってくる。

 どうたいにわずかなかんぼつができたせいか、動きのせいさいさは消えていた。

 

「つまり俺の馬鹿力が一番有効ってことだな!」

「まあね。最初に彼女の膝をくだけたし、そんなロボット連れてる時点で弱みをバラしてるしね」

「うっさい! ジョンはゆうしゅうだけど、デリケートなのよ!」

 

 あっさりと弱点を看過したクロートだが、立ち上がる様子はない。

 右腕には力が入っておらず、呼吸音が大きい。顔色も血の気がなくなっていた。

 

「……イノリの記憶が戻ったならば、僕は君に従ってもいい」

「クロ!?」

「でも一つだけ。僕はイノリとの生活を続けたい……それは、叶うのかな?」

 

 声に張りがなく、呼吸音があらいせいで聞き取るのも難しかった。

 それでもジェーンの耳にはしっかり届いたらしく、しんみょうな声で答える。

 

「殺すつもりはないけど、願いを叶えるためにはりょくが必要なの」

「ラグーンの魔力はぼうだいだけど、かつすれば死ぬかもしれない」

「加減とか、ジェーンには無理。だって『他人の魔術式』を利用するだけだし」

 

 幼女が鋼鉄の大型犬の頭をでれば、額の赤いサーチライトから光が放たれる。

 映像が空中に浮かび、一枚の写真を映画のスクリーンのように広げる。

 ジェーンとイノリの間を区切るように、青い映像のかべができた。

 

「トートタワーの最上階に設置された魔術じん。ここにラグーンを一人連れて行くことで、夢が叶う――それがネットに流れたのが一週間前」

 

 青い映像には確かに夜景を背後に、大きな床に広がる不気味な図形がえがかれていた。

 丸をいくにも重ね、まるで天体図に文字と模様をすきなく記入したような複雑さ。

 

「この最上階の持ち主である魔術師が人をやとって、ラグーンを捕まえようとしたのが二週間前」

「……ああ、なるほど。裏切られたのか」

「どういうこと?」

「ラグーンは歴史上で消えたあつかいだ。一生に一人でも会えれば幸運な方で、捕まえろとか宝くじで特等当てるよりも困難さ」

 

 ラグーンのクロートに拾われた人生経験である少年は、いまいちそのすごさがわからない。

 記憶が戻ってもあまり性格などに変化が現れなかったことに、イノリ自身が一番あんしていた。

 

「魔術陣が完成してるなら、しきは乗っ取れるし」

「そういうこと。でもこんな話に乗っかるのは、ヤバいやつらばかり。当然つぶいをしたわ」

「……僕の位置情報はいつ掴んだ?」

「昨日の夜。まさか同じ都に住んでるなんて皮肉ね」

 

 いまいましそうに笑うジェーンは、クロートの額を見つめる。

 黄金に輝くうろこしきれないラグーンのとくちょうまえがみの間からネオンの光をかえしていた。

 

「今日の潰し合いが一番ヤバかったわよ。でもジェーンは他をいた」

「そこまでして叶えたい夢ってなんだよ?」

 

 少しずつクロートの方へと後退するイノリは、しんちょうに問いかけた。

 ぜんぼうはいまだあくできないが、幼女が諦める気はないと感じる。その一方で、話が通じると思った。

 境目がわからない。どこかで一歩ちがえれば、また流血込みの戦いにとつにゅうしかねない。

 

「パパ」

 

 鋼鉄の大型犬にいながら、幼女ははっきりと答える。

 

「ジェーンのパパが作った魔術陣で、パパの夢を叶えるの」

 

 その言葉を告げた時は十七歳の少女でも、あっのような笑みを浮かべるしゅうげきしゃでもなかった。

 外見相応のな願い。子供が親にめられたいとがんるような、切実なもの。

 

「……は?」

 

 しかし家族のがいねんがぶっこわれている少年には、あまり通じない話だった。

 

「そんなことのためにクロを捕まえようと、俺の記憶を奪ったのかよ!?」

「ジェーンにとっては一番大事! アンタの物差しで否定すんな、雑魚!」

「身勝手すぎる! なぁ、クロ……」

「僕は別にいいけど」

「え!?」

 

 予想外の返答におどろくが、クロートのしょうすい具合に背筋が冷える。

 まぶたを上げているのもつらいらしく、しょうてんの合わない瞳を瞼が半分かくしていた。

 流れるあせおおつぶで、指先はかんを感じて震えていた。服の下では、根が体の半分を覆っている。

 

「イノリが無事なら、もう……いいや」

 

 諦めた声だった。逃げられないとさとって、全てを放り出すような。

 魔王コレクションゆいいつのラグーン。そのかたきは重く、いつものしかかっていた。

 それが忘れられたのは五年間の育児生活。毎日がハプニングで、しんせんな体験。

 

 長い時間を生きてきた中で、久しぶりに心の底から楽しかった。

 そうとうのように思い出がよみがえるのは、もう目の前が暗くなっているから。

 

だ」

 

 声を出す気力も消えかけているクロートの耳に、力強い声が届く。

 それをにんしきするのもおくれるほど、思考能力が落ちているのに。まくを震わせて、意識が失くすのを許さない。

 

「俺はもっとクロと生きたい」

 

 返事もできないまま、顔をわずかに上げる。それすら頭が痛んで、息をするのも苦しい。

 もう瞼が三分の二以上下がって、目の前すら把握できないのに――黒い瞳と向き合っている気分だった。

 

「だから」

 

 声がれた。

 続けて倒れる音が三つ響く。一つは大型の機械が落ちたようで、ビル全体を小さく震わした。

 誰かにげられて、運ばれていく感覚。それを掴むのでせいいっぱいで、なにが起きているかわからない。

 

 煙草たばこにおいを最後に、クロートは意識を失った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る