06#物騒幼女
幼女を守るように、鋼鉄の大型犬が前に出る。
額に赤いセンサーライト、顔には
じゃらっ、と音を鳴らした尻尾が、勢いよく
走り出してすぐ、イノリは足を止めた。
一歩
半径二メートルの間合い。工事中とはいえ、ビルの内部では分が悪い。
背後から照らしてくるネオンの光は
「あれ? 止まるの? やっぱり
包帯男が投げた石
先ほどの幼女が試みた首折りも、イノリは平気だった。
あまりにも落差が
背後で床に
一歩、線を
目にも止まらぬ速さで鎖鞭がしなり、シャツの左袖が破けた。
「やっぱり。無機物に対しては
正解がわかった幼女は、
「柔くなる……?」
「生物からの肉体的
自覚はない。けれど心当たりはあった。
鋼鉄の大型犬は尻尾が
いつでも遠心力が
「あと意識的に硬くなることも可能。まあそれは
トラック
けれど十六号を守るためにも、がむしゃらで止めた気がする。その後は運転席部分を引き千切った。
無意識と意識的に、体が
「つまり武器を使っての攻撃は有効。
「グルだったのか?」
「違うわよ。ジェーンは
熱と
金属バットで床を
「じゃあ説明終わり。ここからは
幼女が口角を上げれば
鎖鞭の尻尾が
目の前が真っ暗になり、星や火花のような光が散る。
よろけながらも立ち上がる前に、鎖鞭が足首にまとわりついた。
体が引っ張られ、
くの字に折れ曲がった柱から
「ざぁこ」
心底
めぎょぉ、という音が
「……」
金属バットが丸めた新聞紙のように
「人の頭はボールじゃねぇんだぞ」
右手の五指、それだけでバットを幼女の手から
血が流れる左腕で足首の鎖鞭を掴み、
軽く百キロは
頭に
天井に穴を開けた鋼鉄の大型犬は、落下した勢いで床にもう一つの穴を作った。
ビル全体が軽く
武器攻撃は有効。無機物であるロボットなどは、少年の天敵と言える。
それも全ては「少年が
「さて、と……」
「な、なによ!? 乱暴する気!? 変態!」
身の危険を覚えたジェーンは、自分の体を守るように
見た目は小学生中学年くらいの女の子。着ている服装がポップなデザインのシャツにフリルスカートなど、幼さを強調する。
「
頭はまだぐらつき、左腕はまた少し血が流れている。何点か
「これで百
「はぁ!? ジェーンはまだ十七歳なんだけど!」
幼女の
もしもこれで頭から血が流れていたら、
「
百三十センチ程度の身長に、愛らしい
服装も
「大体なんでジェーンをババアと思ったのよ、雑魚!」
「クロートが『
「それはジェーンの能力が【無効化】だから……あ」
両手で口元を押さえるが、飛び出た言葉は
しかし残念なことにイノリは記憶
無言の空気が痛々しい。お
「ジェーンは……夢を
潤んだ瞳には消えない敵意。けれど
「俺はクロートを守るよ」
平行線どころが、会話のキャッチボールすら成り立っていない。
皮膚がひりつく
ジェーンは体を抱いていた
ポケットから取り出したものをイノリの眼前へと投げれば、ほぼ反射条件のように
八重歯を
降ってくるステンドグラスの
――真っ暗な夜。月や星が見えない、
息をしていた。呼吸を
山の上で
雪が降りそうなほど寒い日。肺を
朝には
泣かない
白い
山を登ってくる人がいた。気持ち悪い柔らかさに足を取られながらも、頂上に
すっかり冷たくなった
「大きな拾い物だ」
そう言って山の一部になりかけていたものを背負う。
遠くの空が赤に染まっていた。地上の
「僕のわがままで君を生かそう。名前は……イノリがいいな」
赤い空に背を向けて、わずかに一つだけ見える
何度も
「君が幸せを
気まぐれな
頭が痛い。金属バットで
硝子の破片が血管を
階下から戻ってきた鋼鉄の大型犬が、重さを
その間に幼女がクロートへと歩み寄っていく。止めようにも、指先一つすら満足に動かせない。
痛みが増えるにつれて記憶が戻ってくる。欠けた知識も比例して、脳の中に収納された。
しかし激痛で体が
視界が半分ほど黒い
そして
「……な」
記憶喪失の時には出せなかった言葉が、
「クロに手を出すな!」
硝子玉が転がってきた先は、ジェーンやイノリの背中側。起き上がった少年は、勢いよく振り向く。
「いつもの呼び方に戻って、僕も安心したよ」
学ランを肩に羽織ったクロートが、不敵な
右腕から伸びた根は頬まで届いているせいか、背中を柱に預けている。
「は? いつの間に……」
目の前で寝ているクロートに触れれば、
残されたのは硝子玉一つ。魔術で
「それでイノリ。能力については思い出した?」
「文字数が少ないほどやばい!」
「もう少し教えたはずなんだけど……まあいいや。
肩に羽織っていた学ランを投げ、イノリに返す。
左腕の血が止まり、頭の痛みも消えた少年は上着を改めて着た。
「触れた魔術を消す程度。イメージが足りてないから、ムラもあるみたいだね」
「だから?
