03 捨て童子・足利直冬
一三五四年五月。
長門豊田城。
南朝の足利
かつての父・足利尊氏の九州からの東征の如く、上洛を目指して、堂々たる進軍を開始した。
*
「父君、恐れながら」
この報に接した北朝の足利
北朝の次代の将軍と目される義詮自ら戦う。
軽々しいとの誹りを免れないが、それでも、今現在、京畿において諸将を率いる「格」を持つ将領は、足利尊氏を除いては、足利義詮を置いて他にいない。というか、その「格」を持つ将領がいないからこそ、足利直冬が引き上げられたという裏事情ではあるが。
「許す」
尊氏の返答は、簡にして要を得ていた。
なみいる群臣諸将の中、言外の理由――義詮自身で敵わなければ、尊氏自ら事に当たる――を察していたからだ。
「京は、任せよ」
「痛み入ります」
そして尊氏も義詮も、
「今この時、また迂闊にも玉を奪われたら、破滅」
玉とは帝のことであり、帝――つまり北朝の後光厳帝は、神器も皇族も無い中、僧籍に入るべき皇族を強引に仕立て上げた帝である。
その帝すら奪われたら、北朝の死命は制せられること必定。
「そこを、予が抑える」
尊氏は無言だが、目で義詮にそう伝えた。
うかうかと口に出して、その弱点を南朝に漏らすことはない。
それゆえの、目線のみの会話だった。
*
足利直冬は、越前の局という女性と、足利尊氏の間に生まれた庶子である。
伝えられるところによると、尊氏は越前の局に恋い焦がれ、一夜を共にしたところ、局が直冬を懐妊したとされる。
その直冬は庶子であることから、当初は寺に入れられていたものの、手の付けられない問題児であり、かつ、足利家として、麾下の諸将を率いる「格」を持つ者の不足から、尊氏の弟・直義が自らの養子として引き取り、足利家の連枝となった。
「紀伊の南朝方を討つ」
直冬の初陣は、紀伊の南朝勢力の討伐であり、直冬はそれを勝利で飾った。
だが当時、足利家内部の亀裂が広がりつつあり、直義は直冬のその権力闘争の場から遠ざけるため、長門探題という職を創設し、直冬を西国へと送り出した。
「
しかし足利家の内訌、観応の
これに関連して、直冬は一軍を率いて上洛せんとしたが、
「ふざけるな」
直冬としては、いかに庶子であり疎ましいとはいえ、ここまでするか、と言いたい。
尊氏から見れば実の弟である、養父・直義。
直冬は養子として、直義がいかに北朝を支えて来たか、心を砕いてきたか、それを見ていた。
「それが、何だ」
執事の
「ふざけるな」
再度の罵倒。
こうなれば、もはや父も父と思わぬ。
養父の下で実績を積めば、認めてくれるだろうと思っていた、実父・尊氏。
「なら、その
折りしも、南朝の
「おれは南朝につくぞ」
降るのではない。それでは父と同じだ。
足利直冬は、南朝と共闘する。
そう言い張った。
すると、旧・直義派ともいうべき、足利家内部の重臣や大名たちが、揃って直冬の支援へと回った。
「時こそ、至れり」
直冬は長門豊田城を
その征路は、一時は九州に落ち延び、やがて兵力を糾合して、そこから東征して上洛戦に臨んだ、足利尊氏の征路と同じであった。
「尊氏の天下盗りをなぞり、
それは北畠親房の指示によるものであったが、直冬としては、その皮肉の
「さて……どうする、尊氏、義詮」
この直冬を蔑んだ者たち。
今こそそれを後悔させてやる。
直冬の怒りは、気概は今や天を覆い、遠く京まで響くが如きであった。
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