02 足利尊氏の子ら

 入間川御陣。


 足利基氏は、届いたばかりのふみを開く。

 送り主は、兄・義詮よしあきら


「……ふむ。准后じゅごうの死、そして臨終の言葉か」


 関東執事・畠山国清が得意げに伝えて来たその日のうちに、こうしてに接した。

 だから、あいつは駄目なのだ。

 基氏は舌打ちしながらも、兄・義詮の文のつづきへと目を走らせた。


* 


 当時、義詮は、京において、父・尊氏と共に足利幕府の安定に努めていた。

 ――今を遡ること数年前、一三五二年に、観応かんのう擾乱じょうらんという足利家内部の内訌があり、それに乗じて、南朝の准后じゅごう・北畠親房が、北朝の皇族と神器を根こそぎ奪っていった。

 結果、北朝としては、出家予定の後光厳天皇を擁立し、神器が無い状態ながら、半ば強引に即位させた。

 当然ながら、北朝の権威は落ち、連動して足利幕府の権威も落ちた。


 これに乗じたのが、足利直冬あしかがただふゆである。


 直冬は、義詮と基氏の兄であるが、庶子であるために足利直義あしかがただよしの養子となっていた。養子となった当初、直義がいわば足利幕府の執権ともいうべき立場であるため、それを受け継いで幕府を担っていくものかと思われた。

 が、観応の擾乱が全てをご破算にした。

 直義は尊氏に討伐され、命を落とした。

 直冬もまた討伐の対象となり、彼は幕臣時代の任地である長門に落ちび、そこで再起を画策して蠢動していた……。



「…………」


 再び入間川御陣。

 足利基氏は、兄・足利義詮の文に、冷や汗を流していた。


「斯波高経、桃井直常、山名時氏、大内弘世……」


 かつての足利直義の一派として名を連ねた幕府の重臣ともいうべき大名たち。

 それが、長門にいる足利直冬の下へと集い、今、南朝方として兵を上げんとしている、と。


「……もしかして」


 北畠親房の最後の言葉。

 年明けこそ鬼笑う。

 鬼、すなわち亡者もうじゃ

 つまり……。


「まさかな……如何いか帷幕いばくにて千里の外を知ると言われた准后とて、そこまで……そこまで、直冬ただふゆどのの進軍とその行方を分かるものか……」


 北畠親房。

 死してなお、その知略にて、北朝を追い詰めるか。


「直冬どのも勇将ではあるが」


 足利直冬は、庶嫡の別はあるものの、基氏からすると兄であるため、彼は「直冬どの」と呼んでいた。その直冬は、かつて北朝の将として、紀伊の南朝勢力を一掃した実績がある。


「しかし、今は四月。年明けという時節まで、そううまく言い当てられるのか?」


 第一、足利直冬の進軍を阻まんと、足利義詮は出陣を準備している。実は、義詮からの文は、これを伝えるためのものであった。

 足利義詮は、初代・尊氏と三代・義満の間で目立たない印象があるが、かつて、京を南朝に奪われた際には、逆に石清水八幡宮に拠る南朝の軍を包囲して勝利し、もって京を奪還している。


「わが兄・義詮とて、驍将ぎょうしょうではある。直冬どのとて、おいそれとは破れまい」


 基氏の読みでは、義詮と直冬がぶつかれば、両者の武勇は均衡を保ち、拮抗状態に陥ると思われる。


「――そこで、父・尊氏の出番だ」


 南北朝時代に入って幾星霜。新田義貞、楠木正成、高師直、足利直義ら綺羅星のような将星たちは次々と消えていき、ついには北畠親房も亡くなったばかりであるが、それでもまだ――足利尊氏という巨星は、強く輝いている。

 基氏は文の最後の一行を読む。


しこうして――入間川殿におかれましては、もって関東の安寧を図るべし、か」


 かつて、北畠親房が正平の一統を破約したとき、すなわち京、鎌倉、神器、皇族を奪取したとき、地理的には、京と鎌倉――京畿と関東という二正面において戦いを強いられた。

 それこそが、北朝が苦戦に陥った理由である。


「なればこそ――関東公方おれは、関東を抑える」


 目立たぬようだが、地味にく。

 戦いを起こさぬ戦いだが、それこそが最も重要なのだ。


「今は亡き北畠親房卿が、再度、京と鎌倉の双方の鎌倉の側――つまり関東に擾乱じょうらんを起こすとすれば……」


 基氏の脳裏に描く、関東、そして甲信越の地図の越後のあたり、かつての執事・上杉憲顕うえすぎのりあきの勢力圏が明滅していた。

 上杉憲顕は、かつての足利尊氏と直義の兄弟の争い――観応の擾乱において直義の側につき、以来、尊氏の勘気かんきこうむって、つまり怒りを買って、越後にこもっている。


「……やはり上杉への調略」


 基氏はひとりうなずき、への手立てを思い浮かべた。


「しかし……これは執事の国清には話せぬな」


 基氏の思い浮かべる「手立て」とは、畠山国清の類の策であり、ともすれば、父・足利尊氏すら出し抜くものであった。

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