05#交渉と書いて脅迫と読む

 サイレンの音が工場群に近づいていた。

 消防車に救急車、警察車両はそれらの数倍か。

 なにか大きな事件でも起きたのか、と思いながらイノリは走っていた。

 

 せんとうも一段落ついたので、路地に沿ってクロートがいる場所へ。

 こわれた倉庫や道を目印に進んでいると、向かいから走ってくる子供。

 

「あ、クロート!」

げるよ!」

 

 喜びの再会もつかで、あっという間にえりもとつかまれて空中飛行。

 サイレンが遠ざかっていき、工場や倉庫街からもはなれた街の中間地点へ。

 夕焼けがしずみ始め、夜のやみがじわりと広がっている。けれど月はまだうすい。

 

 ネオンの看板が派手な場所は、今から始業時間と言わんばかりに客引きが始まっていた。

 焼き鳥のにおいに、こうすいのこ。様々なものが混じって、それだけでいそうだ。

 にぎやかではなやかだが、どこかうすぐらい。そんなお店が集まった中で、工事中と長く放置されたしのビルに着地する。

 

 ゆか以外は支柱の鉄筋しかなさそうな、組み立て中の建物。

 かべがないので風は堂々と入ってくるし、周囲の見通しもいい。

 支柱に寄りかかったクロートはベニヤ板のようにこころもとない床へすわんでしまう。

 

えっきょう軍部まで来てるし。これは手に負えなくなってきたな」

「それよりクロート、みぎうでだいじょうか?」

 

 いきくクロートは、左手だけでじょぼうの位置を直している。

 頭から流れた血は赤茶色になってかわき、ぱりぱりとがれ始めていた。

 だが右うでだけは力が入らない状態でれており、表情は苦しそうなものだった。

 

「折れたからね。まあじゅつである程度は回復早められるけど」

「じゃあ魔術を」

「いいや。まずは君だ」

 

 はくいろひとみがイノリをとらえる。縦長のどうこうへびのようで、いかりにふるえている。

 にらまれたかえる状態の少年は、思わず背筋を正してしまう。

 

は!? 一体どんなちゃをしたらえんとつが折れるのさ!?」

「え、えーと……色々?」

「まずは横にすわって、怪我のかくにん! こっち来て」

 

 左手で自分のとなりがいとうする床をたたく。宙にくビー玉の内部には、白いあわが浮かんでは消えている。

 おとなしく従ったイノリは、頭上に移動したビー玉から射出された光におどろく。

 小さなスポットライトに当たった気分で、注目されているようなきんちょう感だ。

 

りょくの消費的にあおあざ、打ち身、痛み……ちょっと派手に転んだ程度なんだけど」

「ああ、そう! あごひざりをくらった時は、めっちゃ痛かったな!」

「……君ねぇ」

 

 のうしんとうを起こしても不思議ではないが、本人が元気そうに動いているので追求はあきらめた。

 なによりイノリの治癒に使う魔力が、予想以上に減らない。じゅつフィガロのへんぼうを知らないクロートは、フィガロはにくだんせんに弱かったかと思うことにした。

 実際は五メートル強の筋肉お化けになったのだが、イノリはそれを語らない。

 

「なあ、十六号は?」

 

 頭の中に残るまみれの包帯男。今にも絶命しそうなじょうきょうだった。

 クロートに任せて、結果を知る前に工事中のビルへとうそう。今に至る。

 なぐたおした魔術師については、イノリが一番よく知っている。だから語る必要はなかった。

 

かいせき終えて、治癒と解呪を同時進行してたら包帯のじゅじゅつが消えた。君がどうを壊したのだろう?」

「あー、うん」

 

 歯切れ悪く返事する。れた左手、階段につぶされたそれを泣きながら手にするフィガロ。

 半ば事故のような形で壊してしまったのだが、そのおかげで十六号を苦しめていたものが消えたらしい。

 けれど左手と右手の女性を思うと、なおに喜べなかった。

 

「あとは生命の治癒をほどこしてたんだけど、サイレンが近づいたからね」

「そういえばなんで逃げたんだ? 警察とかに事情説明すれば……」

「越境軍部が来てたからね。ちょっとやっかいなんだよ」

「さっきも言ってたな。そいつらって具体的になんなんだ?」

 

 頭上から体を照らしていたビー玉が、スライドするように右へ移動する。

 今度はクロートが光の下になり、右腕の指先がわずかに動いた。

 

