04 年明けこそ鬼笑う
さて、南北朝の終結という話題には欠かせない男がいる。
父・正成、兄・
「…………」
正儀は、主・後村上帝の勅命を仰ぎ見て、そしてそれを丁寧にしまったあと、命令を下した。
「出陣」
それにならって、楠木党の面々も揃って馬を進める。
「…………」
後村上帝の勅命は、簡潔であった。
――京を攻めよ、と。
後村上帝は義良親王と呼ばれた頃から、北畠親房について陸奥へと赴き、そこで親房と苦楽を共にしてきた、戦友ともいうべき間柄だった。
そのため、後村上帝は、親房亡き今、何としてもその念願である南朝復興をかなえるため、必死だった。
それは正儀にも分かる。
正儀とて、親房の想いは分かる。
できうることなら、かなえてやりたい。
だが。
「……これでいいのか?」
その呟きは、誰にも拾われないまま、
西で足利
その作戦は、北畠親房が考えたものだった。
見事な策だ。
しかし。
「京は落とせるかもしれない。しかし、それから……どうする?」
正儀の基本戦略は、兵站(兵糧の供給)を確保し前進していくことを旨としている。
その基本戦略によるならば、京を陥落せしめたところで、兵站が確保されなければ、奪還されるのみ。
事実、これまで正儀は二度ほど京を
「そもそも、帝は、京を
京を抑えたことによる強みを活かして、和平へとつなげるのか。
それとも、京よりさらに勢力を拡大し、戦火を広げるのか。
そのあたりがはっきりしない。
というか、何も考えていないように見受けられる。
「もし
それは言っても詮無きこと。
正儀はひとつ頭を振ると、これから起こるであろう戦いに意識を集中した。
――稀代の名将・足利尊氏との戦いに。
*
楠木正儀の南からの攻勢を受け、足利尊氏は、あっさりと京から退いた。
換言すれば、尊氏としては、大事な玉――後光厳天皇を取られるわけにもいかず、安全策を採って、近江まで退いた結果である。
ただそれは一戦した結果ではないので、南朝としては、京にいつでも戻れる態勢のまま、いわば近江に駐留しているかたちに見えた。
「好機である」
播磨にて弟である足利
近江に
これに対し尊氏は京へ兵を進めることはなく、それどころか、
それを知った直冬は、義詮との対峙にある程度の将兵を残し、自身は数千の別動隊を率いて、京に入った。
時あたかも一三五五年一月。
年明けこそ鬼笑う。
その、北畠親房の死に際しての言葉が、かなった。
かのように――見えた。
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