幼女を守るため、吹き飛ばされた鋼鉄の大型犬が戻ってくる。
「つまり俺の馬鹿力が一番有効ってことだな!」
「まあね。最初に彼女の膝を
「うっさい! ジョンは
あっさりと弱点を看過したクロートだが、立ち上がる様子はない。
右腕には力が入っておらず、呼吸音が大きい。顔色も血の気がなくなっていた。
「……イノリの記憶が戻ったならば、僕は君に従ってもいい」
「クロ!?」
「でも一つだけ。僕はイノリとの生活を続けたい……それは、叶うのかな?」
声に張りがなく、呼吸音が
それでもジェーンの耳にはしっかり届いたらしく、
「殺すつもりはないけど、願いを叶えるためには
「ラグーンの魔力は
「加減とか、ジェーンには無理。だって『他人の魔術式』を利用するだけだし」
幼女が鋼鉄の大型犬の頭を
映像が空中に浮かび、一枚の写真を映画のスクリーンのように広げる。
ジェーンとイノリの間を区切るように、青い映像の
「トートタワーの最上階に設置された魔術
青い映像には確かに夜景を背後に、大きな床に広がる不気味な図形が
丸を
「この最上階の持ち主である魔術師が人を
「……ああ、なるほど。裏切られたのか」
「どういうこと?」
「ラグーンは歴史上で消えた
ラグーンのクロートに拾われた人生経験である少年は、いまいちその
記憶が戻ってもあまり性格などに変化が現れなかったことに、イノリ自身が一番
「魔術陣が完成してるなら、
「そういうこと。でもこんな話に乗っかるのは、ヤバい
「……僕の位置情報はいつ掴んだ?」
「昨日の夜。まさか同じ都に住んでるなんて皮肉ね」
黄金に輝く
「今日の潰し合いが一番ヤバかったわよ。でもジェーンは他を
「そこまでして叶えたい夢ってなんだよ?」
少しずつクロートの方へと後退するイノリは、
境目がわからない。どこかで一歩
「パパ」
鋼鉄の大型犬に
「ジェーンのパパが作った魔術陣で、パパの夢を叶えるの」
その言葉を告げた時は十七歳の少女でも、
外見相応の
「……は?」
しかし家族の
「そんなことのためにクロを捕まえようと、俺の記憶を奪ったのかよ!?」
「ジェーンにとっては一番大事! アンタの物差しで否定すんな、雑魚!」
「身勝手すぎる! なぁ、クロ……」
「僕は別にいいけど」
「え!?」
予想外の返答に
流れる
「イノリが無事なら、もう……いいや」
諦めた声だった。逃げられないと
魔王コレクション
それが忘れられたのは五年間の育児生活。毎日がハプニングで、
長い時間を生きてきた中で、久しぶりに心の底から楽しかった。
「
声を出す気力も消えかけているクロートの耳に、力強い声が届く。
それを
「俺はもっとクロと生きたい」
返事もできないまま、顔をわずかに上げる。それすら頭が痛んで、息をするのも苦しい。
もう瞼が三分の二以上下がって、目の前すら把握できないのに――黒い瞳と向き合っている気分だった。
「だから」
声が
続けて倒れる音が三つ響く。一つは大型の機械が落ちたようで、ビル全体を小さく震わした。
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