「統合政府おかかえの治安組織。都単体だけでは解決できないと判断されたら、かれらが動くのさ」

こわいのか?」

めんどうかな。おうコレクションにヒイロ研究所とか、そういうがいしゃを保護の名目でかん下に置きたがるし」

「悪いやつには聞こえないけど」

「正義の味方だよ。けれどだれかの味方とは限らない」

 

 言い方に引っかかりを覚えるものの、結論はよくわからないである。

 宙に浮かんでいたビー玉が光を失って、その姿を消す。クロートの右腕は揺れなかったが、積極的に動かそうという気配もない。

 

「腕治ったのか?」

「いいや。なにせジェーンが残ってるし」

 

 そういえば忘れていた。確かに最初は幼女――ジェーンがおそってきた。

 そこからロボットおっさん、包帯男、魔術師フィガロと立て続けに来たので、印象としては薄くなっている。

 

「まあでも君は家に帰っても大丈夫だよ」

「え?」

「なにせかのじょねらいはぼくだ。ならば僕だけで解決すべきだろう」

「いや……」

「魔術師フィガロをたおしたのだろう。だったらおくに関して解決方を手に入れた……よね?」

 

 ちゅうで不安に襲われたらしい。口元を引きつらせて、変な表情になっている。

 イノリとしては頭からすっぽけていて、殴り倒すこと優先で動いていた。

 そうとも考えたが、はく色の瞳に睨まれてしまうと気まずい。

 

「ごめん」

 

 軽い調子であやまるが、魔女帽子の位置がずれるほどの勢いでクロートが立ち上がった。

 

「どうすんだい!? 現場には警察も越境軍部も来てるんだぞ!」

「だから、やっぱり警察に助けを求めて」

「警察署前のさわぎを見ただろう!? 安全の保証が薄い!」

 

 確かに救急車が来ているのはもくげきしたが、細かいところまではわからない。

 むしろクロートはよく覚えている、と感心したくらいだ。

 

「記憶だっしゅか消去の魔術だとは思うんだけど、手口が雑だから……」

 

 ぶつぶつと独り言をつぶやいて考えをまとめるクロート。ずれた魔女帽子の位置を直すのも忘れている。

 だからくすんだ赤色の帽子でかくれている額が、ほんのわずかに見えた。

 あせひどいので金のまえがみが張りついている。けれどかみとはちがう金色が、額でかがやいている。

 

「クロート、そ」

 

 言葉途中で。

 

「お目当てはこれじゃない?」

 

 気配はなかった。

 けれどネオン看板の明かりを背景に、かげばす幼女が立っていた。

 金色のツインテールに山羊やぎの角、ももいろの瞳が意地悪そうに細められている。

 服装はポップなデザインのシャツにフリルスカート。しましま模様のニーハイソックスと赤いストラップシューズ。

 

 彼女の手の中で輝くステンドグラスのピンポン球は、いろあざやかで壊れやすそうだ。

 

「ジェーン!?」

「へえ。頭はくそ雑魚ざこなのに覚えていたんだ」

 

 みょうに言い返せない。存在自体を先ほど思い出したばかりだ。

 膝蹴りを受け止めた時の、手に宿った熱さえもぶり返す。

 ロボットおっさんや包帯男、魔術師フィガロでは感じなかったもの。

 

「今度は決着を……」

 

 歩き出そうとした少年を、クロートは左手で制止させる。

 学ランのすそを掴む指先は湿しめっていて、顔からは目に見えるほどの汗が流れていた。

 

こうしょう? それともゆうからの登場かな?」

 

 用心深くたずねるクロートに対し、幼女のみが深くなった。

 

「よくわかってんじゃん。もちろん交渉脅迫

 

 言葉の裏に隠された意味をあくしながらも、相手の言葉を待つ。

 

「記憶のかたまり。これと魔王コレクションのこうかんだ」

 

 ネオンの光を反射するピンポン球は、れいなアンティークのようだった。

 それをにぎつぶすようにこぶしの中へ収めて、ジェーンは指をさす。

 魔王コレクションの一人――クロートを迷うことなく。

 

「……もどすのに、魔術は?」

「必要ない。けど記憶の持ち主が手にして、くだかないと。ジェーンが壊せば、一生失われるよ」

 

 幼女の拳に力が入る。ひび割れる音は聞こえなかったが、ちょうかくの情報でしか判断できない。

 なにかを問おうとして、口が開いたのに。クロートはなにも言わなかった。

 

