04 年明けこそ鬼笑う

 さて、南北朝の終結という話題には欠かせない男がいる。

 楠木正成くすのきまさしげの末子、楠木正儀くすのきまさのりである。

 父・正成、兄・正行まさつらのような派手さは無いものの、言葉を発することも、感情を出すことも滅多にない正儀は、この時代を生き抜き、やがては北朝の管領・細川頼之との協力により、時代を南北朝の終結へと導くことになる。


「…………」


 正儀は、主・後村上帝の勅命を仰ぎ見て、そしてそれを丁寧にしまったあと、命令を下した。


「出陣」


 四條畷しじょうなわての戦いにおいて兄を失って、楠木家の家督、そして南朝の軍事指導者としての地位を継承してそのまま初陣し、北朝の名将・高師直と激戦を繰り広げた男・正儀が馬を進める。

 それにならって、楠木党の面々も揃って馬を進める。


「…………」


 後村上帝の勅命は、簡潔であった。


 ――京を攻めよ、と。


 後村上帝は義良親王と呼ばれた頃から、北畠親房について陸奥へと赴き、そこで親房と苦楽を共にしてきた、戦友ともいうべき間柄だった。

 そのため、後村上帝は、親房亡き今、何としてもその念願である南朝復興をかなえるため、必死だった。

 それは正儀にも分かる。

 正儀とて、親房の想いは分かる。

 できうることなら、かなえてやりたい。

 だが。


「……これでいいのか?」


 その呟きは、誰にも拾われないまま、くうに散った。

 西で足利直冬ただふゆが派手に耳目を集めておき、一方で楠木正儀が南から攻め入る。

 その作戦は、北畠親房が考えたものだった。

 見事な策だ。

 しかし。


「京は落とせるかもしれない。しかし、それから……どうする?」


 正儀の基本戦略は、兵站(兵糧の供給)を確保し前進していくことを旨としている。

 その基本戦略によるならば、京を陥落せしめたところで、兵站が確保されなければ、奪還されるのみ。

 事実、これまで正儀は二度ほど京をおとしているが、その二度とも兵站を確保できずに奪還を許している。


「そもそも、帝は、京をおとしたあと、いかがなさるおつもりか」


 京を抑えたことによる強みを活かして、和平へとつなげるのか。

 それとも、京よりさらに勢力を拡大し、戦火を広げるのか。

 そのあたりがはっきりしない。

 というか、何も考えていないように見受けられる。


「もし准后じゅごうが生きていれば……」


 それは言っても詮無きこと。

 正儀はひとつ頭を振ると、これから起こるであろう戦いに意識を集中した。


 ――稀代の名将・足利尊氏との戦いに。



 楠木正儀の南からの攻勢を受け、足利尊氏は、あっさりと京から退いた。

 換言すれば、尊氏としては、大事な玉――後光厳天皇を取られるわけにもいかず、安全策を採って、近江まで退いた結果である。

 ただそれは一戦した結果ではないので、南朝としては、京にいつでも戻れる態勢のまま、いわば近江にしているかたちに見えた。


「好機である」


 播磨にてである足利義詮よしあきらと対峙していた足利直冬は、麾下の桃井直常に、越前から南下して、京に入るよう命じた。

 近江に盤踞ばんきょする尊氏を警戒しての、北からの侵攻だが、直常は特に抵抗らしい抵抗も受けず、坂本からの入京を果たす。

 これに対し尊氏は京へ兵を進めることはなく、それどころか、上野こうずけの勢多まで退いてしまう。

 それを知った直冬は、義詮との対峙にある程度の将兵を残し、自身は数千の別動隊を率いて、京に入った。


 時あたかも一三五五年


 年明けこそ鬼笑う。


 その、北畠親房の死に際しての言葉が、かなった。

 かのように――見えた。

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