「……わか」

「いらない」

 

 りょうしょうしようとしたクロートの耳に、信じられない言葉がひびいた。

 幼女を睨む黒の瞳は力強く、今の発言をてっかいしようなどじんも考えていない。

 

「へぇ。本当にいいの? 好きな女の子とか、自分自身さえも忘れちゃうんだよ?」

 

 ぱきっ、とれつの音。幼女の拳の中から聞こえた。

 身を乗り出そうとしたクロートを、今度はイノリが引き止める。

 

「記憶そうしつおれの問題だ。クロートとえにするのは違う」

「……そんな奴を信じるの? 秘密とか、だまってることも多そうだけど」

 

 桃色の瞳がかいそうに細められ、汗を流し続けている子供を映す。

 魔女帽子の位置を直すのも忘れて、出てくる言葉におびえ続けている。

 

「そいつのヒューマンタイプ、知ってる?」

 

 かたねた。返事を聞くのが怖い。けれど耳をふさげない。

 右腕はほぼ動かない。揺れる視界の中で、汗のしずくが落ちていった。

 

「なんでもいいよ」

 

 それは少年にとって、まぎれもない本心だった。

 記憶喪失になって、警察署で補導。それから迷わず、ここまで来られたのは――。

 

「俺は助けてくれたクロートを信じる」

 

 疑ったことは否定しない。本当は、もしかして。

 けれど頭から血を流しても、魔術師フィガロに襲われている時に真っ先に助けた。

 無茶な言葉にすぐ応じてくれて、十六号の治癒をになってくれた。

 なにより自分の右腕が折れているくせに、イノリの怪我を心配する。

 

 疑う方が鹿だ。それくらいは、記憶喪失でもわかる。

 

「だからお前の交渉は無意味だ」

 

 どっ、とゆかいたをぶち破った鋼鉄の大型犬が、クロートの右腕を襲った。

 トラバサミのような歯で腕にみつき、ものまわにくしょくじゅうのように首を動かす。

 くすんだ赤色の魔女帽子が空いた穴から階下に落ちていき、小さな体がてんじょうに叩きつけられた。

 

 そのいっしゅん。気を取られたイノリのほおに、あいまいやわらかいかんしょく

 板とは言いがたいが、もちもちアイスよりも小さいような。それが胸だと気づくのに、一秒かかった。

 後頭部を腕で固定し、胸に顔をしつける。そして両足は首に回し、骨を折ろうと曲げようとした。

 

 固い。

 

 全く動かない頭に幼女がいらつ前に、ポップデザインのシャツを掴んでがす手があった。

 体全て使ってきついてきた幼女をあらく投げ、急に現れた鋼鉄の大型犬へぶつける。

 

「ふぎゃっ!?」

 

 短い悲鳴を上げたジェーンを無視し、天井から落下したクロートの元へった。

 最初から背が低い印象だったが、魔女帽子がなくなったことでさらに小さく見える。

 右腕のそでひじまで破れ、歯形の一つにみょうな種がまっていた。それは内部で根を伸ばし、肩の方へがっている。

 

「クロート!?」

「っ、寄生型の魔術ばいたいだ……今すぐ危険は……」

 

 こされて、視界が広いことに気づく。

 左手で額辺りをさわれば、前髪が汗でれている感触だけ。愛用の帽子がない。

 そしてイノリの黒い瞳に映るもの。もう誤魔化すことも無理だった。

 

 あざのように広がる、黄金のうろこ

 額の右側に生えたそれを、少年は確かに目撃した。

 

「いたた……ちょっと、お色気からのかんせつわざをキャンセルすんじゃないわよ!」

「知るか! それよりクロートになにをした!?」

 

 鋼鉄の大型犬の頭をでながら、クロートの右腕にまれた種を確認。

 そして金色の前髪とは色合いが違う、なめらかな輝きの黄金ものがさない。

 

「夢をかなえるためのおまじない。ラグーンの魔力ちゅうしゅつにはそれが一番らしいのよ」

「……ラグーン?」

 

 聞き覚えはある。確か人種説明の時に出てきた単語だ。

 くわしく聞けなかったが、ぜつめつしゅのようなものと言っていた気がする。

 

はだに鱗が生えた、がらの六種の一つ。魔王コレクション『ゆいいつ』の希少性」

 

 意地悪な笑みを浮かべて、幼女は指さす。

 

「ラグーンのクロート・ジェコがそいつよ」

 

 イノリにはよくわからない説明だった。

 とりあえず「めずらしいのかな」というくらいの、微妙な理解である。

 街中で鱗が生えた人間はいなかった。すいそうで泳いでいたマークアの女性も、下半身は魚の形をしていたが質感はイルカに似ていた。

 

 腕の中でうつむくクロートの顔は見えない。ただ肩を掴む手の平から、小さな震えが伝わる。

 記憶喪失の前は教えてくれたのだろうか。それとも秘密にし続けていたのか。

 確かめようにも記憶の塊は幼女が持っており、今もジャグリングのように手で遊んでいる。

 

「あはっ。雑魚に知られたくなかったのかな? ざぁこ、ざぁこ」

 

 歌うようにとうを吐く幼女は、心底楽しそうだった。

 あおるような悪意に満ちた態度にいらついて、考えなしにとつげきためしてみようかと思った矢先。

 

「黙れ」

 

 床を転がったビー玉が、光のやりった。

 それは少女の腹へとさり、れんで小さな体がかたむく。

 

「イノリは……僕の家族だ。謝れ!!」

 

 足取りもおぼつかない様子で立ち上がり、げっこうあらわにする。

 長い三つ編みさえもしっのようにうごき、彼の周囲の空気が騒ついていく。

 もしも魔力が感じ取れたら、ほのおのようだ。火がけば、一気にさかる。

 

 鋼鉄の大型犬が飼い主をしたうように、幼女へとう。

 確かに彼女の体は傾いた。しかし床に倒れふくすこともなかった。

 

「やぁだ、よ」

 

 気軽な調子で光の槍にれて、その存在を薄めていく。

 残ったのはやぶられたシャツに、無傷で卵肌な白いおなか

 のぞかせながら、こうこつな笑みを顔にりつけた幼女はビー玉をむ。

 

「……能力者?」

「大正解〜!」

 

 くすクロートの顔は青白くなり始め、汗も止まっていない。

 しょうてんが合わなくなってきた琥珀の瞳で、幼女を見つめる。表情もえなかった。

 

「なにそれ?」

「脳開発を受けると、素養がある人間に固有の力が発言するのさ」

「もしかして魔術師とかよりもやばい?」

「能力によるね。けれど彼女は僕の天敵になりえる」

 

 踏まれた硝子玉が割れ、へんが散らばる。

 

しょうさいは、不明……だけど」

 

 ぐらり、とクロートの体がくずちる。

 肩を掴んで支えてみるものの、全身に力が入っていない。

 なにより服しでもわかる根の盛り上がり。マフラーが落ちると、首まで伸びていた。

 

「いい感じに魔力吸ってるみたいだし、改めて交渉脅迫しようか」

 

 立ち位置が変わらない。幼女がどれだけの力をかくっているか不明。

 優位な高みから愛を施すように、ジェーンはあまったるい声を出す。

 

「別に殺しはしないから。その魔王コレクションをわたしてよ」

「……」

「ちゃんと夢を叶えたら返してあげるし、記憶の塊もオマケでへんきゃく

 

 ステンドグラスのピンポン球を指先できながら、幼女は最後の宣告を下す。

 

「断ったら殺す」

 

 ここまでだと、イノリはさとる。

 最初から全てくいくとは思っていなかったが、仕方ないとなっとくする。

 逃げれば近くでがいが出るだろう。かくを決めるしかない。

 

「ごめんな、クロート」

 

 意識も失いかけている子供の体を、薄くて固い床にかせる。

 すっかりすなぼこりよごれた学ランをぎ、とんのように乗せる。

 白シャツの袖をめくり、しちたけにする。しゅつした肌に、春先の少しひんやりとした空気が触れた。

 

 まあ理由なんて、いくらでも思いつく。

 その全てにこんきょずいさせてもいいが、今は面倒だった。

 

「ちょっとあいつなぐってくる」

 

 背中越しに声をかけるが、返事はなかった。

 幼女の顔から笑みが消える。冷たくて、低温火傷やけどしそうな表情。

 

「意味わかってんの? 雑魚が」

「もちろん」

 

 幼女の手の平ににぎられ、ステンドグラスのピンポン球が音を出す。

 ぱきぱきっ、と連続してひび割れる。人間の記憶は硝子よりもろいかもしれない。

 大事なもの全てが壊れかけている可能性。それを無視して、少年は睨みつける。

 

「俺の家族に手を出すな!」

 

 家族だとおこってくれた子供のために、イノリは戦うことを決めた。

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